2009年1月15日木曜日

49 天橋立:水面下にもある橋

 2009年の最初のエッセイとして、日本三景の一つの天橋立を紹介しましょう。天橋立は、砂州のなす形だけでなく、白砂と松の緑、海の青が織り成すコントラストが、景勝地と見ごたえのあるものにしています。

 息子たちが通っている小学校では、冬には百人一首をやることになっています。私は北海道に来てはじめてその存在を知ったのですが、取り札が木でできているものを使って行われています。木の札には、読めそうもない崩した草書のような字体で下の句が書かれています。昔ながらの札を使っているのではなく、現在も店で売っていっています。我が家でも一セット購入しました。
 ゲームは3人ずつの団体戦で行われます。下の句だけを読んで取り合うもので、源平合戦と呼ばれる北海道固有の競技のようです。我が家でも、冬になるとやっています。
 百人一首には、よく日本各地の景勝地も詠まれています。残念ながら北海道の景勝地は入っていませんが。私も高校時代に百人一首を覚えたものですが、いまだにいくつも記憶に残っています。
 その一つに、和泉式部(いずみしきぶ)の娘、小式部内侍(こしきぶのないし)の詠んだ
  大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立
という歌があります。
 その歌が心に残っているのは、大江山(カンラン岩でできていることで有名)も生野(生野銀山として古くから有名)も、いずれも地質学では有名なところです。地質学でその地名を聞くたびに、ついついこの歌を思い出してしまいます。いずれの地も、私が大学院時代に、地質調査に出かけた記憶に残るところです。
 天橋立も大学院時代にいったのですが、調査をしたことはありませんでした。昨年の春、再度訪れました。今回は、家族連れでの観光なので、天橋立を徒歩で歩くということもやってみました。のんびりと歩いても、1時間ほども歩けば渡れる距離でもあります。帰りは、船で天橋立を眺めながら帰ってきました。
 天橋立は景勝地として有名ですが、地質学的に興味深いところでもあります。
 天橋立は、北の江尻から、南の文殊にかけて、延長は約3.6kmあり、幅は20~150mもある砂洲です。この砂州は、野田川が運んだ土砂や日本海沿岸から海流によって運ばれた砂礫によって形成されてたものです。
 砂州は、南北に伸びた宮津湾の南側に形成されています。宮津湾の西南に膨らんだ入り江の部分を、南北に区切るようにあります。砂州の内側の海は、阿蘇海(あそかい)と呼ばれています。
 阿蘇海は、砂州の内側になった海跡湖とよばれるもので、日本海では、海跡湖としては、面積に比べて深い深度を持つことが特徴となります。阿蘇海は、2箇所で宮津湾で海につながっています。つまり、天橋立は、海を完全に閉ざしている砂州ではなく、南側で海につながる水路があります。阿蘇海は、砂州が切れて宮津湾へとつながっていますが、狭い水路なので海水の循環が悪く、富栄養化が起こり問題となっています。
 天橋立には、他の砂州にあまり見られない固有の特徴があります。
 まず、天橋立の両側の海底へ向かう斜面は、宮津湾側で20m、阿蘇海でも12mの水深があり、急斜面となっています。天橋立は、深い海に20m以上の厚さで堆積した、そして急傾斜の砂州という特徴を持っています。つまり、深い海底に唐突つけられた一筋の陸路のようになっています。
 天橋立では、松の緑が白砂に映えています。このクロマツの松林は、その数、5000本とも8000本ともいわれるほどあります。海の中に形成された砂州に松林があるのは、少々不思議です。なぜなら、海の中の砂州で掘れば海水が出てくるはずなのですが、地下に淡水があるということです。
 淡水は海から運べませんから、陸から地下水が流れていることになります。砂州の南側には、「磯清水」とよばれる淡水の井戸があります。実は、天橋立は、砂州全体にわたって、60cmから1.2mほどの深さで地下水脈があります。このような地下水脈は北側の江尻側から流れ込んできているものと思われます。天橋立は、淡水の地下水が流れる砂州という特徴があります。
 砂州の中なのに真水の出る「磯清水」があるのをみた和泉式部(いづみしきぶ)は、その不思議さに、
  橋立の 松の下なる 磯清水 都なりせば 君も汲ままし
と詠みました。
 さて、天橋立と呼ばれる砂州は、いつどのようにしてできたのでしょうか。
 阿蘇海に流れ込む野田川があります。この野田川は、断層に沿って流れている川です。その断層は、山田断層とよばれ、非常に大きなものです。山田断層は、北東から南西に33kmほどの長さ延びていることが確認されています。この断層は、北西側が隆起し、北東に移動する(右にずれ断層)という動きをしています。山田断層は、1927年の北丹後地震で活動しています。
 約2万年前の最終氷河期には、海水準は100mほど今より低かったと考えられています。氷河期が終わり、海水準が高くなり、6000年前の縄文海進のころには、現在より2mほど海水準が上がったと考えられています。野田川沿いに堆積した地層との対比から、縄文海進のころから、砂州の形成がはじまったと考えれています。
 砂州は、海流や沿岸流、河川の状態、土砂の流量など、さまざまな要因で変動を受けて変化します。ですから、砂州は、安定したものではなく、要因が変化すれば、その形状も変形するものです。現在、天橋立は、阿蘇海を閉ざすほどの長さがありますが、第二次世界大戦以降、砂州の侵食が起こっています。それは、治水のために作られた河川のダムによって、海に流れ込む堆積物が減ったためだと考えられます。1987年からは砂州を守るために、サンドバイパスを設け人工的に砂州の地形の維持しようと努力されています。
 室町時代に活躍した水墨画家で禅僧でもある雪舟も、天橋立にきて描いています。その絵は現存しており、国宝「天橋立図」として、京都国立博物館に所蔵されています。
 この「天橋立図」は、雪舟が晩年の1501~1506頃に書いたことがわかっています。雪舟観(せっしゅうかん)と呼ばるところとから見たもので、東側から天橋立を見下ろす構図になっています。その絵を見ますと、天橋立は南の文殊側が、広く開いた形状となっています。ですから、砂州は今よりずっと短かったことがわかります。
 日本三景は、古くから日本でも有数の名勝地となっています。Wikipediaによれば、江戸時代前期(17世紀)、儒学者・林春斎という儒学者が書いた「日本国事跡考」の中で「丹後天橋立、陸奥松島、安芸厳島、三処を奇観と為す」と書き、それ以降日本三景がはじまったとあります。
 陸奥松島とは、現在の宮城県宮城郡松島町の沿岸の多島海の景観です。安芸厳島とは、広島県廿日市市にある厳島神社を中心とした宮島のことです。今では、「安芸の宮島」のほうがよく聞かれます。海上の赤の大鳥居と海の上に建てられた社殿が有名で、国宝にも指定されています。
 日本三景のうち、「安芸の宮島」の厳島神社は1996年に世界遺産に登録されました。天橋立も世界遺産への登録の努力はされていますが、いまだに実現されていません。その理由は、夏の海水浴客がたくさん来て、観光地化して自然が保護されづらいこと、また砂防のために人工物が多数設置されていることもハンディになるかもしれません。
 景勝を守るために、自然を大きく改変するのは主客転倒かもしれません。やむにやまれぬ、それなり理由があるのでしょうが、自然に人間が関与するのもほどほどにしておくほうがいいでしょう。まして、砂州とは地質学的は短時間で変動するものです。そこに砂防をしても、自然の変化を押し込めることはできないでしょう。それにそのような対策を施された自然景観は本当の自然景観といえるのでしょうか。今回の旅で、その不自然さを強く感じました。
 天橋立は、自然が時間をかけて、深い海底にできた分厚い堆積物の架け橋です。その橋の中には、地下水が流れています。地下水によって、多数の松が育ちました。この架け橋は、まるで生きているかのように、変移し続けています。自然の変化を止めることは、自然を守る正しいやり方でしょうか。自然の変化をも受け入れられる精神が必要ではないでしょうか。あるがままの自然を受け入れた上で、愛(め)で慈(いつく)しむ気持ちこそ、大切ではないでしょうか。

