2007年12月15日土曜日

36 幌尻岳:石を愛でる楽しみ(2007.12.15)

 地質百選の中に、北海道の幌尻岳の七つ沼カールが選ばれています。今回は、幌尻岳を紹介します。幌尻岳は、私が地質学を目指したときに出会った山でもあります。

 地質百選というものを御存知でしょうか。2007年10月に「日本列島ジオサイト地質百選」(ISBN978-4-274-20460-9 C3051)という本が出版されたので、目にされた方もおられるかもしれません。
 もともとは、NPO地質情報整備・活用機構と(社)全国地質調査業協会連合会が、地質を中心とした自然で、保全、活用、災害防止、観光などの目的で、全国から「地質百選」を募集したものです。
 この本の中で、北海道からは7箇所が選ばれています。知床半島、白滝(黒曜石)、神居古潭渓谷(変成岩)、夕張岳(蛇紋岩メランジェ)、夕張(石炭の大露頭)、有珠山・昭和新山、そして今回紹介する幌尻(ぽろしり)岳(七つ沼カール)です。
 このエッセイは、行ったところを題材にしていますので、神居古潭渓谷と有珠山は、すでに紹介しました。しかし、知床半島、白滝、夕張岳、夕張はまだ行っていないので紹介できません。そのうち、行こうと思っています。
 幌尻岳は、一度は登り、もう一度は近くの山から眺めたことがあります。ずいぶん前のことなので、記憶もはっきりしないので、取り上げることに躊躇していたものです。しかし、これからしばらく行くことはなさそうなので、今回思い切って取り上げることにしました。
 私の幌尻岳への登山は、私自身の地質学や地質調査への目覚めの時期でもあります。私は大学2年生の夏に地質学を始めると決意して、N先生とA先生に連れられて、はじめて日高山脈に入りました。そのときが、私にとっては、はじめて本格的な沢登りによる地質調査でした。キャンプの道具や食料もすべての荷物を自分で背負って、わらじと地下足袋をはいて、新冠(にいかっぷ)川を遡上しながら調査をしていきました。私と同級生の友人が、二人の先生の野外調査に同行させてもらいました。2泊のキャンプをして、調査をしました。今思えば、同行というより、足手まといにすぎなかったでしょう。ただただ付いていくのがやっとでした。しかし、私にとっては、それまでに味わったことのない経験で、強烈に印象に残っています。
 谷の合間から幌尻岳の白い山容が見えました。新冠川がどこまで行っても川は細ることなく、嶮しくなっていくだけでした。新冠川の源流が、日高の主峰ともいうべき幌尻岳でした。
 3年生になって、夏に進級論文で数週間、学科の学生全員が定められた地域で、野外調査をしました。その野外実習の後の9月には、奥新冠ダムで先生の知り合いと先輩が調査に入っていたので、そのグループに、N先生とA先生、例の友人と私が、合流して調査に加わることになりました。一日を、幌尻岳の登山にあててもらいました。その時、はじめて幌尻岳の山頂に立ちました。しかし、もともと登山が目的でなかったため、あれよあれよというまに山頂に立ち、下山してきました。
 新冠川は、幌尻岳の北東に位置する七つ沼カール源流とします。新冠川の支流の幌尻沢沿いに、幌尻岳の南側の登山道があります。そこを利用して、私は山頂に立ったわけです。
 幌尻岳へは、他に北側の登山ルートが二つあります。ひとつは沙流川の支流の額平(ぬかびら)川から直接幌尻岳に登山するルート、もう一つは、同じく沙流川の支流の千呂露(ちろろ)川から戸蔦別(とったべつ)岳を経由する稜線のルートがあります。
 4年生の夏に千呂露川のルートから、北戸蔦別岳から戸蔦別岳にいきました。私はその時期には、卒業論文で、新冠川より南にある静内川に野外調査のために入っていた。調査も一休みして、N先生といつもの同級生、そして下級生2名のチームに合流しました。戸蔦別岳の麓の水場でキャンプをして調査をしました。そのときも、N先生の調査に同行するのが、主な目的でした。
 幌尻岳周辺のいずれの調査も、私自身は、先生や先輩の手伝いで、自分自身が、地質学的な目的をもった野外調査ではありません。ですから、石や石の出かた(産状といいます)を、いろいろ見るだけで、地質学的な研究をしていたわけではありませんでした。しかし、後で思い起こすと、実は重要なことを学んでいたのだと気づきました。
 標高2052mの幌尻岳は、日高山脈の中でも最高峰で、山も奥深く、アプローチが長く、日帰り登山が不可能な山です。登山ルートはあっても、沢登りもしなければなりませんので、なかなか頂上を極めるのが大変な山です。その山を、登山ではなく、道なきところへ分け入り、調査する地質学者もいるわけです。同行したいずれの調査でも、先生や先輩たちは、真剣に野外調査に取り組んでいました。私が、登るのもやっとのような沢でも、彼らは、黙々として、そして喜々として調査をしてました。それをみて、地質調査、地質学、科学というものは、それほど面白く魅力的なのだということを、見せつけられた思いでした。
 その頃からでしょうか。景色や自然をただ愛(め)でる楽しみより、石や地質を愛でる楽しみのほうが強くなったのは。私も、石と地質の魅力に引き込まれました。今では、若い頃のような体力はなく、多分これからは幌尻岳のようなところへは登れないでしょう。かといって、残念でもありません。頂上を目指すことが地質学ではなく、そこに調べたいものがあるから、調査をしにいく通過点にすぎないのです。たまたま頂上にも調べたいものがあるのなら、調査の一環として頂上に向かうでしょう。ただ、それだけのことです。
 もし地質学者が頂上だけを目指すのであれば、それは趣味というべきでしょう。4年生の卒業論文で野外調査をしている時、調査地の近くにあったペテガリ岳や、少々遠いですがアポイ岳に、趣味として登っていました。これは地質調査ではなく、頂上だけを目指すことだけが目的でした。早くたどり着き、すぐに降りてくる。登ったという実績、経験だけが重要でした。まあ、あのころは体力があったので、そんなこともできたのですが。
 最後になりましたが、幌尻岳周辺の地質を紹介しておきましょう。
 日高山脈は、かつては大きな山脈ではなく、海に列島があっただけでした。列島の東側にも海がありました。列島の東側の陸地は、オホーツク古陸と呼ばれ、多くの堆積物を海に流し込んでいました。西側の陸から供給された堆積物も見つかっています。
 海には沈み込み帯があり、今では日高山脈と平行に南北に伸びる白亜紀頃に形成された神居古潭帯と呼ばれる地域にあたります。その後(新生代中新世)、沈み込み帯が東にジャンプし、海洋地殻が列島の地殻にくっついて、両方ともめくれ上がってきました。それが日高山脈を形成したと考えられます。
 日高山脈には、列島をつくっていた岩石(新生代中新世)と海洋底をつくっていた岩石(白亜紀)が見えています。日高山脈の伸びる方向に沿って、両岩石が並んで分布しています。海洋地殻をつくっていた岩石(オフィオライトと呼んでいます)が、現在の幌尻岳では、その様子が良く見えます。そのために、幌尻岳を中心として分布する海洋底の岩石は、ポロシリ・オフィオライトと呼ばれています。
 N先生は、地殻下部からマントルの岩石(斑れい岩やカンラン岩)を、A先生は地殻下部の変成岩を、それぞれ調べておられたのです。今では、その調査の意味もわかっているのですが、当時の私は、日高山脈の雄大さと、初めての経験の連続で、地質学の内容を充分味わうことができませんでした。
 日高山脈は、新しい時代にできた急峻な山並みです。北海道のような高緯度であったため、氷河期には、山岳氷河が山脈に形成されました。今では氷河は残っていませんが、氷河の痕跡が、日高山脈のあちこち残されています。
 幌尻岳が地質百選に選べれた理由は、カールやモレーンなどの氷河地形が幌尻岳の周辺にはいくつもあるためです。戸蔦別岳の南東斜面には、七つ沼カールがあり、幌尻岳の北側には北カールがあります。カールには、どんなに雨が少ない時期でも、水場があり水が枯れることなく確保できます。そのカールに溜まった水を飲んで、私たちはキャンプや調査をしていたのです。

