2006年3月15日水曜日

15 阿蘇の米塚:激しさの中のたおやかさ 2006.03.15

 阿蘇山は、九州でも有数の観光地です。その阿蘇山の中でも、あまり目立たないのですが、見た人には、きっとその形から強い印象を与える米塚と呼ばれる山があります。今回は、そんな米塚を中心に阿蘇火山をみていきましょう。

 2006年の1月の正月明けに、九州に出かけました。その時、阿蘇山に立ち寄りました。今年は、全国的に雪が多く、九州の調査直前や調査中にも、雪にあいました。そのため、予定の調査のコースを、変更しなければならいないことが何度かありました。
 今回の調査では、九州の火山として、普賢岳と阿蘇山、そして桜島を訪れることが目標でした。普賢岳については、車で雪の中を古湯まで登ったのですが、ノーマルタイヤではスリップして危険でした。また古湯周辺では、濃霧でとても火山や周囲を見る状態でなかったので、すぐに下りてきました。阿蘇山にも雪が積もっていましたが、一日目はダメでしたが、翌日は除雪もされ、道路は雪が融けていましたので、登ることができました。
 阿蘇山には、何度か来たことがありますが、雪の阿蘇山は初めてでした。数年前に訪れたときは、噴気から有毒ガスがでていたので、火口付近には近づけませんでした。今回は、上まで車で上がることができました。前日の雪は残っていましたが、幸いにも快晴の中で中岳の噴気を見学することができました。
 阿蘇山は活火山ですが、カルデラの規模は世界でも有数の大きさを誇っています。東西18km、南北25kmの大きさを持ち、カルデラの壁は、300mから600mの高さの崖を持っています。カルデラは、急な崖となっていますが、広いカルデラの内部は、平地となっています。平野は田畑に、山間部は牧畜に利用されていて、のどかな田園、牧畜の風景を見せていました。また南部の白水村は、湧水で有名なところです。私が行ったときは、阿蘇山はどこも、雪で寒々としていましたが。
 急峻なカルデラ壁があるのですが、唯一、熊本方向(西側)に立野火口瀬が開いていて、そこからカルデラ内の水が、白川として流れ出して、島原湾に注いでいます。
 阿蘇山は、約27万年前から火山活動をはじめて、9万年までに大規模な火砕流を4回(26.6、14.1、12.3、8.9万年前)発生して、現在のカルデラを形成したと考えられています。
 カルデラ内部には、湖ができ、堆積物がたまりました。カルデラの壁は、7万年前から5万年前に立野で開きますが、その後溶岩が流れこんで、カルデラ内に、また湖ができます。その湖に溶岩が流れ込んで水中での火山活動や堆積物が記録として残されています。湖の形成は、その後さらにもう一度起こり、ごく最近までカルデラ内の北側に湖として残っていました。このような歴史は、カルデラ内のボーリングの調査から分かってきました。
 カルデラ形成後、約7万年前(7.3万年より前)から、カルデラの中央部周辺で、火山活動がはじまりました。中央火口丘を形成したマグマの性質は、玄武岩質から安山岩質マグマを主としていますが、デイサイト質から流紋岩質のマグマまでもあり、多様です。
 中央火口丘で現在、活動しているのが中岳です。中岳は、現在も活動していますが、その以前に長く活動しており、古期、新期、最新期の3つに活動時期がありました。古期は6300年前より古いことはわかっているのですが、それ以外の時代はよくわかっていません。である現在の中岳の火山活動の開始時期はよく分かっていませんが、一番新しい火山であります。
 気象庁によりますと、553年(欽明天皇14年)に噴火した可能性があります。それ以降、中岳は古文書にも、そして現在のような観測体制ができた後も、死者を出すような活動を含めて、多数の噴火が記録されています。幸いなことに現在は、平穏な状態になっています。現在の火口は、南北900m、東西400mの大きさがあり、その中に小さな火口が7つあります。でも、現在も噴気を上げていて、私が行ったときも寒さのせいもあるのでしょうが、噴気で火口の中の池が見えなくなることもしばしばでした。
 中岳に次いで新しいのは、米塚とよばれる火山です。米塚の活動時期はよく分かっていませんが、その前に活動した往生岳が1740年前に活動しており、その火山噴出物を、米塚の噴出物が覆っているので、往生岳の火山活動より新しいことがわかっています。
 この米塚は、中岳とはあまりに違っています。
 中岳は大きな成層火山ですが、現在残されているのは東半分で、西半分は新期の火山活動で破壊されています。かつての成層火山の断面が、現在の噴火口の周辺に見えます。破壊されて断面を見せている中岳は、荒々しさを感じます。
 一方、米塚は、たおやかな形をしています。きれいな円錐形で、頂上がくぼんでいます。まるでおわんを伏せたようなような形をしてます。マグマの成分こそ中岳の同じ玄武岩質ですが、規模は小さく、直径380m、高さ80mの大きさで、頂上の火口は10数m程度しかありません。しかし、米塚の活動は、この山体をつくるだけではなく、周辺に溶岩を流出しています。米塚の溶岩は、玄武岩で流れやすく、3km以上も流れて、裾野に広がっています。
 この米塚は、何度見てもかわいく見えます。それは、きれいな円錐形をしているためでしょう。溶岩を流しながらこのようなきれいな円錐形になるのには、どのようなメカニズムがあったのでしょうか。
 米塚の円錐形は、スコリアというものからできています。スコリアとは聞きなれない名前かもしれません。スコリアとは、穴が一杯あいた黒っぽい石です。
 同じように穴が一杯あいて白っぽいものは軽石と呼ばれます。石の色はマグマの性質を反映していて、白っぽいのはデイサイト質から流紋岩質のマグマでガスの成分をたくさん含んでいるものからできます。軽石が固まるときガスの部分が穴があき、固まった後にガスは抜けてしまったものです。一方、スコリアは黒っぽい玄武岩質のマグマからできているのですが、固まるときにガスがたくさんあったものです。
 このようなスコリアがたくさん噴出した火山は、スコリア丘とよばれるきれいな円錐形になります。火口から噴出したスコリアは、大きく重いために、遠くに飛び散ることなく、周辺に落ちていきます。最初は火口を中心にドーナツ状にスコリアの山が形成されていきます。スコリアの量が増えていくと、だんだんこの山は成長していきます。やがて、火口を覆いつくすほどに成長します。その成長は、噴出するマグマの量や火口の規模によって、数週間から数年の間で形成されると考えられています。そして、中心部の火口はスコリアを噴出したところですから、くぼんだまま残されます。
 砂山などと同じようにスコリアの礫が集まってるつくる山も、最大傾斜角が30度で安定します。これが、きれいな円錐形をつくるしくみです。この30度という角度は、スコリア丘の規模と関係なく物理的に決定されるものです。ですから、スコリア丘はどこでも似たようなきれいな円錐形となります。
 米塚では、スコリアだけでなく、玄武岩の溶岩も流しています。この玄武岩の溶岩は、どうもスコリア丘より後から流れ出した可能性があります。それは、スコリア丘の北側には、流れ出した溶岩が盛り上がった地形が見つかっています。
 マグマがスコリアとしてたくさんのガスを放出してしまうと、マグマの中のガスが減少して、溶岩が流れ出ることが知られています。溶岩はスコリアの密度の2倍から3倍ほどありますので、スコリア丘の上まで上がることなく、スコリアの下を潜り抜けることがあります。このような現象は伊豆の大室山でも観察されています。
 ときには、上のスコリアを崩して、破片を浮かべながら流れ出すことも知られています。それのような現象は、山口県むつみ村の伏馬山で観察されています。
 阿蘇山とは、想像絶する巨大で激しく荒々しい火山活動の結果できたものなのですが、その荒々しさの中にも、米塚のようなたおやかさ、カルデラ内の平地ののどかさがあります。そんなコントラストを雪の阿蘇山で見ました。

