2017年6月15日木曜日

150 鳥取砂丘:ラッキョウ畑の砂

 鳥取は砂丘が有名です。日本のような緑の多い土地で、砂丘のような環境が長期にわたって維持されているのには、理由があるはずです。そのような砂地に暮らしている人もいます。

 鳥取県は、20世紀梨と砂丘が有名です。私は鳥取にしばらく住んでいました。梨は地元の農協などで、商品にならないものを安く売っていました。産地ならではの恩恵にあやかっていました。もうひとつの鳥取砂丘は、あまりに有名で、関連情報もいろいろありますし、実際に訪れた方も多いかと思います。
 これまで、砂丘は遠くからの友人やお客が来た時、お供で何度も訪れることがありました。自分の興味で砂丘を訪れたのは、今回が初めてでした。
 訪れたのはゴールデンウィーク中の昼前でした。危惧していたとおり駐車場は一杯で、止めるところがありません。仕方がないので、砂丘から少し離れたところに駐車場を見つけたので、そこに止めることにしました。そこからは道路を歩いて、砂丘に行くようでした。私は、砂丘は海岸にあるのだから、海岸沿いに行けるはずだと思い、歩いていくことにしました。遠わまりですが、だれも歩くことがない海岸を歩いて砂丘に向かいました。砂丘を堪能することができました。砂丘を昇り降りするという、ハードな醍醐味はなかったのですが。
 さて、そもそも鳥取のこの地で、なぜ砂丘があるのでしょうか。古くから砂丘が存在するためには、砂丘を維持するメカニズムが働いている必要があります。メカニズムとは、砂の供給と砂の集積機構が、常に働いている必要があります。砂の供給源としては、千代(せんだい)川があります。千代川からもたらされた大量の砂は、海流や波により海岸に打ち寄せられます。溜まった砂が、冬の日本海から強い吹く季節風によって集められます。これが砂丘が形成され、維持されるメカニズムだと考えられています。
 鳥取砂丘は、幅は2.4kmほどですが、長さが16kmもあります。そして西から末恒(すえつね)砂丘、湖山(こやま)砂丘、浜坂(はまさか)砂丘、福部(ふくべ)砂丘の4つに分かれています。鳥取砂丘として観光地になっているのは、浜坂砂丘です。
 冬の季節風は北西から吹きます。風の方向に対して砂の山が直交方向にできます。鳥取砂丘(浜坂砂丘)では南東に3列の砂丘が、季節風の方向に直行してできています。季節風が砂を集めるメカニズムとして重要な働きをしていることがわかります。
 3つの砂丘列のうち、北西側から2番目のものが第2砂丘列となり、「馬の背」とよばれています。馬の背は、標高46mの高さがあり、急な傾斜(約30度)で海に落ち込んでいます。馬の背の南側の第3砂丘列との間は、窪地になっており、池が出現することがあります。砂地で池ができるのは不思議ですが、砂の下にある火山灰層が水を通しにくいためです。降水量の多い、晩秋から春にかけて「オアシス」が出現するそうです。
 砂を供給し、集積する仕組みが、鳥取のこの地には古くからあったため、砂丘が継続的に維持されています。かなり古くから砂丘が存在していることがわかっています。新しい砂丘が古い砂丘の上に形成されています。
 砂丘は砂からでているだけなのに、古いものと新しいものをどのように見分けていくのでしょうか。古い砂丘は下にあり、色が黄色く、固くなっています。さらに、砂丘の砂の層の間には、火山灰がいくつか見つかっています。多くの火山灰は、その噴火年代が測定されていますので、どの火山灰かがわかれば、年代が決まります。
 砂丘からは、古い方から三瓶(さんべ)の火山灰(約10万年前)、阿蘇(約9万年前)、大山倉吉軽石(5万5000年前)、姶良丹沢(2万5000年前)などが知られています。大山倉吉軽石より下の砂の層が、「古砂丘」と呼ばれています。
 このような砂地の環境にも、人が住んで暮らしてきました。東側の福部砂丘の背後は、湿地帯になっていて、かつては湯山池がありました。江戸時代の終わりに、湯山池は干拓され水田にかわりました。砂丘の砂地での農作はなかなか困難でした、砂地に適したラッキョウが大正時代に栽培に成功しました。その後、砂防や機械化などにより畑作のための整備がおこなわれてきました。その努力の結果、現在では日本でも1、2位を争うほどのラッキョウの産地となっています。鳥取はラッキョウも名産だったのです。
 5月から6月にかけてがラッキョウの収穫時期ですが、私がいったときは、畑には濃い緑のラッキョウの葉が、一杯茂っていました。でもこのラッキョウの砂地には、いろいろな歴史やメカニズムが埋もれていました。
 砂丘のいいところは、どんなに多く人が訪れて砂を踏み荒らしても、風がふけばその跡は消えてします。私の海岸沿いから鳥取砂丘に向かったとき、人の足跡のない砂浜を歩きました。こんな体験は早朝の砂丘でしかできないはずです。しかし、人通りのない砂地でこんな貴重な体験ができました。もちろん遠くには、多くの観光客が海岸や砂丘の斜面など散策しています。そんな観光地にいっても、私は砂丘の仕組みや人と砂との戦いに思いをはせていました。

・砂の国からの来客・
鳥取の研究所にいるとき、海外から来客があり、
半日ほど観光旅行にいくことになりました。
鳥取の観光地といえば、鳥取砂丘ということで、
先生のお供で、鳥取砂丘にお連れしました。
ところが、お客は砂丘より、道中の森、田んぼ、
路傍の緑の雑草などに興味をお持ちでした。
思えば当たり前のことでした。
砂漠の国からきた人からすると、
緑や水田がいたるところある光景は
物珍しく、興味を惹かれる景色だったのでしょうね。

・YOSAKOI・
6月になって、雨の日が多くなりました。
本州のような梅雨ではなく、肌寒い日が多くなりました。
その分、快晴の青空は心地よいものです。
快晴の日には、北海道では初夏の訪れを知らせる
エゾハルゼミの鳴き声が響くようになりました。
その頃になる北海道はYOSAKOIとなります。
先週後半にYOSAKOIがおこなれました。