・砂州から砂嘴へ・
天橋立は、地形の上では砂州と呼ぶべきです。
砂州とは、離れた二つの陸地がつながるほど延びたもので、
つながらず離れていたり、海に突き出ているものを
砂嘴(さし)と呼んでいます。
砂州と砂嘴は、その形成のプロセスは似ていますが、
その状態が陸続きのようになっているかどうかが違いといえます。
ですから、砂州が侵食され離れていけば、
砂嘴と呼ぶべきものになります。
雪舟のみた天橋立は、砂嘴というべきものかもしれません。
もし、侵食で天橋立が砂州から砂嘴になったら、
そこは景勝地ではなくなるでしょうか。
少なくとも、500年前には景勝地でした。
変わることを拒んではいけません。
変わることを受け入れるべきでしょう。

・ネタ不足・
今回のメールマガジンは、発行が少し遅れました。
私の怠慢のせいです。
申し訳ありませんでした。
その背景には、少々ネタ不足になってきました。
最近、でかける余裕がなくなってきたためです。
もっといろいろなところに出かけたいのですが、
なかなかそうもいかなくなってきました。
少なくなったとはいえ、
昨年も春休みと夏休みに1週間ずつ出かけています。
それでも、はやり少ないようです。
本当はもっと出かけたいのですが、
現実的には段々難しくなってきます。
来年度は、講義日程ももっときつくなります。
次回以降、このエッセイも
やりかたを少々考えなければならないかもしれませんね。