2009年11月15日日曜日

59 三笠山:複雑さと誤謬

 9月下旬に、奈良を訪ねました。そのときに垣間見た若草山から、奈良盆地の火山に思いを馳せました。思いは、奈良時代から地質時代へと巡ります。そして、出回っている説には、いろいろ誤謬があることに気づきました。誤謬の原因は、一つには複雑な来歴に由来するものです。複雑の生む誤謬が生んだ、誤謬を見ていきます。

 春のゴールデンウィークに対して、今年の秋の長い連休をシルバーウィークというようになりました。しかし、連続するのは今年だけで、ゴールデンウィークのように毎年連休になるわけではありませんが。大連休だったので、家族で久しぶりに里帰りをすることにしました。多分どこでも人で一杯だろうし、交通料金もかかるので、一番安上がりな里帰りを選びました。これなら交通費だけですみます。滞在費、宿泊費は、実家にお世話になります。
 5日間いたのですが、そのうち1日を、奈良に出かけることにしました。子どもを2人と私の3人旅となりました。家内はぎっくり腰で、実家で寝ていました。
 私たちは、奈良の大仏を見ることをメインにしていました。そして次男は、野生の鹿を見ることも楽しみにしていました。
 北海道にいると、よく野生動物を見かけることがります。それは、完全な野生で、人間には馴れてないのが普通です。ところが、奈良の野生の鹿は、人に馴れています。子どもたちは、間近にみることのできる野生動物のものめずらしさ、力強さ、生物としての知恵など、いろいろ感じることができたようです。帰っても興奮して鹿の話をしていました。
 私は、奈良の東大寺周辺には何度かいったことがありました。最後に来たのは、学生時代だと思います。学生時代、帰省するとたびに、京都や奈良の名所旧跡をめぐるようになりました。故郷をはなれて、北海道に住むと、自然の豊かさを味わうことができますが、人間が作り上げてきた文化の歴史が浅く感じるようになります。そのような欲求を満たすためだったのでしょう。
 道筋までは覚えていることはありませんが、名所にくると、「ああ、ここには来たことがある」という思い出がよみがえりました。そんなところを回ることになりました。
 奈良の若草山というと思い出すのが、
  天の原 ふりさけ見れば 春日なる
  三笠の山に 出でし月かも
という阿倍仲麻呂の歌です。子どもたちは学校で百人一首をしているので、この歌を知っています。ここで歌われている三笠山が、東大寺の裏にある若草山のことだと、子どもたちに教えていました。若草山が、3つ重なっているように山頂が見えるため三笠山と呼ばれていたのは知っていました。ちょっと知識のあることを見せていました。ところが、調べてみると、間違っていたことがわかりました。
 若草山が、以前三笠山と呼ばれていたのは、正しかったのです。しかし、歌で詠まれている「三笠の山」は、若草山のことではなかったのです。南側にある春日大社の裏にある「御蓋山(みかさやま)」のことでした。案内書によっては、「御蓋山」の後ろにある春日山が、阿倍仲麻呂に歌われた山だといっているものがあるようですが、それは間違いです。春日山の前にある「御蓋山」が「三笠の山」だったのです。複雑です。
 この若草山ですが、本によっては昔の火山と書いてあるものがあります。でも、本当は火山本体ではありません。そもそも火山とは、火山噴火で形成された山のことですから、そのいう定義でいうと、若草山は火山になりません。
 ただ、若草山も御蓋山も、安山岩と呼ばれる溶岩からできています。その溶岩は、10数メートルほどの厚さしかなく、マグマを噴出した火山本体は、もはやは不明となっています。若草山も御蓋山も、山自体が火山ではなく、火山岩からできているにすぎません。ですから、若草山は火山ではないのです。複雑です。
 では、なぜ山になっているのでしょうか。それは、奈良盆地と東の笠置(かさぎ)山地を区切る断層(市ノ井断層と呼ばれています)があり、東側が持ち上げられたためです。
 断層によって、両側は全く違った地質となっています。断層の東側は、春日山も含めて花崗片麻岩からできています。花崗片麻岩は硬い岩石で、浸食されにくくなっています。ですから、山として残りました。一方、断層の西側は、西に傾いた地層が連なっています。もともと水平にたまった地層ですが、断層で東側が持ち上げられたたために、西に傾いてしまいました。
 地層の多くは、堆積岩や凝灰岩からできていて、その中に安山岩の溶岩があります。若草山の溶岩ももともとは水平にたまったものでした。この溶岩は、緻密で固い安山岩でした。そのために、周囲の堆積岩が長年浸食を受け、硬い溶岩の部分が若草山、御蓋山として残り、山となったのです。複雑です。
 若草山も御蓋山も、1300万年前に噴出した三笠安山岩と呼ばれる真っ黒な火山岩からできます。火山体はなくなっていますが、溶岩があるので、近くで火山活動があったことは確かです。
 奈良盆地には、昔の火山が点在しています。室生(むろう)、二上山、耳成山、畝傍(うねび)山、宝山寺、信貴(しぎ)山などは、火山です。考えてみると、点在する火山が、奈良盆地の真ん中にあるのは不思議な感じがします。なぜなら、周囲には活火山がまったくないからです。つまり火山帯ではないのです。なのに火山が点在するのです。不思議です。
 九州から、瀬戸内海を通って、奈良盆地、愛知県まで、点々とですが、断続的に同じような古い火山があります。これらを「瀬戸内火山帯」と呼んでいます。活動時代には幅がありますが、年代の分かっている火山の多くは、1600万から1100万年前にかけて活動したものです。
 瀬戸内火山帯の火山岩の多くは、安山岩マグマの活動できました。ところが、この安山岩は、少々不思議な特徴があります。一般の安山岩は、珪酸(SiO2)が多く、酸化マグネシウム(MgO)が少なくなっています。一方、瀬戸内火山帯の安山岩は、珪酸も多いのですが、その珪酸量に比べて、酸化マグネシウムがかなり多すぎるのです。まるで玄武岩のような量から、もっと多くの酸化マグネシウムを含むという特徴をもっています。
 このような安山岩を、「高マグネシアン安山岩」、あるいは「サヌカイト(sanukite)」と呼んでいます。この不思議な岩石が、讃岐(さぬき)地方でみつかったので、讃岐岩(いまではあまり使われていません)、英名をサヌカイトと呼ぶようになりました。
 瀬戸内火山帯は、かつての火山帯であったと考えられています。この火山地帯は、もともと複雑で特異なところでした。つまり、単純な成因では説明できず、複雑な成因を考えなければならないのです。
 沈み込む海洋地殻とそれに引きずり込まれた堆積物が溶けて、マグマが形成されます。そのマグマがマントルのカンラン岩と反応して、酸化マグネシウムの多いマグマができたと考えられています。しかし、この説も、まだ完全な成因解明にはいたってないようです。複雑なのです。
 若草山は、その起源も複雑、来歴も複雑、歴史も複雑です。そんな複雑さが重なり合うことによって、さまざまな誤謬が生じました。誤謬を生むほどの複雑さは、不思議さや神秘性をも生むのでしょうか。
 神秘性をも生んだ例として、奈良盆地の南に大和三山があります。畝傍山、耳成山、香久山の三山です。大和三山は、古くから歌にも詠まれてきました。
  春すぎて 夏来にけらし 白妙の
  衣ほすてふ 天の香具山
大和三山のそれぞれが、正三角形の頂点をなしています。畝傍山と耳成山は上でも述べましたが、古い火山です。しかし、香具山は、花崗岩からできています。この関係は、若草山、御蓋山、春日山の関係に似ています。偶然ですが、少々不思議な気がしました。
 昔の人がいろいろな思いを巡らした地は、人に神秘な心持を沸かせます。たんなる偶然にも、神秘性を感じてしまいます。

