2005年4月15日金曜日

04 屋久島:自然に流れるさまざまな時間(2005.04.15)

 今年の1月に屋久島を訪れました。屋久島には不思議な時間が流れています。ヒト、屋久杉、地形、地質とカテゴリーの違うものですが、どこかでシンクロしている不思議な自然の時間です。屋久島を巡りながら、時間の流れ方の違いと連携について考えさせられました。

 ご存知だと思いますが、屋久島は鹿児島県に属します。その屋久島に2005年1月5日から8日まで出かけました。1月とはいえ、九州本土からさらに60kmほど南に、屋久島はあります。ですから、てっきり温かいところだと思っていました。ところが滞在中は寒い日が続いてて、暖房なしではやっていけないような天候でした。私が着く2日前には、雪が降ったそうで、山に入ると積雪が残っていました。屋久島の冬がいつもこのような気候だというわけではありません。たまたま、日本列島が寒波に襲われた時期だったのです。
 屋久島の海岸沿いの平地では、平均気温が摂氏19.6度となり、年間を通して暖かい気候です。亜熱帯に属する地域ですから、私たちが行った時は、たまたま寒波の影響を受けたのでしょう。
 しかし、屋久島には、1500mを越える山並みがあり、最高峰である宮之浦岳は、2000m近い(標高1936m)高さで、九州全体でも最高峰となっています。
 一般に気温は100mにつき、湿った空気では0.65度、乾いた空気では1度、気温が低下します。ですから、2000mも標高が上がると、平均気温は13度から20度近く下がることになります。宮之浦岳の平均気温は摂氏約7度で、札幌の平均気温が摂氏8.5度ですから、札幌より寒いところといえます。
 また、屋久島は、雨の多い島です。屋久島空港に屋久島測候所観測があるのですが、そこの年間平均降水量のデータは4597.5mmになります。この降水量は、気象庁の観測点の中で最も多いものだそうです。屋久島は雨の島であります。
 屋久島は、亜熱帯に位置しながら海抜ゼロmから2000mまでの多様な環境があり、雨も多いのです。ですから、冬に山間部では雪が降ることは、ざらにありうることなのでしょう。
 天候は、高度や地形で変わり、一日でも変わり、季節でも変わります。私が滞在した冬の屋久島も、そんな変動のひとつに過ぎません。天候は、時間や日という私たちヒトが体感できる時間単位で移り変わるものです。
 もう少しゆっくり流れる時間があります。ご存知のように屋久島は屋久杉で有名です。樹齢1000を優に越える杉が、山の奥深くにたたずんでいます。動物に比べて植物には長寿のものが多くあります。中でも屋久島は特別長寿の生物です。人間は100年に満たない寿命しかありませんので、屋久杉はその十倍以上の時間を生きてきたわけです。屋久杉には数100年、数1000年の単位の時間が流れています。
 ヒトはこの屋久杉の伐採を500年ほど前からはじめ、江戸時代には薩摩藩が屋久杉を年貢として集めました。そして幕末までに5割から7割の屋久杉が伐採されたと推定されています。屋久杉に流れていた時間は、数100年間というヒトの営みによって、多くの長寿の木がなくなりました。
 大正3年(1914年)、アメリカ合衆国の植物学者のウィルソンが巨大切り株(ウィルソン株)を世界に紹介したことから、屋久杉は世界に知られることになり、保護の動きも出てきました。一方、伐採のための森林軌道の敷設やチェーンソーの導入と伐採のための近代化も進みました。その後も、保護と伐採の葛藤が続き、最終的には平成5年(1993年)世界遺産に屋久島は登録され、保護することが決まりました。屋久島の自然の特異さとそれを利用するヒトとの間には、保護と伐採、植林などの営為がおこりました。その営為は、数10年の単位の時間が流れています。
 さて、目を大地に移しましょう。大地には、ゆっくりとした時間が流れます。でも、この屋久島では、その大地の時間は少し早く動いているようです。
 屋久島を上空から見ると、直径30kmほどの丸い形ですが、多角形のようにいくつか角張っているところがあります。見ようによっては恐竜の足跡のようにも見えます。東部から北部の海岸線沿いには平らなところが少し見られますが、海から少し離れて島の中に入っていくと険しい山がはじまります。屋久島を、離れて海上から見ると、中央に盛り上がり、ぎざぎざにとがった山並みが見えます。
 海抜0mから一気に2000m近くまで上ります。半径15000mほどの丸い島ですから、その平均的な傾斜は、37度という非常に急なものになります。実際に山の中に入っていきますと、くねくねとした九十九折の坂道を上っていくことになります。
 海上で中央部が盛り上がった島をみると、火山の島のように見えますが、屋久島は火山の島ではありません。なぜなら、山をつくっている岩石が火山岩でないからです。島をつくっている岩石は、花崗岩という岩石からできています。花崗岩は、火成岩でマグマからできたものですが、火山岩ではなく深成岩と呼ばれるものです。
 火山なら短時間でマグマから岩石に変わりますが、深成岩では非常にゆっくりと温度が下がります。中央アルプスの花崗岩では、100万年で約360度下がっていることがわかっています。花崗岩のマグマは摂氏700度から600度くらいですから、完全に冷えるのに200万年ほどかかることになります。