・米塚・
米塚とは変わった名称です。
阿蘇神社の祭神である健磐龍命(たけいわたつのみこと)が、
収穫した米を積み上げてできたという伝説があります。
これは、神話ですが、スコリアを積み上げてできたという形成史と
妙に一致して面白い伝説です。
また、米塚の頂上のくぼみは、
健磐龍命が貧しい人達にお米を分け与えた名残だとされています。
いい話なのですが、本当のところは、
スコリアが噴出した火口の名残なのです。
どうせなら、米塚から流れ出た溶岩のつくっている
なだらか地形にも伝説が欲しいところでしたね。

・温室イチゴ・
私が訪れたときは、雪で、砂千里ヶ浜も草千里ヶ浜も、
「雪千里ヶ浜」となり、見分けがつきませんでした。
しかし、近くの人たちでしょうか、
ソリやスキーをもってきて、
雪遊びをしている人がたくさんいました。
阿蘇山の初日が、雪で予定していたところがいけなかったので、
その日は、白水村周辺をうろついていました。
すると温室がたくさんあり、寒い中に無人販売がありました。
そこではイチゴが売られていました。
北海道から来た人間には信じられない光景ですが、イチゴを味わいました。
たまたまその農家の方がこられたので聞いたところ、
暖房をしながら温室でイチゴを作っているとのことでした。
少々高いイチゴでしたが、農家の湧き水で洗わせてもらって、
一足早い春を味わうことができました。