2014年4月15日火曜日

112 蒲生田岬:付加の響き

 四国最東端の地は、蒲生田岬です。この岬は、付加体からできていました。また、岬の麓の大池には、津波による地層が溜まってきました。一見、時代も規模も違ったものですが、付加体の形成に関与するものとして響き合っていました。

 3月の下旬に、四国に調査で出かけました。そのとき、四国最東端にある蒲生田岬にいきました。蒲生田は、地元の人は「がもうだ」といっていましたが、阿南市のホームページや石碑には「かもだ」という読みが表記されています。どれが正しいのかはわまりませんが、漢字での表記なら問題はありません。
 さて、蒲生田岬です。蒲生田岬は、徳島県阿南市の南東部に位置します。紀伊水道を挟んで、東に紀伊半島があります。
 蒲生大岬の東には伊島がみえますので、四国の東端はそちらになるのでしょうが、本土としては、蒲生田岬になるということです。以前にも紹介したことがある和歌山県美浜町の日の岬は、紀伊半島では最西端になります。その距離は30kmもありません。この狭い海峡が紀伊水道となるわけです。ラジオを聞いていても関西の電波がよく入ってきました。関西と四国東部は非常に近いと感じます。
 これだけ近いと、地質学的にも連続しています。紀伊半島南部も四国南部も四万十層群が分布しています。四国の地質では、四万十層群は何度か出てきましたが、蒲生田岬も四万十層群にあたります。
 四万十層群は、付加体と呼ばれるメカニズムで形成されました。付加体は、沈み込み帯付近で形成される列島特有の地質体となります。海洋プレートが列島の下に沈み込むと、海溝ができます。海溝は海底では一番低いところですので、海溝に向かって大陸からは陸からの堆積物が流れ込み、海洋プレートは沈み込みます。
 沈み込む海洋プレートに引きずられて、海溝付近の堆積物も沈み込もうとします。ところが多くの堆積物は沈み込むことできず、海洋プレートの一部とともに、列島の地下に剥ぎ取られて付加されています。これが付加作用と呼ばれるものです。
 列島の地下では、剥ぎ取られた岩石類が、つぎつぎと前の岩石の下に付加していきます。しかし、この付加作用は、静かに起こるものではなく、断層によって起こります。断層が形成されるときは、地震が発生します。大きな断層は激しい地震の証拠です。付加体とは、激しい大地の変動の積み重ねでもあります。
 付加作用によって、大地の下側に新しい岩石がくっついていきます。通常の岩石のできかたや並びとは全く違ったものとなります。通常の地層は、新しいものが上に積み重なっているのですが、付加体では新しいものが下になります。このような付加体が、日本列島の多くのところにあるということは、日本列島の地質を考えるときは、通常の地層の常識とは違った考え方をしなければならないということになります。
 日本列島の多くは、時代の違う付加体から構成されています。付加体の時代が、大きく違っている場合、そこには地質学的は大きな境界(大断層で、構造線と呼ばれます)ができています。
 四国の大部分は付加体からできていますが、四万十帯はもっとも南に位置する付加体となります。四万十帯の北側には秩父帯があります。秩父帯のほうが四万十帯より古い付加体です。秩父帯と四万十帯の境界は大きな断層で、仏像(ぶつぞう)構造線と呼ばれています。
 四万十帯は、北帯と南帯に区分できます。北帯は南帯より古い付加体となります。北帯と南帯の境界は安芸(あき)-中筋(なかすじ)構造線と呼ばれています。
 蒲生田岬は、四万十帯の北帯に位置します。白亜紀後期に付加したものです。岩石は砂岩を主とする砂岩泥岩の互層する地層が多くなっています。時々海洋地殻やその上にたまった深海堆積物などが混じっています。蒲生田岬では、砂岩と泥岩の互層やそれが乱れた地層が、岬を構成しています。海岸には大きな砂岩が転がっています。海岸の露頭をよくみると、複雑に違った種類の岩石が入り交じっているところがみえます。はやり付加体の構成物に見えます。
 蒲生田岬の先端には灯台があります。灯台までは歩道しかないので、駐車場に車を止めるのですが、その脇に「大池」があります。
 この大池から、2011年に高知大学の岡村眞さんたちが、大きな発見しました。池の堆積物をボーリングして得た堆積物の層を調べたところ、池で堆積する泥の地層に混じって海の砂の層が挟まっていました。この砂の層は、津波の証拠となります。
 高知では過去の津波の証拠として、2つの湖底の堆積物から地層が見つかっています。美波町田井の「小川溜(おごのため)」と土佐市「蟹(かに)ヶ池」からです。いずれも、約300年前の東海地震、東南海地震、南海地震が同じ時期に連動しておこった宝永地震(1707年)の地震によるものでした。
 岡村さんたちは、大池で4.8mのボーリングをしました。宝永地震の津波がどこまで届いているか確かめるためでした。
 その結果、砂の層を発見しました。池の底から3.5mのところに、10cmの厚さの砂の層がありました。ところが、堆積物の中に含まれる植物片の年代測定をすると、約2000年前のものであることが判明しました。まったく時代の違う津波による層でした。そして不思議なことに、300年前の宝永地震の津波の層はみつかりませんでした。
 つまり、今回の新たな津波の証拠から、同じ四国の海岸でも、地震の種類やタイプが違うと、津波が来るところと来ないところがあることが明らかにされたことになります。
 300年前の宝永地震も、2000年前の津波を起こした地震の記録も、付加体形成に起こる断層が原因です。断層は地層中に記録されているはずです。その断層が地上に表れるのは、何百、何千万年もまたなければなりません。
 現在の付加体には、過去の名も無き地震が、多数記録されています。一つ一つの断層は、大地の激しい変動の証拠なのです。今地表でている付加体の断層から、地震の振動や津波の海鳴りが聞こえてきそうです。

・シリカ碆・
この灯台は、ぐるぐるまわるだけではなく、
沖にある1.2kmにある岩礁を照らしているそうです。
岩礁をずっと照らし続けているのです。
不思議な灯台です。
岩礁は、シリカ碆(ば)と呼ばれているそうです。
シリカとはどういう由来でしょうが。
地質学ではケイ酸という意味があります。
地質学者がみると、この灯台は、
シリカの岩礁を照らす灯台となります。

・夏タイヤへ・
北海道は、まだ雪が残っているのですが、
もう少しで大半が溶けそうです。
春めいた日々が続いています。
ただし、先週末には雪が降りました。
さすがにこの時期ですから、すぐに溶けましたが。
こうなると車のタイヤを、
いつ夏タイヤに変えるかが
悩ましいところです。
そろそろ変えなければならないのですが、
今週あたりがかえどきかもしれませんね。