 深成岩とはマグマが地下深部でゆっくりと冷え固まったものですから、もともと花崗岩の島があったのではなく、固まった花崗岩がゆっくりと上昇してきて島となったのです。
 屋久島の花崗岩は、新第三紀のはじめ頃(中期中新世と呼ばれる時代)にできたものです。しかし、この花崗岩は少し変わっています。日本列島では、花崗岩の多くは、日本海側(内帯)に近い列島の内部にあります。しかし、例外的に花崗岩が太平洋側(地質学では外帯と呼びます)に出ているところがあります。外帯の紀伊半島から四国南部、九州南部にかけて、点々とですが、約1000kmにわたって見つかります。屋久島もそのような花崗岩の仲間です。
 屋久島の花崗岩がどのように変わっているかというと、このマグマは、熱い海洋プレートが低角度で海溝に沈みこんで、上にあった堆積物が溶けてできたものです。このような特別な条件でないとできない花崗岩(Sタイプと呼ばれています)なのです。
 点々と太平洋側に並んでいたのは、熱いプレートが海溝に沿って列をなしてもぐりこみ、マグマができたためです。ですから、紀伊半島から四国、九州、屋久島へと点々と連続して花崗岩が見つかるのです。
 これら外帯各地の花崗岩は1200万年前から1700万年前ものので、ほぼ同じ時期にできています。ですから、温かいプレートがもぐりこんだ時期は、花崗岩の年代から、新第三紀のはじめ頃、500万年の間で起こったことだとわかります。
 さて、地下深部で固まったはずの花崗岩が、なぜ現在地表で見つかるのでしょうか。それは、花崗岩が周りの岩石と比べ、軽いからです。軽いものは、時間をかければ、大地の岩石の中でも浮き上がってくるのです。
 その上昇スピードは、だいたい見積もることができます。この花崗岩のマグマは、地下12kmくらいのところで固まったのではないかと考えられています。一方、屋久島の花崗岩の年代測定(カリウム-アルゴン年代測定法)のデータから、1300万~1400万年ほど前に固まったことがわかっています。
 屋久島の花崗岩は、地下12kmで固まったものが、現在約2kmの標高まで持ち上げられていますので、1400万年間で約14km浮上したことになります。以上のことから、年間約1mmのスピードで上昇したものだと考えられます。もちろん、上にあった岩石は、侵食を受けてなくなってしまいました。これは、かなり速いスピードでの上昇しているといえます。多分現在も上昇しているのではないでしょうか。
 もうひとつ目立つ地形的な特徴が、屋久島にはあります。それは、上空から見るとよくわかります。川や谷、尾根などの地形が、2方向に伸びていることが特徴的です。航空写真や衛星写真でも、日光の当たり方によっては目立って見えることがあります。屋久島では、一方は北西-南東方向に伸び、もう一方は北東-南西方向に直行するように伸びています。このような直線的な大地の模様は、なぜできたのでしょうか。
 それは、やはり花崗岩の性質によるものです。マグマが冷え固まるときに、液体のマグマと固まった岩石では、岩石の方が少しの体積が小さくなります。つまり縮みます。すると縮んだ分、隙間ができます。このような隙間を節理(せつり)といいます。
 節理は、マグマの性質によってその形が違ってきます。玄武岩や安山岩のマグマでは6角柱状になります。柱状の間には、水平の節理が入ります。水平の節理の入り方が細かいと、板状になり板状節理と呼ばれます。花崗岩では、この節理が、立方体つまりサイコロ状になるような方状節理とよばれるものができやすくなります。
 屋久島では、花崗岩は地下深部から地表に出てきますから、大地の圧力も減っていきます。節理はますます隙間を大きくしながら上昇していきます。隙間は、雨や水の浸食を受けやすい場所となります。屋久島は雨が多いところです。雨や川による侵食が激しく起こるところでもあります。やがて、雨や水の流れは、川となり、渓谷となります。そして、上昇の激しい屋久島では、谷はますます深くなり、尾根も険しくなります。山の中の渓谷は、深く険しく、滝や滑床、V字谷が各地に見られます。
 屋久島の2方向の直線状の地形は、花崗岩の方状節理によってできたもののだったです。そして、その節理は、侵食を進める場所となりました。そのような侵食の結果、屋久島には、2方向の直線的な地形ができてきたのです。地形のできるスピードは、年間数mm、1000年で1mほどとなります。その間に花崗岩の上にあったはずの地層は、削られて海に運ばれていきました。地質学的な100万年単位の変化と、日々の雨や川の浸食の積み重ねによって、屋久島の大地は形成されていたのです。
 さまざまな時間が屋久島には流れています。その時間は過去に終わった時間ではなく、現在進行中の時間が流れています。屋久杉を守るということを、ヒトは最近決めました。しかし、ヒトがどんなに屋久杉や自然を守ろうとしても、自然には自然の時間が流れています。それはヒトが止めることのできない時間です。大地が削れ、崩れれば、その上にあった植物は一緒の崩れます。自然の時間は流れるスピードは違うのですが、どこかで連携しているようです。

