2011年2月15日火曜日

74 四国カルスト:南の海からきた石灰岩

四国カルストは、四国山地の西に形成された石灰岩台地です。その石灰岩から、日本列島の生い立ちと、熱帯の海、海洋底、海溝などを垣間見ることができます。四国カルストの奇異な景観は、そんな不思議な大地の生い立ちによっているのでしょう。

今年の冬は、愛媛の山奥にも雪が何度も降り、交通障害を起こしています。昨日(2月14日)も大雪が降りました。これで、今年の西予での大雪も、4度目でしょうか。雪は、地域的に降る量が大きく変わります。同じ西予市内でも、多いところと少ないところの違いが現れます。昨日は私が住んでいる地域に雪がたくさん降りました。こんな時は、じっとしているに限ります。まあ、これは口実で、冬場は寒いので、ついつい出不精になるためでしょう。
私の住む地域よりさらに標高の高い山はどうなっているのでしょうか。愛媛のニュースでは、久万高原がよく雪の様子が報道されるのですが、実は大野ヶ原のほうが雪はすごいはずです。でも、私は、冬場になっていかなくなったので、様子はよくわかりません。多分今年は大野ヶ原も大雪に中に、ひっそりとしていることでしょう。
大野ヶ原へは、夏場によくいっていたのですが、秋が深まったらまた行こうと思っているうちに、冬になり、そろそろ春の気配が近づく今日にまで至ってしまいました。心残りとなっています。
冬場は、四国カルストの東にはスキー場もあり、四国でもウインタースポーツを楽しめる数少ないところとなっています。四国カルストは、標高が高く雪も降る地域だということです。
大野ヶ原は、四国カルスト一部でもあります。以前に紹介した秋吉台(02 秋吉台:想像力がつくる世界 2005.02.15)もカルストですが、四国カルストは、四国山地の稜線付近に連なっているので、秋吉台とは違った魅力を持っています。
四国カルストは、現在私が住んでいる西予市の大野ヶ原から東に広がる石灰岩台地のことです。大野ヶ原、五段高原、姫鶴平(めづるだいら)、天狗高原と稜線が続きます。高知県の梼原町や津野町まで、幅は1kmほどですが、東西に25kmほどにわたって長く広がっています。四国カルストは、まるでヨーロッパや北米大陸のような不思議な景観です。その中の道を走ると、心地よりを異空間に浸れます。ですから、私は同じ市内にある大野ヶ原が好きなのです。
カルストとは、ドイツ語の「Karst」から由来しています。「Karst」は、イタリアからユーゴスラビア北西部にまたがる石灰岩高原の地方名の「カルスト」に由来しています。
炭酸カルシウム(CaCO3)からできている石灰岩は、大気中の二酸化炭素(CO2)を含む雨水(炭酸という酸性の性質をもつ液体となります)、その雨が流れる川、地下水によって溶されます。そのために石灰岩地帯は、通常の流水による侵食とは違った地形(溶食地形といいます)が形成されます。
石灰岩は、不思議なことに、化学的侵食には弱いのですが、物理的侵食に強く、でっぱった岸壁や峰などをつくることがよくあります。そのため、リッジメーカーと呼ばれています。このような石灰岩の特徴が、四国カルストという特有の景観を生み出しました。
四国カルストの東延長として鳥形山(とりがたやま)まで、ほぼ連続的に石灰岩地帯があります。石灰岩が大量に出るところは、セメントの材料として利用されています。鳥形山もその例で、現在でもセメントが採取されています。
大野ヶ原から、県道36号を少し東にいくと道が狭くなり、片側は崖になります。崖には玄武岩からできた枕状溶岩をみることができます。枕状溶岩は、水中で噴火した溶岩に特徴的に出来る形態です。秩父帯北帯の石灰岩の付近には玄武岩を伴っていることがよくあります。
石灰岩と玄武岩は、成因の全く違う岩石です。一緒に出るのは、たまたまでしょうか。実は、それには理由があるのです。
四国カルストの石灰岩は、秩父帯北帯に属します。秩父帯北帯は砂岩や泥岩からできている地帯です。だたし、秩父帯北帯の石灰岩は、石炭紀からペルム紀までのいろいろな時代の化石が見つかります。他にも、石灰岩と玄武岩だけでなく、チャートもよく見つかります。秩父帯北帯は、いろいろな岩石もふくむ不思議な地帯となっています。
一般に日本列島の石灰岩は、サンゴ礁やその破片の化石を含むことが多いのですが、サンゴ(礁をつくるサンゴを造礁サンゴと呼びます)の他にも、紅藻類である石灰藻、オルドビス紀後期からデボン紀後期には層孔虫(古生代オルドビス紀に現れ中生代の終わりころまで生存)なども、造礁生物として繁栄し、石灰岩を構成しています。
