2008年1月15日火曜日

37 沖縄バン岬:科学が教える大地の悠久(2008.01.15)

 以前にもこのエッセイでは、沖縄を紹介をしたことがあるのですが、もう一度、登場です。今回は、ある小さな岬の地層にこだわって紹介します。その岬は、バン岬と呼ばれ、沖縄中部の太平洋側(南東側)に面した海岸にあります。

 沖縄には、何度が訪れています。それぞれ私なりの目的があったのですが、昨年春に訪れた時の目的は、褶曲した地層を観察することでした。「私なり」といったのは、家族連れで出かけているので、家族サービスをしなければなりません。ですから、私が家族をつれて自由に石をみにいけるのは、せいぜい1日か2日です。
 子供か小さかったときには、私がでかけるところは、どこもで文句をいわずについてきたのですが、それなりに楽しんでいました。しかし、大きくなると、それぞれ行きたいところや、やりたいことがでてきて、そうそう私の自由に行動できるわけではなくなりました。そのような限られた時間で優先順位をつけたとき、一番の目的地が、バン岬の地層の褶曲をみることでした。
 写真では何度も見ていて、ぜひ見てみたと思っていた褶曲でした。日本列島には、同様に褶曲した地層が、あちこちにあります。でも、地質案内で扉の写真でみた褶曲が、なぜか心に残っているのです。
 目的の褶曲は、国頭(くにがみ)層群の中の嘉陽(かよう)層と呼ばれるものに見られます。嘉陽層は、中期始新世の中ごろ(4千数百万年前)にたまった地層です。目的の褶曲は、天仁屋(てにや)川という小さな川の河口から、海岸沿いを2kmほど南西に向かって歩いていったところにあります。少々不便なところにあるうえに、引き潮でないとバン岬までたどり着けません。
 本当は大潮の時にいくのが一番いいはずなのですが、1週間の滞在で一番潮の引く時、そして晴れて海が穏やかな状態にある時でないとたどり着けません。ですから、予備日を見越して余裕をもって、出かける日を狙っていました。
 実は、この海岸に来るのは2度目でした。一度目は、子供がまだ小さかったので、1時間も海岸線を歩くことはできないと思って、海岸に来て見ただけでした。
 人気のない海岸は、快適でした。南国の海の開放感と太陽のまぶしさを感じていました。古い海の家の跡があるのみで、今では草むらと化しています。自然の海岸が、そこには広がっていました。その海岸を見て、次回はぜひ、この海岸の向こうにあるはずの褶曲を見たいと思いながら引き返しました。
 2度目に訪れた時は、褶曲を見ためにバン岬に向かうことにしました。潮がちょうど引く時間帯をねらって出かけました。3月下旬でしたが、快晴の中、海岸を歩き始めました。1時間ほど海岸を歩くと、子供たちは暑さに参ってしまいました。それでも子供たちを、なだめすかしながら歩いて、やっと見覚えのある大褶曲の露頭にたどり着きました。
 大褶曲だけでなく、地層がのた打ち回っているような景観は、奇異で目を惹かれます。単に奇異ではなく、そこには、小さな人間が圧倒される迫力がありました。そんな地層を眺めながら、自分が持っている地層の形成や褶曲の形成の理屈をひねくりまして、どうしてできたかに考えをめぐらせていました。
 地質学者たちが、現段階で得ている知識によれば、以下のような褶曲の形成史が編めます。
 嘉陽層がたまったのは、暖かい海の大陸斜面の深度3500から5500mの海溝近くのだと考えられています。そのようなことがわかるのは、地質学者たちが、海岸を歩きながら詳細に調査した結果です。地層のある面に、生物の這い回った跡が残されています。これも一種の化石で、生痕化石と呼ばれています。このような這い跡のうち、特徴のあるものは、どのような生物が這い回ったからもわかっています。そしてそのような生物の中には、現在にも似たものが生きていて、それらの生息環境と這い跡を比べれば、どのような環境かがわかります。似た這い跡が海溝付近でも見つかっています。這い跡の類似性から、生物の住む海底の深度が推定されています。また、地層に含まれている化石から、暖かい海であることもわかります。
 大褶曲は、砂岩から泥岩への変化している一連の岩石が、一つの地層を構成しています。このような一枚の地層を単層と呼んでいます。単層が何層も繰り返し重なって厚い地層が形成されていきます。
 一見静かな深海底に、砂の成分の多い乱泥流が流れ込みます。乱泥流に襲われた生物は生き埋めになったことでしょう。乱泥流が収まると、再び生物が復活します。もちろん、生物の復活にはそれなりの時間が必要です。しかし、地質現象には充分すぎるほどの時間があります。
