2012年2月15日水曜日

86 宍喰:時間の錯綜


宍喰(ししくい)の道路沿いにあるガケでは、舌状の見事な化石漣痕をみることができます。漣痕とは、海底の堆積物に水の流によってできた模様が、偶然、地層ができるときに閉じ込められたものです。徳島で見た化石漣痕を紹介しましょう。

宍喰と書いて「ししくい」と読みます。宍喰は徳島県海部郡海陽町にある地名です。今回紹介するのは、地形ではなく、宍喰にあるガケの表面の模様です。
海陽町宍喰には、幹線道として国道56号が南北に走っています。この国道は土佐東街道と呼ばれているもので、古くから幹線道路になっています。国道を東西に横ぎるように宍喰川が太平洋に流れ込んでいます。宍喰川沿いの南に漁港があります。その南岸に沿って、かつての国道、今は県道309号となっている道が通っています。
県道は川と港の湾を渡る国道の宍喰橋の下を通って海岸に向かいます。海岸は、複雑に入り組んでいます。県道が最初に大きく右にカーブするところに、その露頭はあります。右手がガケで左手は半島にから続く林になっています。カーブは広い道幅があり、車を停めることもできます。ガケと道路の間には柵はありますが、ガケ全体がよくみえるようなっています。
このガケが今回のエッセイのテーマです。この崖は、1979(昭和54)年に国の天然記念物に指定されています。「宍喰浦の化石漣痕」と呼ばれているものです。
「漣痕(れんこん)」とは、リップルマーク(ripple mark)ともよばれるものです。堆積物の表面が、流れる水や風にさられた時にできる波形の模様です。海岸の砂地などで時々みかけることがあります。もちろん人が歩いていない砂地ですが。その模様が、地層間に保存され、化石のようになったものを「化石漣痕」とよんでいます。
漣痕は、山と谷が繰り返して模様になっていますが、山や谷が伸びている方向は、水の流れに対して直交しています。そのような構造は少々不思議な気がしますが、水流を用いての実験によって、形成メカニズムは解明されています。
漣痕は、流れの種類や速さ、運ばれる粒子の径や形状によって、形の多様化や形の変化が起こります。漣痕は、山と谷の断面を見ると、対称ではありません。山を見ると、流れの上流に対してなだらかになり、下流側は急傾斜になります。
このような非対称性は、流れによる砂の運搬と堆積を考えると理解できます。流速がある一定以上になると、砂が動き出し運搬がはじまります。その動き出しは、砂の粒径は形状によって違います。粒子の移動の仕方も形状によって違ってきます。粒子が丸く、海底面が平らであれば、そのまま運搬されていきますが、流れと海底に角度があると、砂が堆積するところができます。そこが山が形成されます。山を越えるところに砂は次々と堆積し、山の後ろに堆積が進み山が移動します。そして山のすぐ横では流れによって新たな砂の運搬が起こり深み(谷)ができます。山と谷は流れととも移動し変化していきます。
同じ条件下であっても、時間が経過するにつれて、できた漣痕自体が波を生み、その波が漣痕の形状を変化させていくこともあります。もし流れに波動の成分があると、その波によってより複雑な模様ができることになります。漣痕は、流れのある海岸付近や浅い海にだけできると思われていましたが、5000m以深の深海でも見つかっています。流れがあれば、いろいろなところで漣痕ができることがわかってきました。
漣痕ができても、そのままでは消えてしまいます。流水によって砂の上に刻まれた模様ですから、新しい流水がくると、すぐに消えてしまいます。砂の上に書いた絵のようなものですから、儚いものです。
化石漣痕ができるには、漣痕が化石のように地層間に残ってなければなりません。漣痕が、なぜ化石のように地層の間に保存されるのか、不思議です。地層は海底で形成されます。現在の海底で漣痕ができたとしても、新たな流れがあると消えたり、別の漣痕ができます。それが化石のように保存されるには、できている漣痕の上に、次の地層となる土砂が漣痕を壊すことなく覆って保存する必要があります。つぎに来る土砂の流れが激しければ、表面をけずって漣痕を消してしまいます。
漣痕のある地層の表面が、泥や粘土のような細粒のものなら、簡単に消えたり、削られてしまう可能性が高くなります。少々の波や土砂の流れでも、漣痕が消えない、ある程度粒の大きな砂が海底面にでている条件がないとだめなはずです。
非常に特殊な条件がそろわないと、化石漣痕はできないと考えられます。でも、現実に化石漣痕があります。あちこち調査で歩いていると、地層境界に漣痕を見つけることも、よくあります。地球の営みは、非常に長い時間をかけておこなわれます。そして、地層も環境に応じた形態、構造を持ちながら、次々とできていきます。そのような試行錯誤の時間が、地球には大量にあったのです。漣痕もそのような長い地球の営みとして形成され、そして地質学者の目に触れます。漣痕は、特徴のある形態ですから、地質学者の目にもつきやすくなります。そして宍喰のようにきれいな漣痕は、保存されることになります。
ひとつの地層で化石漣痕がみつかると、別の位置(層準とよびます)の地層面からも、漣痕が見つかることがよくあります。それは同じような条件が継続されいる堆積場が、長期にわたって存在したことを意味します。
見応えのある化石漣痕となると、そうそうはありません。現在、国の天然記念物になっているのは、宍喰浦の他に、和歌山県西牟婁郡の「白浜の化石漣痕」(1931年指定)と高知県土佐清水市の「千尋岬の化石漣痕」(1953年指定)の2ヶ所があります。他にも都道府県の指定の天然記念物もあります。ですから、綺麗な化石漣痕は、地質学的意義だけでなく、自然資産として保存すべき価値のあるものだといえます。
さて、宍喰の化石漣痕です。
宍喰浦のものが、最も後に国の天然記念物に指定されています。前の2つの化石漣痕に勝る綺麗さ、貴重さ、重要性があるということです。先ほど紹介したガケは、高さ約30m、幅20mにおよぶ、大きな一枚の地層面が露出しています。その面全体に化石漣痕がみられます。
地層は、四万十帯の室戸半島層群の奈半利川(なはりがわ)層になります。時代は始新世中期(4860万~4040万年前)頃に形成されたものだと考えられています。
化石漣痕の模様は、舌状の形状があります。舌を地層面の左下から右上に向かって出した形に積み重なったようになっています。これは、この地層面の漣痕をつくった流れが、左下から右上に流れたことがわかります。また、舌状の漣痕は、大陸斜面で、海底地すべりの堆積物がくるような比較的深い海底でできるものだと考えれられています。
また、別の地層面にも化石漣痕が見えています。天然記念物の指定にあたっても、いくつかの種類のものが、層をなしていることも特徴として挙げています。この地層がたまった海域は、漣痕ができ、保存される環境が長く維持されていたことになります。
宍喰の「宍」は動物の肉全般を意味し、「喰」は食べるという意味です。ですから宍喰とは肉を食うということになります。なぜこのような地名がついたのかはよく知りませんが、創拓社の「日本地名ルーツ辞典」によりますと、全国的に蛇喰、猿喰、宍喰などの地名は、侵食による崩壊地に使われていることが多いとされています。もしかすると、昔この地に大規模な地すべりが起こり、それが地名の起こりにとなったのかもしれません。化石漣痕がでているガケができたのも、その事件と関係があるのでしょうか。いやいや、地名はもっと古く、地層面ができたのはもっと新しことに見えます。出来事の時間が錯綜してきます。
ただいえることは、この道が国道から県道になったこと(1992年)も、天然記念物に指定されたこと(1979年)、ガケができた事件も、地名ができたことも、漣痕ができた時代からすると、つい最近のできごとです。漣痕の舌状の不思議な模様は、人類すらまだいない、4000万年も前のことなのです。