礁をつくっていた石灰岩が見つかれば、サンゴでなくても、熱帯から亜熱帯の温暖で浅い海域でできたことがわかります。このように化石からは、時代(示準化石といいます)だけでなく、環境(示相化石と呼んでいます)を読み取ることもできます。秩父帯北帯の石灰岩も、巨大な礁をつくっていた浅い熱帯付近の海でできました。
では、広い海洋(3000mより深い海となります)の真ん中で、浅い海とは、いったい、どのようなところでしょうか。現在の熱帯付近の海をみていくと、点々とサンゴ礁をもつ島々があることがわかります。今も昔と似たような地球の営みがあるということです。
そのような島は、すべて火山によってできています。ハワイのように、今も活動している火山もあります。海上に顔を出している島は海洋島とよばれ、海に顔を出していない火山は海山と呼ばれます。海面付近にある海山で礁をもっているものもあります。
このような海洋島や海山は、スーパーホットプルームと呼ばれる深くにある暖かいマントル部分にその起源をもっている火山です。海洋島や海山での火山活動は、主として玄武岩マグマによるものです。海洋島といっても、最初は海洋底から活動は始まりますから、海洋島になる前は、海面下で活動した溶岩が積み重なっていることになります。もちろんその溶岩は、枕状溶岩です。
海洋底の山脈ともいうべき中央海嶺でできた火山も、玄武岩マグマの活動できました。そして溶岩の形態は、枕状溶岩を主としています。しかし、海洋島のものと海嶺のものは、マグマの性質が少し違っています。ですから、見分けることも可能です。ただし、できてから長い時間といろいろな変遷を経てきているので、変質や変成を受けて化学組成が変わっていることが多いので、性質を見わけるのは、なかなか難しいのですが。秩父帯北帯の玄武岩は、両方の起源のものがあるようです。
さて、赤道付近の海洋島が日本列島にたどりつくまでのシナリオは、次のようなものです。
赤道付近で形成された礁をもった海洋島が、海洋プレートの移動にともなって北上します。やがて、海溝に海洋プレートは沈みこみます。しかし、出っ張った海洋島は、表層にたまった堆積物が、沈み込む時、一部剥ぎ取られて、陸側に取り込まれます。このような作用を付加作用といい、このような仕組みでできたものを付加体と呼びます。
海洋島の礁の部分が石灰岩として、溶岩の部分が玄武岩として、付加します。それらが、周りにあった堆積物の中に取り込まれます。ですから、石灰岩と玄武岩が一緒にでるのは、もともと同じ場所でできたものだからです。
海山以外の深海底にたまった生物の遺骸は、やがてチャートになります。海洋地殻は海嶺の玄武岩からできています。それらも付加されることがあります。
いろいろな起源や時代の違うものが、このような付加体というメカニズムで考えれば、うまく説明できます。石灰岩が、石炭紀からペルム紀までのいろいろな時代のものがあるのは、付加体になった海洋プレートがそのような時代に形成されたものだったことになります。
これが秩父帯北帯の形成メカニズムだと考えられています。秩父帯北帯は、ジュラ紀に付加しましたが、残念ながらその当時は、日本列島はまだできていないで、大陸の縁にありました。
四国カルストの石灰岩は、温かい海で形成されたものです。日本列島の構成物が、赤道付近で形成された石灰岩というのは、ちょっと想像しにくいのですが、それが大野ヶ原の景観の不思議な魅力となっているのかもしれません。四国カルストは、日本にいながらにして、熱帯や海洋島、深海底をみることができるところです。
滞在期間が終わるまでには、四国カルストには、もう一度、行こうと思っています。

・革命前夜・
付加体のメカニズムは、
日本がその研究の舞台となり、
日本の研究者が主役となりました。
当時、地質学はいろいろな発見で沸き立っていました。
そして、今地質学では、
再度熱い時代がきつつあります。
それは、技術と概念の導入によっています。
新しい技術による今までになり質のデータが大量にでています。
また新しい概念で、野外の地質の見直しがされています。
それは本当に革命を起こすのでしょうか。
それとも、一時のブームに終わってしまうのでしょうか。
それは革命に関わる人々の動員力によるでしょう。
その動員力を左右するのは、
革命家の熱意によるのかもしれません。

・大野ヶ原・
雪の降りしきる窓を眺めると、
山の方はもっとすごい雪に
なっているのだろうなと思ってしまいます。
海岸沿いの人からみると、
私がいる城川も山奥なのですが、
大野ヶ原はもっと山奥です。
でも、大野ヶ原は
私が住むことろからはすぐ近くです。
そして好きな地でもあります。