2012年11月15日木曜日

95 上高地:大地のレリーフ


 秋になる前に、上高地にいきました。半日の滞在でしたが、上高地の素晴らしい景観を味わうことができました。しかし、今回のエッセイは、その景観にではなく、小さいなレリーフから大地のレリーフに思いを巡らせましょう。


 長野県の松本盆地の標高は、500メートルから800メートルもあります。秋でも、その分涼しさがあるようです。松本盆地の中心、松本市から西に向かって梓川を遡って行く国道158号線をすすむと、島々(しましま)あたりで急に梓川の谷は険しくなります。そしてつぎつぎとダムが現れます。
 沢渡(さわんど)まではマイカーで行けますが、そこから先、上高地へ向かう一般車の通行は規制されています。マイカーの人は沢渡で車を降りて、バスかタクシーでいくことになります。沢渡からも険しさや急傾斜が続き、中の湯で、国道158号線は安房(あぼう)トンネルに向かいますが、上高地へは釜トンネルの県道の方面へ向かいます。釜トンネルは、道幅も狭く、傾斜もきつく、交通量が多ければ、トラブルが多発したであろうことが想定されます。
 トンネルと抜けても、山は深まりますが、傾斜がおだやかになり、梓川の流れはゆるやかになります。焼岳の荒々しい山腹を右に見ながら進むと、濃い緑から濃い青の大正池が出現します。焼岳の火砕流が、周辺の険しいに地形のわかり、穏やかな梓川の流れを生んでいるのです(前回のエッセイで紹介)。
 更に進むと、日本でも有数の観光地、上高地にたどり着きます。上高地の標高は1500メートルになり、松本から一気に1000メートルも上がってきたことになります。たとえ観光客が多くても、上高地の空気感は、松本のものとは明らかに違うものです。標高の変化だけでない、異国の地に来たような非日常空間がそこには広がります。そんな異空間が上高地へと人を誘うのかもしれません。
 日本には30地域の国立公園がありますが、1934(昭和9)年3月16日から国立公園の指定がはじまり、1934年12月4日に中部山岳国立公園の一部として上高地も指定されました。穂高岳や立山などの3000メートル級の日本アルプスの山々があり、新潟、富山、長野、岐阜の四県にまたがる広大な公園となっています。特に上高地は、アプローチがいいことと景観の素晴らしさ、そして施設の充実もあって、登山客だけでなく観光客も多数集めています。
 上高地の観光名勝については、いろいろな人が多数書かれているでしょうから、少し違った視点で述べましょう。上高地の風光明媚とはかけ離れたある小さい場所からです。ウエストン碑からです。
 ウエストン碑は、上高地の中心である河童橋を渡り、右岸側を下流に少し歩くとあります。森の木々の影に隠れた岩場に、ひっそりとあります。ウエストンは、日本滞在中に、補高や槍ヶ岳などアルプスを歩き、近代的な登山を日本の持ち込ました。そして「日本アルプスの登山と探検」という紀行文で、日本アルプスを世界に紹介しました。ウエストンの喜寿(77歳)を祝って、レリーフがつくられました。現在のレリーフは二代目だそうです。
 ウエストン碑は短時間でめぐる観光コースでもあり、観光客も多数訪れるところです。今回、取り上げるのは、ウエストンには申し訳ありませんが、レリーフ本体ではなく、レリーフを埋め込んだ岩石です。レリーフが埋められているのは、滝谷花崗閃緑岩という岩石です。
 花崗閃緑岩とは、花崗岩と閃緑岩の中間の化学組成をもつ岩石です。花崗岩とくらべて有色の鉱物である黒雲母や角閃石などが多くなり、やや黒っぽくなります。
 信州大学の原山さんは、この滝谷花崗閃緑岩が、地表に顔を出している花崗岩類では、世界でもっとも若いことを、1992年に報告しています。形成年代は、140万年前です。日本でも、花崗岩類がいろいろなところから見つかっていますが、これほど若いものはありません。花崗岩類は大陸や列島の地殻を作っている岩石で、列島の形成史で重要な意味を持ちます。
