2013年8月15日木曜日

104 北大:サクシュコトニ川の流れ

 先日、北大博物館を見学にいきました。蒸し暑い日でしたが、大きな木々の緑が、涼しさを感じさせてくれました。夏の北大は、観光客も多数訪れていました。今回は、そんな観光客にあまり知られていない、小さいなサクシュコトニ川を紹介しましょう。

 北大は、夏場になると観光地にもなり、多くの観光客も来ます。この8月に2度、北大に出かけました。2度目は、家族で博物館を見にいきました。正門を入るとすぐに中央ローンの緑が、目に入ります。8月の暑い時でしたが、緑の木立の中には入り、緑の中を流れる小川の付近に来ると、涼しさを感じることができます。
 札幌は、200万人弱の人口を有する政令指定都市です。地図をみると、街の広がりがわかります。大きな街で、これからもまだ増殖可能な平野にあります。
 地形をみると、札幌は、石狩川まで広がる豊平川の扇状地につくられた街であることがわかります。東に野幌丘陵、西に藻岩山から手稲の山地がありますが、広い扇状地になっています。豊平川は、札幌の北で石狩川に合流し、石狩湾で日本海に注ぎ込みます。豊平川の源流は深く、多くの山並みがあるので、豊かな水量があり、枯れることもありません。ここが大きな都市をつくるのに適した地であることがわかります。
 航空写真、人工衛星画像、あるいはGoole Earthなどで上空から眺めると、札幌の市街地は、かなり緑が少ないことがわかります。東西の山地、石狩川沿いには田畑があり緑がみえますが、市街地が広がる緑が少ない街になっています。ただ、札幌の駅の付近に大きな緑があります。それが、北海道大学(以下、北大と略します)のキャンパスを中心とした文教研究地域です。ただ、札幌競馬場や道庁、大通り公園などにも緑がみえますが。
 札幌は、北大を緑のオアシスのようにみえます。北大は、1876年開学の札幌農学校を前身としています。札幌の緑のオアシスは、市民の憩いの場であるとともに、夏には重要な観光地のひとつとなっています。
 北大の観光ポイントしては、中央ローンの北には古川講堂があります。1909年古河財閥が献金した資金の一部として建てられたネッサンス形式の洋館です。当初は農学部林学科、のちに教養部本館として、今でも文学研究科の研究室として利用されています。
 中央ローンの北西の角には、クラーク像があります。そこで北大を南北に走るメインストリートにぶつかります。メインストリートは、クラーク会館を南の始点として北18条まで通っています。その両側に多数の校舎が並んでいます。中でも、農学部、エルムの森、理学部と総合博物館、ポプラ並木、大野池、イチョウ並木などが観光客を集めています。
 さて、北大の中央ローンには小川が流れています。この小川の名称は、サクシュコトニ川といいます。サクシュコトニ川はアイヌ語で「サクシュ」は「浜の方を通る」、「コトニ」は「くぼち」という意味です。「くぼちの川で、豊平川に最も近い川」という意味だそうです。
 サクシュコトニ川は明らかに人工の水源で水が供給されています。なぜ、このようなことをしているのでしょうか。
 札幌は扇状地なので、湧水があちこちにあり、北大と北大植物園の間にもその一つがあり、そこが水源となりサクシュコトニ川が流れていました。かつては、自然の流れがあったのですが、1951年には、都市化によって地下水位の低下して、水源が枯れ、サクシュコトニ川の流れもなくなりました。
 北大の123周年記念事業の一つとして、2003年に再生したものが、今は流れています。中央ローンの南に、藻岩浄水場から放流水をもってきたものを流しているそうです。人工の水源ですが、流れは、もともとあった流れを使っています。サクシュコトニ川は、中央ローンからメインストリートとは違う裏道のコースを流れています。
 かつては、サクシュコトニ川が地形的な重要な要素だったので、農場を区分していたこともありました。2つの農場が現在の位置になったとき(1910年)から、北大を南北に延びるメインストリートが徐々に形成され、サクシュコトニ川をまたぐ橋もあったそうです。今では地下の水路となっています。
 サクシュコトニ川がメインストリートを交差して西に渡ったところに、大野池があります。
 大野池周辺は、1921年ころには農場で牛馬の水飲み場となっていましたが、その後ゴミ捨て場状態にになり、ドブのような湿地になっていました。工学部の大野和雄教授は、1963年から工学部の施設整備の一貫として、泥沼になっていたものを池にされました。いつしか大野池と呼ばれるようになりました。その後、1998年に整備されて、現在の姿になりました。
 サクシュコトニ川は、大野池から少し流れると、地下を通り、やがて工学部の裏の西側を流れて、サッカー場、陸上競技場わきを流れ、新川になります。新川は、明治時代につくられたもので、直線の流路で海に注ぎます。サクシュコトニ川は、大学の中では流路こそ自然ものを一部残していますが、水源も大学の外の流路も人工のものとなっています。時代の流れでしょう。必要があれば、古いものも残りまるが、必要でないものは消えていきます。
 大学も組織として生きて活動しているものは、新陳代謝をしています。ですから、古いもので保存の価値がないものは、どんなに思い入れがあっても、新しいものに更新されていくのは、宿命というべきでしょう。
 北大にいくたびに、新しいものができています。確かここにあれがあったはずだが・・・と、よく戸惑います。来る度に新しいものができているように感じます。特に自分に関係したものがなくなったり、変わっていきます。身近なものにそんな変化をみると、驚きと一抹の寂しさを感じます。ノスタルジーでしょうか。
 実は、北大は、私の母校です。間が2年間空きますが、学生から大学院、研究生まで、のべ10年間通っていました。その後、現在の職についてからも、3年間、非常勤講師として働き、大学にも恩返しができました。北大には、それなりの思い入れもあるのですが、ここ数年は足が遠のいています。スタッフになっている知り合いも何人もいるのですが、最近では家族で博物館にいくことが、数少ない訪問となっています。
 私が入学したときは、教養部の男子学生のための旧恵迪寮があり、そこに2年間いました。今では取り壊されて、1983年にはコンクリートの大きな新恵迪寮となりました。男女学部生や大学院生、留学生も入寮しています。恵迪寮の一部は開拓の村に保存されています。
 長年通い長い時間を過ごした理学部も博物館になっています。そこに今では家族で年に一度ほど企画展を見に来ています。ポプラ並木も台風で何本も倒れて、通りねけ禁止になっています。一時期、ポプラ並木が通学路になっていたこともありました。かつてはエルムの森でジンギスカン(北大はジンパよと呼んでいます)も自由できていたのですが、今では一部だけが許可されています。
そんな変化も時代の流れという代謝なのでしょう。
 北大には、いろいろみどころがあります。札幌にお越しの際には、ぜひ立ち寄ってみてください。