 たまたまきれいに均された海底を生物が這いまわり、その上に這い跡を消すことなく、上手く砂が覆いかぶさった時に生痕化石が形成されます。ですから、生痕化石がどの地層面からでも見つかるものではありません。条件がよければ残るということです。しかし、大量にある地層からは、生痕化石が、よく見つかります。ですから、嘉陽層をためた海底は、生痕化石を残すに適した場所だったのでしょう。
 ひとつの地層は、数時間から数日という短時間で形成されますが、次の地層がたまるまで、長い時間が経過します。数十年、数百年、時には数千年間、何も起こらない時期があります。そん不連続な地質現象の繰り返しが、地層には刻まれています。
 海溝とは、海洋プレートが別のプレートの下に沈み込む場所です。そのような海溝近くの大陸斜面の地下では、プレートに押されて、地層には曲がるような力が働きます。その時、地層の状態によって、さまざまな曲がり方をします。
 まだ固まっていないで水をたくさん含んだ地層が圧されると、地層は割れれるこなく、複雑に曲がっていきます。また、砂岩には不規則な洗濯板のようなでこぼこ(ムリオン構造と呼ばれます)ができることもあります。
 砂岩の水分がなくなり、泥岩の水分が残っている場合には、泥岩の部分だけが分厚くなったり、割れた砂岩の中に泥岩が流れて進入したりすることがあります。
 砂岩も泥岩も固まっている時、大量の土石流が新たに流れ込んでくると、もともとあった地層が削られることがあります。削った土石流の中には、化石が見つかることがあります。嘉陽層では、破片になっていますが、貨幣石が見つかりました。貨幣石とは、有孔虫とよばれるプランクトンの一種で、地質時代を区分するに古くから用いられていました。貨幣石から、時代を決めることできました。
 さらに長い時間が経過していくと、すべての地層は硬くなります。プレートの沈み込みが続くと、海溝付近の大陸斜面にはつぎつぎと地層がたまります。そのような地層に圧されて、古い地層が陸上に顔を出します。このようなでき方をした地層を、付加体と呼びます。日本列島のような海洋プレートが沈み込んだ陸側のプレートでは、付加体が海溝と並行にできます。嘉陽層は、沖縄本島ではもっと南東側にあるため、もっとも新しい時代の付加体となります。
 曲がりくねった地層を詳細にみていくと、長い時間に渡って、何段階もの大地の営みが作用していることがわかります。地質学者は、圧倒されそうな大褶曲を前にしても、詳細な調査や研究をぬかることなく続け、褶曲の中に隠されている大地の歴史やメカニズムを解き明かしていきます。褶曲という大地の圧倒的な力による自然の営みを、ささやかな力しか持たない人間が科学によって解明していきます。そんな自然と科学のせめぎあいが、そこにありました。
 私は、崖の前にたたずみ、なぜ無機質の地層がこのような迫力を持つのだろうか、と考えていました。人気のない海岸にただそびえる褶曲した地層の崖に、迫力を感じるのは、単に大きいだけでなく、大地の営みの悠久さを、科学が教えくれ、感じさせてくれるためなのかもしれないと思い至りました。
 私が見た大褶曲の露頭は、いくつかある写真の一部でした。しかし、一番見たかったのは、倒れてくしゃくしゃに曲がっている褶曲でした。大褶曲の露頭の向こう側に、その褶曲があるように思えました。しかし、そのためには、崖を少し登り、まわりこまなければなりません。その時は、子供たちが体力的にそれ以上進むのはムリでした。そのために、残念ながら、この大褶曲が今回の終点となりました。でも、もし次回、沖縄へいく機会があれば、今度はぜひとも、写真の褶曲を見てみたいと考えています。

・ライフワーク・
月刊メールマガジン「大地を眺める」も、
今年で4年前に突入します。
この連載は、北海道地図株式会社さんとの共同で始めた企画です。
私は、自分の興味や研究上のために日本各地をめぐっています。
その研究成果は科学普及のためにも利用しています。
北海道地図さんから数値標高のデータを提供いただいて、
エッセイの内容をよりわかりやすくするために、
データ処理を行い地形や地質を示すようにして公開しています。
できれば、日本全国をもれなく、
地質や地形を紹介していくつもりでいます。
しかし、ホームページを見ていただくとわかるのですが、
全国を網羅することは未だにできていません。
まだまだ、道半ばです。
いつ完成するかわかりませんが、
気長にライフワークとして取り組んでいこうと思っています。

・沖縄行・
昨年春に、沖縄のバン岬に行きました。
沖縄は、私が住んでいる北海道からは遠いところです。
その時は、JALの直行便があったのですが、
いまでは、直行便がなくなり、乗り継がなければなりません。
少々、遠く感じるようになりました。
我が家の長男が乗り物に弱いため、
乗り継ぎでは、時間が余計にかかり
行くのを躊躇してしまいます。
今年の春休みもできれば行きたいのですが、
どうなるかは、まだ未定です。