・錯綜する人生・
大学は入試も終わり、その合否判定が現在進行中です。
また、先週から今週にかけて、
学科によっては卒業研究の発表会がおこなれています。
4年生は最後の緊張の時間が流れています。
4年生にはもう就職が決まっている人、
まだ決まっていない人、
就職に意欲がない人などさまざまです。
現在卒業研究の発表会の隣では、
3年生のための企業説明会がおこなわれています。
リーマン・ショック以来、就職は低調ですが、
意欲の高い人は就職は決めています。
大学では並行して人生の山場が起こっています。
これも時間の錯綜、あるいは錯綜する人生でしょうか。

・雪国の悩み・
北海道は、もっとも厳しい寒さも一段落でしょうか。
暖かい日も時々来るようになりました。
暖かい日には路面の雪も溶け始めます。
我が家の屋根のひさしから落ちそうになっていた雪庇が
先日やっと落ちました。
家内が外で除雪をしていたようですが、
遠くにいたので被害はありませんでした。
雪庇ができにくいような工事をしているのですが、
今年のように雪が多いと
風下の方にどうしても雪庇ができてしまいます。
でも、我が家は雪下ろしをしなくても
なんとか耐えられます。
まわりの家では、一度か二度は雪庇を落とす作業がなされます。
今年は、雪下ろし中の事故が多くなっています。
雪下ろしをする人も注意をされているのですが、
それでも事故は起こります。
これが、雪国の悩みでもあります。