2013年3月15日金曜日

99 鳥海山:活の符合

 鳥海山は大きな山です。西は海に流れ込み、北はなだらかな丘陵、南には平野があるので、独立峰として雄大な姿をみせます。雄姿は、活火山であることを忘れてしまいそうです。鳥海山の雄姿には、少し不思議なことがあります。

 昨年秋に、鳥海山(ちょうかいさん)を訪れました。秋田と山形の県境にある火山で、山頂は山形県側になっています。非常に大きな山で、日本海にまで裾野が広がる雄大が成層火山です。きれいな山容なので、出羽富士や秋田富士とよばれることもあります。
 鳥海山は、東西に延びた火山です。南北が14kmですが、東西が26kmほどで、西の裾野は日本海に面した断崖となっています。
 鳥海山には、ドライブするにはもってこいの鳥海ブルーラインが通っています。私のいった日は、遠くは少し霞んでいましたが、晴れの心地よい天気でした。鳥海山の5合目にあたる鉾立(ほこたて)まで鳥海ブルーラインできました。平日の午後も遅めであったせいでしょうか、あまり観光客もいなく、ゆっくりと見学することができました。
 鉾立の展望台の前には、奈曽(なそ)川が流れています。川の両岸は、谷が深く切れ込んで切り立った崖になっています。崖も緑が多いのですが、岩肌のでているところでは、溶岩流が多数見え、火山の山であることとがわかります。ただ、この渓谷の成因はよくわかっていないようです。
 雲がかかり山頂や渓谷が見えない時もあったのですが、天気がよかったので、気長に待つことにしました。雲が奈曽渓谷に流れこんだとき、ちょうど後ろからの太陽に光で、きれいないブロッケン現象を見ることができました。待ったかいがあり、奈曽川の源頭の稜線越しですが、鳥海山で最高峰である新山(しんざん、2236m)を見ることができました。もともと鳥海山に登る時間もなく、近くで山頂が見れればいいと思っていましたが、目的がかないました。
 新山は、鳥海山の最高峰であるとともに、現在の噴火の中心でもある中央火口丘になっています。新山の周囲は、切り立った崖となっています。この崖は、爆裂火口の一部で、北に馬蹄形にえぐれています。崖には多数の溶岩流がみえます。崩壊したあとは、東鳥海馬蹄形カルデラとよばれています。
 爆裂火口は、2500年前の噴火によって形成されたもので、噴火によって山体が大規模に崩壊しました。山体が崩壊したとき大量の堆積物が斜面を流れます。堆積物には大小さまざまな岩塊がまじっていました。大量の岩塊が、なだれのようにくずれていきます。爆裂火口の裾野には、そんな堆積物からできた流山(ながれやま)とよばれる特有の地形ができます。流山は、比較的なだらかで平らな地形なのですが、大きな岩塊がごつごつの小山をつくっています。
 なだれの堆積物は、象潟町や仁賀保町一帯に広く流れくだりました。流山の地形は、その後の火山活動による溶岩流などに覆われていて、だいぶ消されてしまいましたが、冬師(とうし)や象潟(きさかた)にかけて、残されています。この流山をつくっている火山堆積物を、「象潟岩屑なだれ」と呼んでいます。
 爆裂火口の周囲には、東から時計回りに、七高山(しちこうさん、2229m)、行者岳(ぎょうじゃだけ、2159m)、伏拝岳(ふしおがみだけ、2130m)、そして西側に文珠岳(もんじゅだけ、2005m)が、半円を描くように外輪山として並んでいます。
 新山は活火山で、1974(昭和49)年3月1日には、153年ぶりに噴火しました。新山を東西に横切る割れ目の上に、いくつかの火口ができ、マグマ水蒸気爆発が起こりました。数ヶ月の間、噴火が続きました。まだ積雪のあるころの噴火だったので、噴火による熱で雪が溶けて泥流(火山泥流といいます)が何度か起こりました。泥流が起こったのですが、幸いなことに、河川に流れこむことなく、大きな被害はありませんでした。
 新山と外輪山を東鳥海火山と呼んでいます。外輪山の文殊岳のすぐ西には鳥海湖(地形図では鳥海湖ですが、鳥ノ海という文献もあります)とよばれる池があります。鳥海湖は、噴火口に雨水がたまったもので、火口湖と呼ばれています。鳥海湖を中心として、鍋森(なべもり、1652m)や扇子森(せんすもり、1759m)を中央火口丘として、いくつかの火山があります。西に笙ヶ岳(しようがたけ)と東の月山森(がつさんもり)が外輪山となっています。南に開いた爆裂火口を囲むように外輪山があります。これらを、西鳥海火山と呼んでいます。
 西鳥海火山の地形は東鳥海火山と比べると侵食が進んでいます。東鳥海火山が新しく、西鳥海火山が古いものとなります。鳥海山の火山としての歴史の概略を紹介していきましょう。
 鳥海山では、大きく3の活動時期(ステージとよばれています)があると考えられています。古いものから順にみていきます。
 最初は、初期の火山体をつくったとされる鳥海ステージIとよばれる活動です。60万から55万年前の天狗森火山岩や鶯川玄武岩を出した火山活動です。55万から16万年前には古い火山体ができましたが、その実体はよくわかっていません。
 次に、鳥海ステージIIとして、西鳥海火山の活動がはじまります。鳥海ステージIIa/bが16万から9万年前、鳥海ステージIIcが9万から2万年前に活動します。
 2万年前から東鳥海火山の活動(鳥海ステージIII)がはじまります。2500年前(紀元前466年といわれています)の山体崩壊を起こし、象潟岩屑なだれができました。1801年や1974年には、溶岩ドームとして誕生した新山を中心とする活動が起こりました。現在も活火山として監視されています。
 火山の履歴は、過去に時間を広げた話ですが、次は空間を広げた話になります。
 秋田県の海岸付近には、南北方向に30kmほど延びる活断層である北由利(きたゆり)断層群があります。断層群とされているのは、同じ方向に延びる一連の多数の断層があるためです。また、活断層が動くということは、地震がおこるということです。このような浅い場所の断層の活動は、1995年の兵庫県南部地震(阪神淡路地震)、2004年の新潟県中越地震と同じタイプで、マグネチュードに比べて震度が大きく、被害も大きなものになります。
 鳥海山のすぐ北には、北由利断層の一部だと考えられる仁賀保(にかほ)断層があります。山形県では、北由利断層の南延長にあたる庄内平野東縁断層(長さ38km)があり、いずれも活断層です。庄内平野東縁断層の北側では、1894(明治27年)に起こった庄内地震の原因となっています。鳥海山の地下にも、南北方向の断層がありそうなのですが、実体はまだよくわかりません。
 鳥海山は、全体として成層火山なのですが、新旧2つ火山群は東西に延びた火山活動をおこなってできています。マグマは東西方向の弱線にそって上昇してきていると考えられます。東北地方は、太平洋プレートの沈み込みともなう東西の圧縮の力(応力といいます)が、常にかかっているところです。そのような応力がかかる場では、応力の方向に並行な割れ目(東西方向)ができて、噴火することがあります。その原則にそって鳥海火山が活動していることになります。
 一方、大きな地質構造として、北米プレートとユーラシアプレートの境界が日本海を通っていて、南北の北由利断層や庄内平野東縁断層と並行しています。これらの南北断層は衝上断層で、日本海に対して陸側がせり上がる低角度の逆断層です。鳥海の火山は、新旧とも東西方向の構造に市内されて噴火をし、広域の断層は、南北方向で活動しています。この方向の違いは、少々不思議です。
 北由利断層は活断層なので、詳しく調べられています。北由利断層は過去に1万年前ころ、9600年前ころ、2800年前ころに活動したことがわかっています。時間スケールでみると、東鳥海火山の活動のスケールと符合します。断層の長さも30kmで、鳥海山の東西ののびも30kmほどえす。まったく次元の違った断層と火山のサイズが符合します。また、いずれも「活」のつく活動です。そして一旦活動をはじめると、人の生活に大きな影響を与えるものです。そのような偶然の「符合」が不思議でもあります。

