2008年8月15日金曜日

44 然別湖:思い出と悠久の思い(2008.08.15)

 夏休みに北海道の十勝平野の北はずれの然別周辺を回りました。然別は、十勝平野を見下ろす火山でした。その山頂から、若かりし頃の思いに浸りました。

 今年の夏休みは、8月上旬に北海道の十勝に出かけました。今年の夏の北海道は快晴に恵まれ、抜けるような青空の中を旅行することができました。十勝平野の奥にあたる十勝川やその支流沿いを、うろうろと巡りました。
 家族は、避暑を兼ねて山間の温泉に浸り、名物を食事して、陶芸や熱気球、ベアマウンテンなど、夏を満喫するようなレジャーを楽しむのが目的でした。
 私には、二つの目的がありました。ひとつは、東ヌプカウシヌプリ(1252)か天望山(1174m)、白雲山(1186m)のいずれかに登りたいと思っていました。登山がダメでも、然別湖の湖畔の奥にある東雲湖まで歩きたいと考えていました。もし山に登ることができれば、南側に広がる十勝平野と北側に広がる然別湖、そして北側に広がる然別湖から石狩岳山系の山並みを見ることができるこしれません。
 もうひとつの目的は、大学生の時代に山小屋設立委員会という組織に参加して寄付を集めや山小屋建築に加わっていました。その山小屋が、東ヌプカウシヌプリの南東山麓にありました。大学1年生の時に、士幌町から提供を受けていた候補地から、最終的に山小屋を立てる位置を決定するために、その地を訪れました。その後、仲間とやぶこぎをして白雲山の頂上に立ったことを覚えています。2年生の夏には、山小屋建築の手伝いをしたあと、キャンプをして然別湖の東岸を歩いて回りました。
 然別は、私の学生時代の思い出の地ともいえます。2年生の秋に山小屋は完成したのですが、3年生の冬に友人と宿泊に行ったきり、その後は山小屋に行くこともなく、記憶から完全に抜けていました。今年は設立30周年にあたり、山小屋がどうなっているかを、チャンスがあれば見てみたいと思っていました。
 北海道の新しい時代(第四紀)の火山は、2つのグループに分けることができます。ひとつは、東北日本からつながる道南の西南北海道火山地帯です。道南の火山は、東北日本弧と呼ばれる地帯に属することになります。
 もうひとつは、千島列島からつらなる阿寒-知床火山地帯と、その延長で大雪山を中心とする大雪-十勝-然別火山地帯があります。火山のない地帯は、常呂帯が分布しています。こちらの火山は、千島弧と呼ばれる地帯に属します。
 西南北海道火山地帯と大雪-十勝-然別火山地帯の間の火山のない地帯には、礼文・樺戸帯と空知・エゾ帯があります。
 北海道の火山の分布の特徴は、日本列島の大きな地質構造を反映しています。日本列島の太平洋側の海底には、日本海溝と千島海溝があります。実はこれら2つの海溝は、襟裳岬の南東沖で折れ曲がっています。海溝とは、海洋プレートが沈み込む場所です。その沈み込む場所が折れ曲がっていれば、当然、陸地側にも影響があります。
 まず、北海道の火山の並びをよくみると、地帯ごとに火山の並びができています。その火山の並びは、海溝の伸びる方向と斜交しています。このような斜交している状態を、雁行(がんこう)状と呼びます。雁行とは、雁が飛んでいく時のできる編隊の形に似ていることです。このような雁行状の火山は、沈み込むプレートが、陸地に対して折れ曲がっているためにできた割れ目に、対応していると考えられています。
 また、火山地帯内の個々の火山は、海溝からの距離に応じて、化学組成(二酸化珪素SiO2に対する酸化カリウムK2Oや酸化鉄FeOなど)が変化していることもわかっています。
 これらのデータは、火山の位置やマグマの性質が、地下深部の地質構造を反映していることを意味します。
 さて、然別湖の周辺の山々ですが、その多くは、新しい時代の火山からできています。新しい時代の火山は、然別火山群と呼ばれ、大雪-十勝-然別火山地帯の最南端に当たります。東ヌプカウシヌプリ(標高1252m)、白雲山(1187m)、天望山(1174m)が然別火山群に属し、他にも、北ペトウトル山、南ペトウトル山、西ヌプカウシヌプリ(1256m)などもあります。
 然別火山群の火山をつくったマグマは、安山岩質で、溶岩ドームを形成してます。大小10個の溶岩ドームが見つかっています。東雲湖や東ヌプカウシヌプリと西ヌプカウシヌプリの間にある駒止湖、白雲山の南から西の切れ込んだ斜面は、爆裂火口の跡です。然別火山群の南のなだらかな麓は、古い溶岩ドームが崩れた火砕流堆積物や岩屑なだれ堆積物が広がっています。また岩砕なだれ特有の流れ山の地形もみられます。
 活動の時代は、南ペトウトル山(31万年前から)や北ペトウトル山(22万年前から)などの然別湖の西側にある火山が活動をはじめ、南側の火山に活動が移ります。南側の火山活動をはじめる前に活動した瓜幕軽石流堆積物の年代測定(14Cによる放射年代)は、3万1920年前より古いことがわかっています。その後、ドームを形成する火山活動が起こります。そして、白雲山がもっとも最近の火山活動となります。
 然別湖は、これらの火山活動によって、然別川の支流のヤンベツ川がせき止められてできた堰止湖になります。然別湖の西岸を巡る道路は、然別湖から下るときは、ヤンベツ川から離れ、西ヌプカウシヌプリの山腹をめぐるように進みます。その道路わきに、展望台があります。そこから眺める扇ヶ原のなだらかな斜面、そしてその先には十勝平野が広がっています。このなだらかな斜面が、激しい火山活動によってできたものです。
 東ヌプカウシヌプリの麓には、士幌高原ヌプカの里という施設ができていました。そこを見学するために、車で斜面を登っていきました。その途中にチセフレップという看板を見つけました。
 チセフレップとは、私が学生時代に設立に参加した山小屋の名前でした。今も大学の恵廸寮の後輩たちが守って、利用していました。ヌプカの里にいった帰りに、チセフレップの山小屋に立ち寄りました。改装中で足場が組まれていましたが、見覚えのある赤い三角屋根を見ることができました。もう帰る時間だったので、長居はできませんでしたが、懐かしい思いに浸ることできました。
 然別の山の頂上から、若かりし頃の思い出と、大地の悠久の思いを感じてしまいました。

