2005年3月15日火曜日

03 新冠:地震から学ぶこと(2005.03.15)

 地震は、瞬間的に大きな変動を大地に残します。その変動は、断層、崖崩れ、津波などさまざまな形で現れますが、いずれも地震の振動がきっかけになっています。北海道の新冠でも、地震によって変動が起きたことがあります。その中には地震に伴うあまり見かけない不思議な現象がありました。私はこの現象から、学ぶへきことがまだまだあることを知りました。

 北海道には競走馬を飼育している牧場がたくさんあり、多くの有名競走馬を輩出してきました。JR北海道の日高本線が走る太平洋側には、門別、新冠、静内、三石、浦河かけて、多数の牧場があります。このコースは日高サラブレットロード(千歳空港~襟裳岬)とも呼ばれているほどです。中でも静内川と新冠川沿いには牧場が多数あります。
 千歳方面から小高い丘を越えて、開けた新冠川を見下ろすところに出ると、左手にサラブレッド銀座公園というパーキングエリアが目に入ります。観光バスも止まれるほど大きな駐車場です。駐車場から眼下に広がる牧草地に放牧されている馬は、いかにも北海道らしい景観に見えます。この景色を見終わると、観光をする人は、次の目的地に向かうのでしょうか。
 ところが、川とは反対側に目を向けると、そこにも牧場があり、牧場の柵の前に「北海道指定天然記念物新冠泥火山」という看板があります。その看板に気づいた人がいたとしても、何のことかわからず、ただ眺めるだけに終わっていることでしょう。
 この泥火山には、私も学生時代に、先生に連れられて見たことがあるのですが、やはりぱっとしないものだと思っていました。その後、2002年に人を案内するため、この泥火山を2度訪れました。やはり特別見栄えのするものではありませんでした。しかし、不思議な大地の営みが、この一見ぱっとしない丘で起こっているということを知ると、大地の不思議さに思いを巡らすことができます。
 泥火山と呼ばれているものの多くは、マグマや温泉の活動によってできるものです。地熱地帯で、泥沼の底に水蒸気が噴出しているものを泥火山と呼んでいます。みかけは火山に似ていますが、本当の火山ではありません。
 もうひとつ、非常に珍しいのですが、地震による液状化現象によってできる泥火山があります。珍しいがために、この新冠の泥火山は、1968年(昭和43年)1月18日に北海道の天然記念物に指定されたのです。
 2003年(平成15年)9月26日に十勝沖で地震があり、255cmの津波が起こりました。私の住む札幌の隣の江別市でも大きく揺れました。そして1時間後には大きな余震もありました。この十勝沖地震では、行方不明2名、負傷者849名、住宅全壊116棟、住宅半壊368棟などの被害を出しました。
 新冠でも震度6弱の揺れが起きました。パーキングエリアの路石や敷きレンガなどに隆起がおこり、道路にも亀裂が走りました。このときに新冠の泥火山が、規模は小さかったのですが、再び活動したのです。
 当時のニュースでは、震源の十勝沖から遠く離れた苫小牧でのナフサ貯蔵タンクの火災を伝え、思わぬ地域で大きな被害を出したことに、非常に不思議に思われた方いたはずです。
 その原因は、長い周期の地震波(長周期地震)に共鳴した現象(スロッシングと呼ばれていました)だと考えられています。長周期地震は、新潟県中越地震や阪神淡路大震災などの直下型地震ではなく、プレート境界の海溝の深部で起こる地震で発生するとされています。私たちは、その不思議な出来事を目の当たりにしたのです。
 十勝沖地震は、これ以外もいろいろなことを教えてくれました。十勝沖地震での被害は新潟県中越地震や兵庫県南部地震より少なかったのですが、マグネチュードが日本の自身の中でも有数の大きさを記録したのです。
 2003年の十勝沖地震のマグネチュードは8.0に達しました。日本付近で起きた地震では、ここ10年、このようなマグネチュード(M6、M7などと書かれることがあります)の大きさのものはなかったのです。2004年10月23日に起きた新潟県中越地震は、最大震度7で甚大なる被害を出しましたが、地震のマグネチュードは6.8で、十勝沖地震よりは小さかったのです。まだ記憶に新しい1995年(平成7年)1月17日の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)もマグネチュードは7.3でした。いずれも直下型の地震でした。
 日本付近で被害を出した明治以降の地震を理科年表から拾っていくと、マグネチュード8以上のものは、1994年(平成6年)10月4日の北海道東方沖地震(M8.2)、1952年(昭和27年)3月4日の十勝沖地震(M8.2)、1946年(昭和21年)12月21日の南海地震(M8.0)、1933年(昭和8年)3月3日の昭和三陸地震(M8.1)、1911年(明治44年)6月15日の喜界島近海地震(M8.0)、1896年(明治29年)6月15日の明治三陸地震(M8.5)、1891年(明治24年)10月28日の濃尾地震(M8.0)、の7つです。2004年の十勝沖地震を加えても、明治以降、マグネチュード8以上のものは8回しか起こっていません。マグネチュード8クラスの地震は非常に稀なものであることがわかります。
