2006年2月15日水曜日

14 十勝岳:田園風景の背景にあるもの 2006.02.15

 北の大地の象徴ともいうべき美瑛の田園風景は、激しい火山活動の結果なのです。田園風景の背景に隠された激しい大地の営みを見ていきましょう。

 もう30年近く前の秋のころでしょうか。はじめて美瑛の田園風景を見て、心を打たれたことを覚えています。その田園風景の背景には雪化粧した十勝岳に噴煙が上がっていたことも一緒に覚えています。
 北海道の美瑛と富良野は、きれいな田園風景が広がっていて、観光が盛んになってきました。30年以上前の学生時代に、空知川流域の調査で富良野より少し下流あたりに何度か調査でいったことがありました。その折に美瑛や富良野によったことがあります。調査の時だけではなく、観光やスキーで行ったこともありました。行くたびに、美瑛の田園風景には見とれてしまいました。
 美瑛と富良野を訪れる多くの人が感じるのは、同じ日本でありながら、日本的でない異国のような景色、あるいは現在では北海道的とされている景観に、心を動かされているのではないでしょうか。
 私は京都の農家の出ですが、私の見慣れている田畑は、平地にあるものでした。山や傾斜の田畑も、平らにされていて、棚田や段々畑になっていました。ですから、耕作地とは平らなものという先入観がありました。それに区画整理がまだ整っていない畦が入り組んだ田畑が、私の原風景でもありました。
 ところがこの美瑛の田園風景は、広大でうねった傾斜地でもどこまでもまっすぐにのびる作物の列がありました。私がそれまで見てきた日本の田畑とは明らかに異なった光景でした。それが、北海道の気候とあいまって、さわやかで心打たれる景色となっています。
 2005年の夏、約20年ぶりに美瑛の丘と十勝岳を見るために訪れました。町はだいぶ様変わりしていましたが、田園風景は昔のまま残っていました。昔と一番違っていたのは、観光に力を入れた結果でしょうか、幹線道路の渋滞とたくさんの観光施設でした。
 十勝岳は、美瑛の東側に位置する活火山です。現在も噴気を上げています。美瑛と富良野の間の上富良野あたりから十勝岳に向かう道路があります。その道は、なだらかな登りで両側には田園風景が延々と続きます。その道の突き当りが十勝岳温泉です。しかし十勝岳に向かうには十勝岳温泉の手前で北に向かう道に入ります。途中、吹上温泉を右に見てさらに進むと、望岳台があります。そこが十勝岳の展望台と登山道のはじまりとなっています。
 十勝岳は、繰り返し噴火してきた成層火山です。北海道でも有数の活火山で、何度も噴火が起こしてきました。十勝岳だけでなく、十勝岳から南東方向、北西方向に延びる山並みは、すべて十勝岳と同じ成層火山からできています。これらの火山を、十勝岳火山群と呼んでいます。
 十勝岳火山群は、長い期間にわたって何度も噴火してきた火山です。十勝岳火山群の火山活動は、古期、中期、新期の3つに区分されています。古期の火山活動の正確な開始時期は分かっていません。地層の地質学的関係から50万年より新しい時代の活動であることは判明しています。古期と中期の間には活動の休止なく活動しています。
 中期と新期の間には、火山活動の休止期がありました。新期の活動が開始した時代も正確にはわかっていませんが、1万年より新しいと考えられています。新期の活動は、美瑛富士と、十勝岳の1kmほど北にある鋸岳からの噴火からはじまりました。3000年前ころには、十勝岳本体での活動が起こりました。
 歴史時代になっても十勝岳の火山活動は続いていて、1857年、1887年、1836年、1962年、1988-89年の火山活動の記録があり、現在も噴気が上がっています。
 中でも1926年(昭和元年)の噴火は大きな被害を出しました。1926年2月から小規模な噴火を繰り返していていたのですが、5月24日正午過ぎ、中央火口丘の北西部から水蒸気爆発が起こり、小規模な泥流が発生しました。泥流は6kmほど下の白金温泉まで流れ下りました。午後2時にも小規模な噴火がありました。