・裾野・
十勝平野と火山の堆積物の交わる付近に
瓜幕の町があります。
自衛隊の駐屯地があり、
扇ヶ原は自衛隊の演習場となっています。
私が訪れた時は演習は行われていませんでしたが、
周辺の道を走っていると、
自衛隊の車両にたくさんあいました。
演習場があるため、
山の裾野を巡る道路は分断されています。
そのため、大きく迂回をしなければなりませんでした。
時間に余裕があったので、
然別の周辺をいろいろ巡ることができました。

・白雲山・
白雲山に最終的に登ったのですが、
当初は東雲湖まで湖畔沿いの平坦な散策道を
歩く予定でいました。
ところが、生い茂る木で展望もよくなく、
あまり面白くない散策で少々私は飽きていました。
途中で、白雲山に登る分かれ道があり、
そこで休息していました。
ちょうど、その時、白雲山から下山してきた夫婦がいました。
まだ、朝10時頃だったので、簡単に登れそうだと思い、
急遽登山をすることにしました。
ところが、この登山道は、踏み後ははっきりしているのですが、
手入れがあまりされておらず、
クマザサが覆いかぶさるように茂っていました。
家内はバテ、次男がクマザサに悩まされながらも、
いまさらこんな道を戻るのはいやだという思いで、
皆頂上に立つことができました。
苦労の末の登頂だったので、その感激は皆ひとしおだったようで、
疲れてはいましたが、眺望を楽しみました。
子どもたちは、山頂が岩山だったので、
疲れも忘れて岩登りをして遊んでいました。
元気なものです。
どれくらいかかるか分からなかったので、
昼食できるような軽食と十分な水や飴玉を
用意していたので、無事下山してきました。
帰りは、正規の整備された登山道を降りてきました。