2009年12月15日火曜日

60 高千穂:神話を生む節理

 いよいよ今年も終わろうとしています。今回は、天岩戸伝説で有名な高千穂を紹介します。高千穂は、阿蘇山の火山活動によってできた柱状節理が織り成す景観です。節理は長い年月の経過によって、地下から現れたものです。風化によって浸食され、流水によって削られながらも、節理の性質を残しています。高千穂の生い立ちを見ていきましょう。

 九州の中央部には、阿蘇山があります。阿蘇山は、日本でも非常に規模の大きいなカルデラを持つ火山で有名です。現在でも活動中の活火山で、中岳周辺には、激しく噴気を上げている火口があります。活動と風向きにっては、近づけないこともあります。
 広大な火山なので、阿蘇山の中岳を中心とする中央火口丘だけでなく、カルデラ内にもいくつもの観光名勝があります。カルデラの外にも、もちろん観光名勝があります。
 カルデラは火山の中に形成されたくぼ地です。そのくぼ地は、火山体の中央が陥没して形成されます。ですから、カルデラの周囲には、もとの火山体を構成していた山が残り、外輪山と呼ばれています。外輪山は、カルデラの方が急な崖になってカルデラ壁と呼ばれています。外輪山の外側は、火山の裾野ですので、比較的なだらかになっています。しかし、それはカルデラ壁と比べての話で、火山の裾野ですから、傾斜をもった斜面となっています。
 もちろん、阿蘇山の外輪山周辺にも観光名所はたくさんあります。
 宮崎県の高千穂は、阿蘇山の外輪山の南東の山裾にあります。険しい山の中に、峨峨とした山並み、柱状に切り立った渓谷が特徴で、高千穂峡と呼ばれています。私は、阿蘇山へは、何度かいったことがあります。カルデラ内のその周辺にもいきました。高千穂へは、3度ほど出かけました。今年の9月にも出かけ、周囲を見学しました。
 外輪山は昔の火山の裾野にあたり、分水嶺を形成し、周辺には外輪山を源流とする河川が多数あります。その一つに五ヶ瀬川があります。五ヶ瀬川の上流、外輪山の南東の山麓に位置するのが、高千穂です。
 高千穂は、その険しく不思議な景観を持っているためでしょうか、古くから物語や伝説が生まれてきたようです。高千穂は、天孫降臨の地、あるいは天岩戸(あまのいわと)の神話の舞台として有名です。
 天孫降臨とは、古事記と日本書紀に記された神話です。スサノオノミコト(瓊瓊杵尊)が姉であるアマテラスオオミカミ(天照大神)の命を受けて、高天原から天降ったというものです。その地が、高千穂だと考えられています。
 天岩戸伝説も、スサノオノミコトとアマテラスオオミカミに関する神話です。スサノオノミコトが高天原で目に余る狼藉を働いたので、アマテラスオオミカミが怒って、天岩戸に篭ってしまいました。このとき、一帯が真っ暗になったのいうのが、天岩戸伝説です。
 実際には、皆既日食が起こったのが、このような神話の起源だと考えられているようです。日食終わりにも神話が続きます。
 暗くなって皆は困り、アマテラスオオミカミを出すために策略を練ります。天岩戸の前で、踊りの上手なアメノウズメノミコト(天鈿女命)が奇抜な格好をして踊り、他の神々も大笑いをしたり、大騒ぎをしました。その騒ぎを聞きつけたアマテラスオオミカミは、皆を困らせるために岩戸に篭ったのに、喜んで大騒ぎをしているのを不思議に思い、岩戸を少し開けて、なぜ大騒ぎをしているのかを聞きました。そのとき、あなたより貴い神が現れたといって、そっと鏡を出しました。その鏡に映った自分の姿を、もっと見ようと岩戸をさらに開けたところを、力持ちのタジカラオノミコト(手力男命)が引きずり出し、もう岩戸に隠れられないように注連縄(しめなわ)をはりました。それで、やっと闇はなくなったという神話です。
 神話ですから真偽のほどは定かではありませんが、高千穂には、天岩戸神社があり、天岩戸があります。私は、天岩戸神社へはいったんのですが、天岩戸は見学しませんでした。ただ、神話の舞台となっている天安河原を訪れました。
 そこは、高千穂の静寂に囲まれた不思議な空間となっていました。
 高千穂峡の不思議な景観は、柱状節理が作り上げています。柱状節理とは、マグマや岩石が冷めるときにできる割れ目です。マグマが固まり、熱い岩石が冷めるとき、少し体積が減ります。そのときに、岩石に割れ目ができます。その割れ目は、冷める方向に対して垂直にできやすくなります。高千穂峡の柱状節理は、垂直に立っていますから、上下から冷えたことになります。
 柱状節理の上部では、柱状ではなく、放射状の節理もあります。ここでは、表面に近く、丸くなるような冷え方をしたようです。自然の造形ですから、同じようでも、2つとして同じものはありません。
 垂直の柱状節理は、川によって侵食されていくと、柱が一つ一つ倒れていきます。ですから、切り立った崖として侵食され、深い谷ができます。高千穂峡も、そのような作用でできました。
 高千穂の一番の名勝である真名井の滝は、柱状節理の上から流れてきた水が、17mの高さから静から川面にしぶきとなって落ちます。水量は多くないですが、たおやかな優雅さがあります。柱状節理に囲まれた静かな流れに落ちる滝へは、ボートで誰もが近づけます。東西横に7km、高さ80~100mに渡る柱状節理の列が、高千穂峡の非常に神秘的な景観をつくっています。
 この柱状節理は、阿蘇の火山によってできたものです。柱状節理をよく見るとそこには、黒っぽいガラス状の石が延びて含まれています。これは火山の火砕流によって放出された軽石などが、熱のために溶けてガラス状になったものです。火砕物が溜まった時の圧力で、平たく伸ばされたものです。このような岩石を溶結凝灰岩といいます。柱状節理は、阿蘇の火山噴火で火砕流が起き、火砕物が溜まり、再度熱くなり固まり、それが冷えたときできたものです。
 阿蘇山は、過去に4度の大噴火を起こしています。最初は26.6万年前で、2度目が14.1万年前、3度目が12.3万年前、4度目が8.9万年前です。3度目と4度目の大噴火の時、火砕流が高千穂を襲い、火砕堆積物を堆積しました。これが、今では柱状節理となっています。
 火砕流は、マグマが地表付近で大爆発して、膨張したものが、流体として熱いまま流れていきます。600度から1000度ほどの熱い流体で、高速で流れていき、山があっても乗り越えて、遠くまで達します。
 阿蘇山の4度目の火砕流は、非常に大規模で広範囲に及びました。この火砕流は、南は人吉盆地まで達し、南以外はすべて海にまで達しています。北は海を越え山口県宇部市、東は五ヶ瀬川の河口から海へ、西は海を越え、島原半島、天草下島にまで達しました。その規模は、火砕流だけで、九州を半分近くを覆うような大火砕流だったのです。また、火砕流だけでなく、火山灰も大量に放出し、北海道東部でも15cmもたまっています。
 そんな大噴火によって形成された高千穂峡ですが、今ではそんなことに気づく人はどれほどいるでしょうか。高千穂峡を橋の上から見下ろすと、そこには切り立った崖と、音も無く落ちる滝、そして静かな水面という、静逸と神秘に満ちた景観をみせてくれます。時折静かな水面をボートが行きかい、これが現代であるということを、思い出させてくれます。
 こんな節理が作り出す景観の中で、神話が生まれたのも納得できます。

