2018年9月14日金曜日

165 北海道胆振東部地震

 今回は、いつもの地質の旅行記とは違った内容にしました。北海道胆振東部地震で私が体験したことを中心に、地震状況をまとめ、そこから考えたことを書いていきます。

▼地震の概要
 9月6日3時08分、北海道の胆振(いぶり)地方の中東部で、深度37km(暫定)を震源とする、マグニチュード6.7の地震が発生しました。海溝付近で発生する地震のマグニチュードと比べると、それほど大きくはないのですが、内陸の断層による地震であったため、大きな揺れとなりました。
 厚真町(あつまちょう)では最大震度7を記録するような揺れとなりました。震度6強が安平(あびら)町とむかわ町で、震度6弱を千歳市、日高町、平取(びらとり)町、札幌市東区で観測しました。
 厚真では、広い範囲で大規模な土砂崩れが発生していることを、電気が復旧したあとのニュース番組で知りました。火山灰地への台風による降雨の後、激しい地震の振動が、土砂崩れを誘発したようです。

▼地震発生前
 日本海を北上した台風第21号が9月4日から5日にかけて、北海道の西を通過したため、激しい暴風雨により、建物の損壊や停電、樹木の倒壊が各地で発生し、6日は鉄道が運休し、高速道路などの通行止めもありました。
 5日未明、我が家の窓の外でガタガタとうるさい音がしていました。その音の源がわかりませんでしたが、我が家の向かいの家のトタンが剥がれ飛んだものでした。その板が、我が家のベランダに飛んできてひかかって、音を立てていたようです。夜中の3時に家のチャイムがなり、隣の人と消防隊員が我が家に上がり込み、ベランダの柵に引っかかっているトタン板を、危ないから撤去してくださいました。我が家の前の高速道路沿いに立っていた大きな木が数本、高速側に倒れていました。道路にはかかっていなかったですが、すぐに撤去されました。
 4日の夜、5日から札幌で学会があるため、大学の地質の同窓会が大規模にあり出席しました。その後続けて、地質の同期生との懇親会を開催し幹事をしました。函館や本州から多くの同級生が来ていたので、交通の乱れ、運休がったので、無事、帰宅できるかどうかを心配していました。

▼地震直後
 我が街、江別市は、震度5強でした。ただし、私たち家族は3階で寝ていたので、より大きく揺れを感じました。
 地震直後より、停電がはじまり、繰り返される地震で落ち着いて寝れませんでした。でも、私は無理に寝ました。朝起きても停電が回復しておらず、地震の影響の大きさに思い至ました。スマホを頼りに、情報を入れると、全道的に停電が起こっており、列車はすべて運休、信号も停止しているので、バズなどの公共交通機関もすべてストップしています。そんな状況が少しずつわかってきました。
 私は、この日の朝、千歳から飛行機で山陰地方へ1週間の野外調査に出発する予定をしていたので、いつものように5時ころに起きていました。自家用車で移動するしかないと思い、家内にも同乗してもらい、車で帰ってもらいうので、準備をしてもらっていました。しばらくして、空港も被害を受けていること、やがて全便欠航という情報を、スマホから知ることができました。7時の時点で、調査の中止の決断をしました。
 情報が少しずつですが入ってくることで、地震の被害の大きさを実感できるようになってきました。しかし、札幌市清田区で液状化現象があったのを知ったのは、もう少しあとになります。
 停電も一時的なものではなく、北海道全体が停電する「ブラックアウト」状態になっていることがわかりました。その時のニュースでは、復旧に1週間ほどかかりそうだ、ということを知りました。もし、この情報が本当であれば、避難生活が、少なくとも1週間は必要になります。
 停電はしていたのですが、ガス(我が家はプロパンにしてありました)と水道は通常どおり使えました。ですから、電気以外のライフラインは通常どおり使えそうです。冷蔵庫と冷凍庫は、ダメになるはずなので、冷凍庫はできるだけ開けずに、冷蔵庫のみを使用することにしました。避難所にいくことなく、自宅で過ごすことにしました。
 同居している次男が、6時に近くのコンビニに、食料と飲み物を買い物にいくといって出ました。次男が買い物をしているときは、まだ食品類はいろいろ残っていたそうですが、次男が会計をしているとき、後ろに長蛇の列ができたといってました。タッチの差でした。今後、食料の供給は数日かかと考えられます。2、3日分の食料は、冷蔵庫やストックであるので、自宅で過ごすことができるだろうと考えました。
 ところが、次男が友人から、SNSで、各地で水道が止まっているという情報、これから各地で断水するという情報を仕入れました。その根拠が不明なので、デマではと思いましたので、拡散するなと伝えました。しかし、様子がわからないので、水を貯めておきました。