・自然の掟・
ヒトは、自分とスケールの違うものに感動します。
たとえば大きな木、雄大な景観、桁違いの長寿など
あるいは、見ること、感じることできないほど
微小なものや瞬間の中に織り込まれている繊細なものなどを見たとき、
感動します。
あまりにも自分のスケールとかけ離れているためでしょうか。
しかし、感動の次には、きっと「なぜ」という疑問が
つぎつぎとわいてくるはずです。
そのいくつは、科学が答えを出しています。
でも、多くは、まだ謎のままです。
まして、その感動したものが、
これからも継続して存在するかどうかなど
未来についてには、予想もできません。
自然は、きれいだから、貴重だからなどの区別をしません。
昨年の台風では、屋久島の木々も、大きな被害を受けました。
そんな被害も、ある生物には
自分の成育できる環境ができた、広がったと
喜ぶものいることでしょう。
自然は、ある条件、環境を提示するだけです。
その条件や環境は、ゆっくりと、時には急激に変わります。
それに対処できたものだけで、生き延びるのです。
これが自然に流れている掟なのです。

・観光地ズレ・
屋久島は、印象深い島でした。
世界遺産に登録されたことで
観光客も多く来ます。
観光も重要な産業となりつつあるようです。
しかし、新しい観光地のせいでしょうか、
それとも世界遺産を守る気持ちが強いのでしょうか。
どこか観光地ズレしていない、純朴さがあります。
だから、普通の観光地のサービスを期待していると
拍子抜けするかもしれません。
でも、それが屋久島のよさなのでしょう。
私がそれを感じるようになったのは、
帰ってきてからでした。
滞在中は、巨木の森、面白い地形、特徴的な地質に
魅了されていましたから。

・地形解析・
今回、屋久島の特異な地形をみるために、
今までの、地上開度、地下開度、傾斜量のほかに、
傾斜形と傾斜方位というものを用いました。
斜面形とは尾根・谷などの地形の凹凸を判別するのに適しています。
近くの標高データから斜面の凸凹を判定して、
尾根や谷が明瞭に見えるようになります。
そしてそこを色分けして際立たせます。
土砂災害などの予測に利用できます。
もひとつの傾斜方位とは、
地表面が向く方向、あるいは傾き下がる方向を表します。
標高データからある地点の斜面方位を求めます。
斜面方位は斜面の植生や雪の量の推定するのに利用されます。
この傾斜形と傾斜方位は、屋久島の地形的特長を
よく表していました。
興味のある方は、ホームページをご覧になってください。