・予定外の訪問・
今年最後のエッセイは高千穂となりました。
高千穂には今年9月、
宮崎調査に出かけたときに立ち寄りました。
本当は、高千穂からのずっと奥の調査予定でした、
その地を探したのですが、わかりづらく
見つけることができず、断念しました。
少々悔しい思いでしたが、
はからずも時間ができたので、
高千穂を見学することにしました。
20年ほど前には友人と、
数年前にも家族で高千穂には訪れたのですが、
季節が違っているので、趣も違っていました。
9月上旬の平日にもかかわらす、
バスで多くの観光客が訪れていました。
観光客でも、外国の方が目立ちました。
夏休みが過ぎていましたが、
暑い日で、高千穂峡の川面を流れる風の涼しさを堪能しました。

・来年の予定・
いよいよ今年も終わりとなります。
来年もこのエッセイを続ける予定ですが、
4月以降は、愛媛県に1年間単身で出かける予定になっています。
そこは自宅や大学よりインターネット環境が完備しておらず
継続できるかどうか不明です。
とりあえずは、3月までは継続していきますが、
状況によっては、このエッセイを休止するかもしれません。
ただ、現在発行しているまぐまぐでは、休刊はできますが、
1年以上に渡っての休刊は、メールアドレスの変更が多数あるため
あまり復刊しない方がいいとのことです。
ですから、せっかく長らく購読いただいている読者がおられますから
継続の方向で検討しますが、現段階では、まだ未定です。
状況が変わればそのつど連絡しますが、
そのような状況であることをご報告します。