 1891年から2004年の113年間に8回ですから、14年に1回、つまり日本周辺では10数年に1回起こるほどの稀な地震ということになります。
 マグネチュードと震度の違いがよくわからないかもしれませんので、説明しておきましょう。
 マグネチュードとは地震が起こったときの地震自体の大きさをあらわすのに対して、震度はある地点での揺れの強さを表します。ですから、どんなにマグネチュードの大きな地震でも、遠くで起これば、自分がいるところの震度は小さくなります。もし、表層の直下型の地震が人口密集地でおこれば、マグネチュードが小さくても被害は大きくなります。それが、新潟県中越地震や兵庫県南部地震だったのです。
 マグネチュードの数値が1大きくなると、エネルギーは約32倍になります。つまり、マグネチュード6の地震は、M5の地震32個分に相当することになります。
 震度(地震情報などにより発表されるのは震度階級と呼ばれています)は、ちょっと前までは、体感や周囲の揺れの状況から推定されていましたが、1996年(平成8年)4月からは、震度計(正確には計測震度計と呼ばれます)で測定されたデータから計算されています。その結果、自動的に即座に震度が決定されるようになりました。震度計は、全国に約600地点に置かれて、自動的に観測されています。
 2003年の十勝沖地震では、マグネチュードと震度の違いをよく示してくれました。
 さて、新冠の泥火山に話を戻しましょう。新冠の泥火山は、地震の液状化によって起こるといいました。この液状化現象とは、水分を多く含んでいる固まっていない地層に地震の振動が加わることによって起こります。地震の振動によって、地層内の水圧が上がり、粒子間の圧力がなくなり、液体のような振る舞いをします。もし、地表に向かって割れ目ができると、液体として地層の成分が水ともに噴出します。
 新冠の地下には、新第三紀中新世(1000万年前ころ)の地層があります。この地層からは、少しですがガスが噴出したり、石油が出ていることが知られていました。つまり、水分やガスの成分を多く含むまだ固まっていない堆積物が地下にあったことを意味します。そして、海岸線と平行して「節婦(せっぷ)断層」とよばれる断層がありました。
 新冠の地下には、このような条件があったので、大きな地震が来たとき液状化現象が起こったのです。最初の活動は、上で述べたマグネチュード8以上地震である1952年の十勝沖地震に起こりました。
 断層沿いに幅350m、長さ1.1kmにわたって液状化が起こりました。8個の噴出孔から、泥やガスが噴出して、泥の丘が形成されました。一番大きなものは、230m×160mの楕円形で25mの高さの台地状の丘でした。頂上の中心には50×60m、深さ1.5mのカルデラのような形状のクレータができていました。
 周辺の住民たちは1日でできたこの丘を「日高新山」と呼び、火山ではないかと驚いたそうです。
 地震後、水分が抜け出ることによって、よりしまった状態になり、安定します。しかし、地層中に水がまだ残っていたり、地下水として地層に供給される仕組みがあると、同じような液状化現象を起こすような条件ができます。
 新冠では同じような地層の条件がまだ残っていたようで、泥火山の活動は1952年の十勝沖地震だけでなく、1982年3月の浦河沖地震や2003年の十勝沖地震でも起きました。
 2003年の活動では、すでにあった泥火山の頂部に、放射状の割れ目ができ、そこからブロック状の泥の塊が噴出しました。勢いよく噴出したらしく、泥は周りに撒き散らかされていました。
 液状化現象は、砂の地層でよく見られます。水分を多く含み、地震の振動でバラバラになった砂まじりの水が噴き出すことがあります。これは噴砂と呼ばれています。
 液状化現象が起こる場所は、主に台地や湿地、埋め立て地、砂州、三角州などです。現在では事前の地質調査によってそのような地盤であることがわかっていれば対処できます。地盤を固めたり、水の逃げ道をつくったり、建物を守るために堅い地盤まで、杭などを打ち込んだりして、被害を少なくすることが可能となっています。
 このような液状化現象によって大きな被害を与えるということを、1964年4月20日の新潟地震(M6.1)で知ることができました。4階建ての県営住宅のアパートが横倒しになりました。液状化によって緩んだ砂の層が、液体のようになって建物を支えきれなくなったのが原因でした。また、1995年の阪神・淡路大震災では、砂より大きな石や礫が噴出することがあることもわかりました。このような現象は噴礫と呼ばれます。そして新冠の泥火山では、砂だけでなく泥も噴出すこと、そして地震が起これば何度も液状化は起こりうることを教えてくれたのです。
 恐ろしいものを順番に並べた「地震、雷、火事、親父」という言葉があります。筆頭が地震です。科学と技術の進んだ時代に生きる私たちは、恐れてばかりではなく、地震から受けた災害を教訓として学ばなければなりません。学んだことから、次の地震ではそれに対処できるようにしていなければなりません。私たちは、大きな地震のたびに学んできました。これからも学んでいかなければなりません。そんな積み重ねが、自然との共存への道といえるのかもしれません。そして、人類の進歩となるのでしょうね。