・北大博物館・
今回のの企画展のテーマは、
「巨大ワニと恐竜の世界」でした。
大きなワニの化石と、
巨大恐竜の化石が展示されていました。
大学博物館なので、企画展の場所は
大きなスペースでの展示ではないのですが、
見応えはありました。
企画展以外にも、周りの常設展示もあるので、
見て回るとそれなりの時間、楽しめます。
また、久しぶりにみると、
常設展の更新もされているので楽しめます。
いろいろな講座もされていたり
ボランティアの養成講座もあるので、
お近くの人はいろいろな楽しみ方ができます。

・七帝柔道記・
今回、北大の取り上げたのは、
増田俊也著「七帝柔道記」
(ISBN978-4-04-110342-5 C0093)
を読んでノスタルジーにかられたこともあります。
この本は、面白くて一気に読んでしまいました。
そこで描写されている柔道部は、
私が1年間しかいなったのですが、剣道部にいました。
剣道部の隣に柔道部の道場があり、
練習をしているのは、知っていたのですが、
その内実は知りませんでした。
過酷な練習は気づいていました。
恵迪寮の同期の友人が柔道部で、
彼が寮にいるときは、
食べているが寝ているかだけの
生活しているようにしか見えませんでした。
それは過酷な練習と、
強かった柔道部時代だったのでしょうか。