・訂正・
前回のエッセイで、鼠ヶ関の読みを
「ねずみがせき」とふりましたが、
「ねずがせき」の間違いでした。
何人かの方からご指摘をいただきました。
ブログとホームページは修正したのですが、
メールマガジンは修正できませんので
訂正してお詫び申し上げます。
私は誤字脱字が多いので
しょっちゅうこのようなミスを犯します。
今回は固有名詞なので、大きなミスでした。
発行前には何度か見直しているのですが、
見なおすたびに、修正していくので、
そこが新たに誤字脱字をすることもあります。
これからも注意しますが、
もし誤字脱字があれば、ご指摘ください。
本当に申し訳ありませんでした。

・神代杉・
先ほどの象潟岩屑なだれの年代を
「紀元前466年といわれています」としたのですが、
これは、埋もれていた神代杉の年輪を数えたものだそうです。
神代杉とは、噴火の岩砕なだれで埋もれた杉のことです。
銘木と有名で、今のも掘っているそうです。
もちろん埋めているのは
象潟岩屑なだれの堆積物です。

・温泉・
鳥海山は活火山でもあるのに、
少々不思議ですが、温泉があまりありません。
もちろん皆無ではなく、
猿倉温泉や湯の台温泉があるのですが、
数が他の火山に比べて非常に少ないのが特徴です。
大きな山体で熱源もあり、
高く深い山なので水源もあります。
なのに火山がないのはどうしてでしょうね。
もちろんボーリングすれば
あちこちで出てくるかもしれませんが。