 そして、午後4時18分に、大規模な水蒸気爆発が起こりました。この噴火により熱い岩屑なだれが形成されて、積雪が融けて、大規模な泥流が発生しました。噴火の1分後には2.4km離れた硫黄鉱山事務所を襲い、24分後には25km離れた上富良野や美瑛町を襲いました。死者・行方不明者144名、負傷者約200名におよぶ大災害となりました。この噴火によって北西方向に開いたU字型の火口(450×300m)が形成されました。
 その後も噴火が繰り返され、9月にはさらに行方不明者2名を出す噴火があり、大正火口ができました。1928年(昭和3年)12月に、ようやく一連の噴火がおさまりました。
 十勝岳は、現在も小規模な火山活動が続いています。1998年と2000年には、やや活動が活発化しました。その後も毎年のように小規模な火山活動が繰り返されています。
 十勝岳の山頂周辺を見ると、上で述べた活動の噴火口以外にも、たくさんの丸いくぼ地となった噴火口が見つかります。地形図に名前が出ているだけでも、グランド火口、大正火口、中央火口、62-II火口、昭和火口、スリバチ火口、北向火口などがあります。U字型をした噴火口もたくさんみることができます。
 火山活動でできた地形は、時間が立つと侵食を受け、その形は不明瞭になっていきます。噴火口の地形がきれいに残されているのは、最近まで活発な火山活動があったこと示しています。
 噴火口だけでなく、溶岩が流れれば溶岩固有の地形ができます。泥流が流れれば泥流の堆積物が特有の地形を作ります。火砕流が流れれば火砕流に固有の地形ができます。
 活発な火山であれば、周辺だけでなく広く火山灰などの火山噴出物を飛ばします。火山活動時期にたまった地層の中に、十勝岳からの火山灰を見つけることで、どこまで火山灰が到達し、積もったかを調べることができます。その結果、北海道の中央部には、十勝岳火山群の火山噴出物が広く積もっていることがわかっています。
 十勝岳は、古期から火山活動をはじめ、中期にも続き、中期の最後には溶岩ドームを形成しています。新期にも激しい活動をして、そのたびに、十勝岳は山の形状を変えてきました。そして、火山の裾野も噴火のたびに地形を変えてきました。十勝岳の火山活動は現在も続いています。現在の十勝岳の形状、地形は、何度の改変を受けた結果なのです。しかし、これは、次の大規模な噴火がおこれば、また変わっていくものです。火山の歴史からすれば、現在の火山の形態や地形は、一時的なものにしか過ぎません。
 そんな火山噴火の地に人が住み着き、そして大地の表層を耕し、今の美瑛の田園風景をつくりました。ひとたび噴火があると風景は一変して、火山噴出物や泥流の原野へと変わります。しかし、人は、めげずに再び田園風景へと戻してきたのです。火山活動という自然の営みと、人と営みが、この美瑛の田園風景を作り上げているのです。

・春の兆し・
北海道も三寒四温の季節となりました。
2月上旬までは、寒いだけで暖かい日などほとんどなかったのですが、
雪祭りが終わるころから、暖かく雪の解ける日がはじまりました。
季節の巡りを感じます。
本州から来た人は、冬にしか見えないでしょうが、
住んでいる人間には、雪景色の中に春の訪れを感じます。
今年は冬が厳しかったため、
春の訪れをより強く感じるのかもしれません。
春が待ち遠しいです。
そんな季節になってきました。

・風邪・
春の兆しが見えたというのに、
2月になっても、私と長男は風邪をひいています。
どうもしつこい風邪で、1月にひいた風邪がなかなか治りません。
風邪を押して、だまし、だまし仕事をしているのですが、
なかなか本調子になりません。
今年の冬は、雪の中を歩こうと、家族分のカンジキを用意したのですが、
まだ試し履きだけで、森の中を歩くのに使っていません。
いつ使えることになるのでしょうか。
それとも、来年までしまっておくのでしょうか。
それだけは、なんとか避けたいのですが。