・カンカン石・
サヌカイトは、黒く緻密なので、
たたくとカンカンといい音がします。
香川県では、土産物として売られています。
このような石を、通称、カンカン石と呼んでいます。
香川県だけのものとされている表記もあるのですが、
上で述べたように同じような性質の岩石は
結構広く分布しています。
いずれも岩石としては、同じような性質をもっているはずです。
ですから、たたけばいい音がすると思います。
ただし、私は試したことがありませんが。

・改名・
三笠山に因んで天皇家である三笠宮ができました。
そのとき、同じ名前では恐れ多いとして
三笠山を若草山に改称したそうです。
山名に因んでいるわけですから
本当はありがたいことと喜びべきことで、
山名を残すべきだと思います。
今思うと少々奇異な感じがします。
1935年に山名が改名されたのですが、
時代は戦前の天皇制のころですから、
仕方のないことなのでしょうかね。

・巡る季節・
今回の里帰りでは
いくつかの親戚のお墓参りをすることにもしていました。
子どもたちは、従兄弟たちと久しぶりに会うので、
顔も知らない同士のような、緊張をしていました。
しかし、しばらく遊んでいると、
わいわいと騒がしく遊んでいました。
そんな賑わいとともに、
残暑の暑さの奈良を思い出しながら、
このエッセイを書きました。
ところが、今は11月。
北海道は初冬です。
つい最近のつもりだったのですが、
もう季節が2つも過ぎたのですね。