・新冠川の思い出・
新冠は、私にとって思い出深い地です。
大学生時代、最初に日高という山を経験したのでは、
新冠川の上流でした。
2人の先生に連れられて、私ともう一人の友人が
5泊6日で新冠川上流に入りました。
テントとダムの事務所で泊りました。
私は京都の田舎で育ったのですが、
故郷では、地元の小さな山しか知りませんでした。
大学に入って、札幌近郊の山には
一人や友人とともに登ったりしてました。
しかし、日高山脈のように奥深い山は
この時が初めての経験でした。
上流に行くほど深い谷になっていくこと。
上流には夏でも溶けない雪渓があること。
その水がしみだ出してくると冷たくおいしいこと。
カールと呼ばれる氷河時代の地形があること。
カールから流れる枯れることない沢があること。
などなど、いろいろ経験しました。
そして、奇しくも私は新冠川の一本南西側にある静内川で
3ヶ月に及ぶ卒業研究をすることになったのです。

・微地形・
前回のエッセイで、10mメッシュの威力を遺憾なく
発揮できる素材として秋吉台の石灰岩地形を紹介しました。
しかし、今回の素材は、10mメッシュの限界に近いものとなりました。
ホームページの画像を見ていただけるとわかるのですが、
丘陵のような地形をみるには、
地上開度と傾斜量という地形解析の手法が有効です。
10mメッシュでみると、泥火山がいくつもあることが見て取れます。
もちろん50mメッシュでは何も見えません。
しかし、10mメッシュでもこのような微地形は
判別できる限界に近いようです。

・立体写真・
横にずれた位置の航空写真を並べて、
立体写真としてみる方法があります。
今回、立体写真で見えないか挑戦してみました。
なかなか難しいのですが、
一枚の写真から画像を加工して立体写真をつくるものです。
まだ、うまくいきませんが、いろいろ挑戦しています。
その挑戦の過程ですが、泥火山でやってみました。
なまだ成功とはいえないのですが、
興味のある方はホームページを覗いてみてください。