2016年2月15日月曜日

134 美瑛:火山灰の丘陵

 美瑛は、北海道らしい丘陵地帯に、畑がつくられているのどかな田園風景が広がっています。のどかな田園風景の背景には、激しい大地の営みと、人々の苦労がありました。

 私は京都の農家の生まれなので、子どものころは農園風景の中で育ちました。主には稲作でしたが、畑作もなされている地域でした。我が家の商品作物は、コメとサツマイモでした。いずれも平坦な耕作地で、平らな田園風景が広がっています。これは、私の故郷だけでなく、日本のどこにでもある、ありふれた景色ではなかったでしょうか。
 ところが北海道に来て驚かされることの一つに、平坦でないところの畑があることです。牧草地ならまだ理解できるのですが、畑は見慣れない景色です。もともとあった地形の傾きを修正することなく、そのままにして開墾しています。稲作をしなければ、水をはることがないので、平らにする必要がないのです。もともとあった地形のまま使うのは、効率的ではあります。しかし、本州から来たものにとっては、うねった畑が広がる景色は、非常の奇異に見えました。地形のうねりをそのままにした畑が永遠と続く広大な風景は、異国情調のあふれる北国の景色に見えます。
 その典型ともいえる地域として、美瑛(びえい)が挙げられるのではないでしょうか。美瑛は、富良野の北、旭川の南に位置します。富良野は富良野盆地にあり、旭川は上川盆地にあり、その間に丘陵地帯があり、そこが美瑛になっています。美瑛は丘の町として知られています。美瑛の丘や木立が、よくCMで使われているのは、日本でありながら日本的でない景観をもっているからでしょう。
 この丘の成り立ちが、今回のテーマです。
 さて、丘ができるということは、その地に高まりがあるということです。また、うねった丘があるということは、一様な高まりだけではなく、高まりにいろいろな変化をつける作用もあったことになります。
 美瑛の町は、西部に河川沿いに耕作地が広がり、東部に山林が残され、その山林の先には、山並みが延びています。美瑛は7割以上が山林で、残りの2割ほどが畑などの耕作地として利用されています。美瑛は、丘陵の町でもあるのですが、山林が覆う丘陵というのが本来の姿なのです。
 山並みの一番南西には富良野岳(1,912m)があり、そこから北東に向けて、十勝岳(2,077m)、美瑛岳(2,052m)、オプタテシケ山(2,013m)、ツリガネ山(1,708m))、トムラウシ山(2,141m)へと連なっています。トムラウシ山からは、大雪山系になっていきます。
 美瑛の丘陵地帯は、これらの高い山並みから、ゆるやかに下りながら続いています。つまり、山並みと丘陵はなんらかの関係があるように思えます。これらの山並みの起源は、いくつもの火山が連なっています。ただし、現在、活火山とされているのは、十勝岳でけです。すぐ北には大雪山、東には丸山が活火山としてありますが、十勝岳以外は古い時代に活動した火山です。
 十勝岳はひとつの火山ではなく、いくつも集まって群となっています。これらの火山群は火砕流を何度も流していることがわかっています。古いものでは鮮新世の火山岩類からはじりまり、後期鮮新世の火砕流(美瑛火砕流と呼ばれています)、前期更新世の火砕流堆積物(十勝火砕流堆積物)があり、これら2つの火砕流は大規模なものでした。美瑛火砕流は約190万年前、十勝火砕流は120万~120万年前のもので、いずれも流紋岩質マグマによるものです。これらの火砕流は、上川から美瑛、富良野にも流れています。火山の噴火口は残っていませんが、十勝岳の北東付近だと推定されています。
 美瑛の丘陵の基盤は、十勝岳の火山群の古い時代の噴火活動によって形成されました。その後も現在まで、火山活動は継続しています。現在の山並みを形成している火口から、つぎつぎと噴火していきます。日本列島に特徴的なマグマ(カルクカルカリ質と呼ばれています)による活動で、玄武岩~安山岩質のマグマの活動です。火山体自体は、多数の溶岩流からできていますが、繰り返し周辺にも溶岩を流したり、火山砕屑岩を噴出していました。
 火山活動は、時には大規模な火砕流の噴出をして、美瑛周辺にも流れ出しました。もともとあった地形の凹凸を覆い、その後河川による侵食を受けてきました。このような歴史が美瑛の基本的な地形を形成してきました。
 その後、現在の十勝岳火山群にいたる火山活動がはじまります。噴火は、安政、明治、大正、昭和、昭和~平成の5回の噴火がおこったという記録があります。噴火の様子は、まず水蒸気爆発やマグマ水蒸気爆発からはじまることが多く、それにより山体崩壊が起こり、岩層なだれや泥流が発生していきまました。特に、1926(大正15)年と1962(昭和37)年の噴火では大きな災害がおこっています。
 このような火山にともなう噴出物、堆積物が、美瑛の丘陵地帯を覆っていきました。どのかなにみえる丘陵の地形は、実は激しい火山活動によって形成されたものなのです。
 現在、十勝岳は活火山として警戒レベルは低く設定されていますが、今も活動中で、美瑛の丘陵地帯も、いつまた火山灰が覆う大地になるかもしれません。警戒を続けていかなければなりません。まあ、これは美瑛だけでなく、火山国日本の宿命でもあります。
 美瑛の丘陵地帯は、ここまで紹介してきたように、深くまで火山灰が堆積してできています。火山灰地は、柔らかくて耕しやすいという利点があるのですが、一方、栄養分が少ないという欠点もありました。そのため、土地改良が必要になります。昭和になって農地改良がおこなわれ、丘陵地帯は耕作地へと生まれ変わりました。しかし、美瑛の町に近い丘陵地が主な耕作地で、火山に近い東部は今も山林のまま残されています。
 美瑛は、火砕流によって丘陵地形が形成され、人の営みによって畑の風景と変えられてきたところなのです。穏やかにみる丘陵地には、激しい自然の営みと、人々の苦労を続けた営みがあったのです。

・ススキ・
ススキの生えている景観はよく見かけられます。
農耕民族である日本人にとって
平らな土地は、決して見過ごすことができません。
なのにススキの原っぱが、よく見かけらるということのは、
利用できない土地だということです。
ススキが生えている土地は
耕作に利用できなということになります。
その理由は解明されています。
ススキは、必須栄養素であるリン酸が少なくても
生えることができる植物だからなのです。
日本は、火山灰の覆うことが多いので、
ススキの生えた景色いたるところで見かけられました。
それは、人から見捨てられた土地でもあったのです。
ただし、火山灰が腐植土を大量に含むようになると
黒ボク土として栄養豊富な土壌になります。

・夏の美瑛・
美瑛には、昨年の夏にいきました。
学生の教育実習の出張指導のためでした。
朝、時間があったので、
美瑛の景観を見ることができました。
夏の美瑛丘陵は爽やかでした。
それ以前にも訪れたことはあるのですが、
山を見るためだったので、
丘陵地帯は通りすぎただけでした。
今回、見学の時間はほんのわずかでしたが、
少しだけ見ることができました。