・83箇所・
地質百選には、全国から約400箇所の応募がありました。
今回83箇所が選ばれました。
関係自治体に通知して了承を得た後、
認定書を送付して公表されました。
地質学的な選定基準として
日本の地史として重要なもの、代表的な岩質(堆積岩、火成岩、変成岩)、
特殊な鉱物(ヒスイ)の産地、地質とかかわりの大きい地形、
地殻変動(褶曲や断層)、鉱山や人文遺跡、火山、防災
などから代表的なところが選定されました。
なぜ100箇所でないのか、不思議ですが、
これは、2007年5月現在の第一次選定の結果です。
残りの17箇所は、新たな立候補も受け付け
選定を続けるため余地を残されています。
是非にと考えておられるところがあれば、
応募されたらどうでしょうか。

・師走・
いよいよ今年も押し詰まってきました。
残り半月となりました。
北海道のわが町では、11月に降った雪が消えることなく、
昨日は大雪が降りました。
これで根雪になるのでしょうか。
そろそろ来年のことも考えるようになっていきました。
それより前に、今年にすべきことを、
終わらせるべきことを、
あせる時期になりました。
でも、考えてみると、いつもばたばたしている気がします。
落ち着いて何かをすることが、
最近なかなかできなくなったような気がします。
何かに追われながら、つぎつぎと仕事を
ただただ、こなしているような気がします。
これで、いいのだろうかと、ついつい考えてしまいます。
そんな悩みも、師走は吹き飛ばしてくれます。