2011年6月15日水曜日

78 黄金岬:暑寒別を眺めながら

 留萌の黄金岬には、玄武岩の柱状節理がみられる磯があります。6月に留萌にいったとき、少し時間があったので、黄金岬に立ち寄りました。晴れた朝の海岸からは、暑寒別の山並みきれいに見え、短いながらも、大地の歴史に思いを馳せることができました。

 残念なことですが、3月末に四国から北海道に戻ってきてから、野外調査には一度も出ていません。仕事の関係で、仕方がないことなのかもしれませんが、地質学に興味をもっている者にとっては、非常に欲求不満が溜まっていきます。少しの時間を見ては、石をみるように心がけています。
 6月上旬に、日帰りの出張で留萌へ出かけたとき、現地に早く着きすぎたので、留萌を少し見て回ることにしました。そこで出かけたのは、留萌の町外れにある黄金岬でした。黄金岬には以前にも来たことがあるのですが、今回は、短時間の寄り道となりました。
 訪れたときは、風の強い日でしたが、晴れの空気の澄んだ朝でした。海岸から沖を見ると、暑寒別の山並みが良く見えました。暑寒別は、暑寒別岳(1491m)を主峰とする山塊が、海岸までせり出していて、峰々にはまだ雪が残っていました。くっきりと見えたので、2時間ほどのドライブの疲れを癒してくれました。暑寒別一帯の山塊は、火山からできています。裾野の海岸線にある露頭では、マグマがつくった構造や、マグマが海に入ったときできる構造などが見ることができます。
 黄金岬の岩石も、実はマグマがつくったものです。柱状節理(せつり)の発達した溶岩が露出しています。マグマが固まるときに、体積が少し減ります。すると溶岩は縮むことになり、割れ目がいくつも形成されます。このような割れ目を節理と呼んでいます。節理は、溶岩のかたちや冷え方によって、さまざまな形状のものができます。溶岩が固まるときにできる割れ目が柱のようになっているものを柱状節理、放射状になっている放射状節理などと呼ばれるものができます。黄金岬では、柱状節理の発達している溶岩が見られます。
 黄金岬の岩石は、だいぶ風化が進んでいるので、かなり長く風雪や海食にさらされてきたものと思われます。留萌港の建材としても利用されてきたようで、かなり人手が入っていますので、浸食の激しい場所なのでしょう。それでも、このような節理が残っているのは、深くそして陸地の奥まで分布しているのでしょう。切り立った尖った岩場ではないので、磯遊びをするのには、なかなかよさそうなところです。
 ただ、黄金岬の玄武岩は、少々気になるところがあります。それは、今手にしているデータからは、どうもしっくりこないことがあるからです。
 暑寒別の火山は、安山岩マグマの活動を主としています。新第三紀鮮新世から中期更新世(第四紀)にかけての活動だと考えられています。年代測定では、207万~317万年前の年代が得られています。暑寒別の火山と留萌の玄武岩の間は別の地層が分布していて不明です。地層としては、深川層群留萌層(鮮新世)が分布しています。珪藻土を含んでいます。珪藻土とは、珪藻が集まってできたもので、日本海沿いによく見られる堆積物です。火山岩の関係を、私はよく知らないのですが、もしかすると一連の活動なのかもしれません。ただ、マグマの性質が少し違うのが気になりますが。
 鮮新世の時代には、暑寒別から東に向かって、イルケップ山(250万年前)、米飯(べいぱん)山(350万年前)、丸山、旧期然別(しかりべつ)火山(然別湖の西に分布するもの)が点々と連続して分布しています。いずれの火山も、マグマは安山岩質のものです。なぜ、このような東西の火山の並びになっているのでしょうか。現在のプレート配置からしても少々奇異な気がします。その理由は、まだよくわかっていないようです。
 留萌の黄金岬の溶岩は、活動した時期は400万年前(鮮新世)と看板にありました。どれくらい正確な表記なのかわかりませんが、400万年前も鮮新世ですから、暑寒別の火山活動に時期になるのでしょうか。
 また、黄金岬は、鮮新世の火山列より少し北にずれています。分布が暑寒別の火山から途切れているのも、少々気になります。まあ、これくらは、地質現象だから誤差範囲と考えてもいいのでしょうか。
 さらに、マグマの組成が少々違います。留萌の黄金岬の溶岩は、カンラン石玄武岩(結晶が粗粒なのでドレライトとも呼ばれます)で、暑寒別から然別までの火山は安山岩を主としています。大きな火山の活動では、マグマに多様性があるので、これくらいの組成差は起こりうることであったのかもしれません。
 時代、分布、組成といずれも気になるのところですが、私の疑問は、まだ解決できていません。この黄金岬の玄武岩について資料をいくつかあたったのですが、詳しいものが見つかっていません。なにせ我が大学では、地質学の文献はほとんどありませんので、文献を探すのに手間がかかります。もう少し探せば詳しい文献が見つかるかもしれません。その時は、改めて紹介することができるでしょう。
 留萌周辺では、海岸段丘の面がいくつか見られますが、段丘面から海岸へは段差があります。海岸の柱状節理は、海食台のように平らになっています。黄金岬は、日本海に向かって西に突き出ています。黄金岬から見る夕陽は、「日本の夕陽百選」にも認定されていて、夕日がきれいに見えるようです。かつては、岬は、ニシンの群れが夕陽を反射しながら、黄金色に輝いて岸に来たそうです。それにちなんで「黄金岬」と呼ばれるようになったそうです。
 今ではニシンはほとんど獲れなくなりましたが、そんな日がいつか再び来るでのしょうか。黄金岬の玄武岩の節理には、そんな人の歴史も刻まれているのかもしれません。

・大学祭・
北海道も暖かくなってきました。
もう朝でも、ヤッケも要らなくなりました。
日中では、天気さえよければ、
半袖でも過ごせるようになってきました。
朝夕は、まだ涼しい日がありますが、
いい季節となりました、
小学校の運動会シーズンも終わり、
これからは、大学祭のシーズンが始まります。
もう早々と大学祭が終わったところもありますが、
これからのところもあります。
子供が小さいうちは、他大学の大学祭にも参加しています。
今年もまだ参加できそうです。

・暗い将来・
最近、野外調査に出ていません。
夏休みには少し出かける予定ですが、
しばらくは、ストックを漁って
このエッセイを書き綴ることになります。
行きたいところは山ほどありますが、
時間と費用がありません。
それが苦しいところです。
本務の仕事が優先ですので、
なかなか出歩けなくなりました。
大学評価への対応や規則通りの授業の執行義務、
オフィスアワーなどの学生へのサービスの設定など
かつてと比べて、なにかと時間的余裕が少なくなってきました。
こんなことで、創造的な仕事ができるのでしょうか。
文部科学省は大学教員に何を求めているのでしょうか。
研究成果でしょうか、教育効果でしょうか。
それともサラリーマン的な業務でしょうか。
研究、教育の両立も可能でしょうが、
心の余裕のない人に良い成果を望めるのでしょうか。
大学教員で余裕のある人は、どれほどいるのでしょうか。
その中で研究、教育ともに成果を挙げている人は
ほんの一握りではないでしょうか。
日本の大学の総体として、このような締め付けによって、
明らかに以前の能力、あるいは潜在力を
なくしてきているような気がします。
これが、国力を下げる方に向かっていかければいいのですが。
日本の行政は至るとこで間違い犯しつつあるのは
万人の認めるとこです。
いつ、だれが、その間違いを修正するのでしょうか。
これからも将来は暗いのでしょうか。