▼その後
 6日の午後には、大学のある地区は、停電が回復したことを、7日の朝、大学に連絡を入れて知りました。調査のの中止のため、予約していた、レンタカーや旅館のキャンセル、そして発送してたい荷物の返送、遠くの親族との連絡をしました。すべてスマオでした。電話は停電のため使えませんでした。
 水と食材が心配なので、昼食後大にか鍋にカレーを作り置きました。そして冷凍食品を順番に食べていくことにしました。夕方明るいうちに、水でシャワーと体を拭きました。また、夕食は懐中電灯のもとでととり、ラジオを聞き、私はビールを飲みながら夜を過ごしましたが、精神的に疲れているのでしょうか、すぐに寝てしまいました。
 7日9時過ぎ、大学の研究室の様子が心配なので、車で大学向かいました。すると、大学の周辺の2箇所だけ、信号がついていたのですが、それ以外の信号は消えていました。国道を走るのが怖かったです。交通量が少なかったので助かりました。途中の酪農学園大学や道立図書館で巨木が倒れて、道路を塞いでいるところが見えました。
 大学に顔を出し、職員の人たちに様子を聞いたところ、大学は9日まで休校にすることなったそうです。職員も徒歩か車で来れる人、一部だけ出勤している状態でした。
 私の研究室は最上階5階だったので、揺れが大きはずなので心配していたのですが、少しものが倒れているだけで、被害はありませんでした。研究室では、外付けのハードディスクが倒れていました。パソコンを立ち上げたところ、2つのハードディスクが止まっていたのですが、電源を入れなおしたら、動きだしました。助かりました。
 家族の携帯やスマホの充電器を充電しながら、4日に札幌に集まっていた同級生に安否確認をメールでしました。
 午後に帰宅し、ラジオなどで情報を聞きならが、避難生活しました。本を読もうとしたのですが、あまり集中できませんでした。6日とおなじように、早めに寝ることにしました。
 7日21:45 我が家の周辺に電源が来たことを、街灯たともることでわかりました。ブレーカを入れて、電気機器の様子を見てながら、電源を入れていきました。テレビもつけて、被害の様子を映像で少しずつ知ることができました。
 丸2日間の停電状態で、自宅での被災生活でしたが、精神的に疲れました。精神的に立ち直るのに、少し時間がかかりました。これが避難所などで、プライバナシーのない状態で、食事やトイレまで心配しながら、長期間過ごされる方は、大変な心労になるだろうと想像されました。
 8日も午前中、大学でて、昼前に家内の迎えで帰宅しました。電気のありがたさを噛みしめることができました。そして、緊急事態への対応をいろいろ考える機会になりました。
 9日、車で家内と電気が復旧した市内の様子を見て回りました。店もやっているところとやっていないところがありました。空いているホームセンターやスーパーにいって買い物をしましたが、食料品や生鮮品などの日持ちのしないもの、電池やラジオなどの防災用品は、ほとんど空っぽの状態です。

▼誤報
 停電の期間、水道は断水することなく使うことができました。やはり、水道が止まるというのは、デマや流言の類だったようです。
 北海道電力の苫東厚真火力発電所が被災し、いくつかの設備が破損し、装置が停止したとのことでした。そして、その影響で他の発電所も発電設備保護のために順次停止したとのことでした。水力発電所や被災していない火力発電所などが稼働をはじめて、8日の時点で99%の地域が停電状態から脱したとのことです。
 ただし、当初、苫東厚真発電所の再稼働に1週間ほどかかるとの話があったのですが、実際には11月ころという発表がありました。これも公になった誤報でしょう。

▼考えたこと
 現在(執筆は14日午前中)も、2度ほど大きな揺れがありました。このような大きな地震のあとの地震は、これまで「余震」という言葉を使っていたのですが、最近はメディアからは聞かなくなりました。
 2016年の熊本地震で、大きな地震の後に、もっと大きな地震が発生したことから、本震、余震という今までの地震に対する考えた方が適用できなくなりました。その経験から、余震という言葉を使わないとうする取り決めが、2016年8月に地震調査研究推進本部地震調査委員会から「大地震後の地震活動の見通しに関する情報のあり方」として公表されました。余震というと、本震より小さいものという誤解を与えることになるからです。
 このような誤解は、地震予測にもあるのではないでしょう。
 個人の感想ですが、自然、特に大地を相手に予想・予測は、まだ時期尚早ではないでしょうか。複雑に入り組んだ岩石が応力によって破壊されることが、地震となります。そのような力と破壊の予測は難しいものです。
 例えば、割り箸の両端をもって折ろうとすると、折れそうだと感じることはできます。これは予想ですが、ではいつ、どこか、どのように割れるかは、なかなか予想できないことは、直感としてわかると思います。加える力は自身の手で、割り箸の状態も自身の手で感じることができます。それでも、予想できないのです。
 地下でプレート運動により加わる力が、地下の見えないところの岩石に圧力が加えられ破壊するのです。それを予測するのは、非常に難しいでしょう。
 大きな地震あとに起こる地震(かつての余震)でも発生確率を出しているですが、信頼できるでしょうか。また活断層調査や詳しいい観測に基づいた地震の発生確率を発表していのですが、今まで当たったことがなく、その情報の利用方法もよくわかりません。
 そんなことに力を注ぐよりも、防災教育や、被災直後の支援対策、体制づくりや人材、費用をつぎ込んだ方がいいのではないでしょうか。

 以上、脈絡のない内容でしたが、台風と地震にあって考えたことを書きました。

・学生のストレス・
大学は、来週から講義が再開されます。
多くの学生には直接の被害はなかったようですが、
心の被害は不明です。
私のように自宅で家族とともに過ごしていても
かなりのストレスがたまっていたのですから、
一人暮らしで、電気もなく、食料も少ない状態に置かれた
学生がいたら心のケアが必要になるでしょう。
講義がはじまったらその対応になりそうです。

・研究計画の変更・
1週間の調査を取りやめました。
研究費を使用しての調査だったので、
変更願いをだして、
大学生協でチケットのキャンセルをしてもらいました。
1週間の調査日程をとることはもうできません。
ですから、北海道での調査になりまそうです。
しかし、道南、日高地方になりそうなのですが、
道南は台風の影響、日高は地震の影響を受けています。
少し落ち着いて研究計画を練り直す必要があります。