 そもそも花崗岩は地下深部でマグマがゆっくりと冷え固まったものです。ですから、形成時には地下深部にあったものが、地表に顔をだすようになるには、それなりの地質学的作用が必要となります。
 日本の多くの花崗岩は、上にあった岩石類が浸食を受けて削剥される作用で露出します。削剥が激しい場は、大地が上昇し山が形成されているところです。現在険しい山脈があることろは、削剥が激しいところとなります。日本アルプスは、まさにそんなところです。
 原山さんたちは、日本アルプスは、230万~150万年前と130万年前以降の2度にわたって激しい隆起があったことも明らかにしてきました。
 上昇の要因のひとつは火山です。北アルプスの後立山連峰には200~160万年前に活動した火山があります。穂高岳は、火山岩(穂高安山岩と呼ばれる溶結凝灰岩)でできていますが、176万年前には超大型の火山噴火があり、東西に流れた火砕流(丹生川火砕流)が高山盆地や松本盆地を埋めてしまいました。
 上昇のもうひとつの要因は、断層などの地殻の運動です。もともと直立していたカルデラ(火山噴出にともなっておこる陥没)が、今では60°から70°も東に倒れていることがわかってきました。その傾斜を起こした運動は、東から西に低角度でずれていく衝上断層(スラスト)によるものだと考えられ、約130万年前には動き始めていたようです。
 その断層が活動したころ、激しい火山活動をこしていたマグマは、深部にまだ溶けたままありました。マグマの浅部や周辺の一部は冷え固まってたでしょうが、深部にはまだ固まっていないマグマがありました。
 衝上断層で切られ、持ち上げられた滝沢花崗閃緑岩ですが、その深部にはマグマがあり、地下3~4kmには熱いまま、まだ固まらなかったようです。衝上断層でマグマが上昇させら、上の花崗閃緑岩も持ち上げられてきたと考えられます。このマグマが固まったものが滝沢花崗閃緑岩だというのです。
 激しい火山活動とスラストによる運動、それに伴うマグマ自身の再上昇が、世界で最も若い滝沢花崗閃緑岩を露出させたようです。
 上高地は、あまりに観光地であり、そして景観が異質に見えるのですが、そこには大地の激しい活動、予想を裏切るような連鎖がありました。ウエストン碑のレリーフの土台になっている岩石には、そんな大地の歴史が刻まれていました。レリーフの土台の滝谷花崗閃緑岩は、大地の激しいレリーフを生み出す作用が働いていました。レリーフの土台は、大地のレリーフが顔を出したのです。

・当たり前・
今年の秋に上高地へいったのですが、2度目です。
一度目は上高地に宿をとってじっくりと見たのですが、
今回は、焼岳と、岳沢や梓川をみることが目的でした。
実は岳沢のカールの話を書く予定でした。
上高地でもっとも有名で目立つ景色は、
河童橋から梓川越しにながめた
前穂高の山並みでしょう。
その岩壁の前には、岳沢のカールが大きく広がっています。
この景観には誰もが息を呑みます。
でも、考えたた当たり前の題材すぎるような気がしました。
原山智・山本明著の『超火山「槍・穂高」
―地質探偵ハラヤマ 北アルプス誕生の謎を解く―』
(2003、山と渓谷社)
を思い出したので、
その話をもとに上高地の滝谷花崗閃緑岩を書くことにしました。

・雪虫・
思ったがほど気温が下がらない北海道です。
先日の日曜日は快晴で放射冷却で冷えそうでしたが、
それほどもでなく、昼間の日差しが暖かさをもたらします。
でも週末には、虫がいっぱい飛んでいるので
やっと雪虫が飛び始めたかと思いました。
よくみると綿毛がついていません。
雪虫は綿毛があるのに
先日の大量発生した虫にはありませんでした。
なんという種類なのでしょうか。