2005年6月15日水曜日

06 仏像構造線:断層と大地の営み(2005.06.15)

 断層によってもともと違ったところになったものが接したり、あるいは今まであった関係がずれることがおこります。そんな断層をみていると、人間の営みと大地の営みは、時間でも大きさでもスケールの違いがありますが、どこか似たようなものを感じます。

 愛媛県西予(せいよ)市は2004年4月1日に、明浜町・宇和町・野村町・城川町・三瓶町の5つの町が合併して、誕生しました。合併したそれぞれの町も、「昭和の大合併」で市町村合併をしたものです。愛媛県はかつては伊予と呼ばれ、この町は伊予の西にあるため、西予市と名づけられました。市町村合併は、今まで別であったものが、ひとつものにまとまっていくということです。そのようなことが、自然界にもよく起こっています。それは断層というもので、断層は私たちがよく知っている地震と密接な関係があります。そんな断層を見ていきましょう。
 市町村合併をした西予市のうち、城川町は私のよく知っている町です。城川町に、私は、1991年以来、毎年のように通っています。城川町には地質館という博物館があります。その設立に協力して以来、博物館の展示だけでなく、インタネットを使った博物館情報の公開、市民教育のための普及講座、博物館のネットワーク化など、さまざまな共同作業をしながら、何度も訪れるようになりました。今では、第二の故郷のように思えるほどです。新しい市長さんにも、2度ほどお目にかかり、私たちの成果や目的を紹介しました。
 愛媛県の山間の小さな町である城川町に地質館ができたのは、この地が地質学的に有名なところだからです。地質学を勉強をした人なら、日本の地質の名称として、黒瀬川構造帯、寺野変成岩、三滝火成岩類などという名称を聞いたことがあるはずです。たとえそれらがどの町にあるかわからなくても、聞き覚えのある名称です。これらは、城川町にある地名から由来しています。ですから、城川町という地名を聞いたことがない地質学者でも、城川町にある地名を知っているのです。
 城川町から西予市になって、一気に面積が広がりました。海から四国脊梁の四国カルストまで、多様な自然をかかえる市となりました。私も新しい市の全域の地質をみるために、いろいろなところを巡りはじめました。そんな調査の折に、仏像構造線が見ることができるということを、知りました。さっそく、その断層が見ることのできる崖(露頭(ろとう)といいます)を訪れました。
 四国には東西方向に延びる大きな断層が、2本あります。ひとつは中央構造線で四国の北側を東西に走り、もうひとつが仏像構造線で四国の中央を東西に走ります。仏像構造線は、北側にある秩父帯が南側の四万十帯に押し上げているような構造の断層(逆断層と呼ばれています)です。仏像構造線は、秩父帯と四万十帯の境界になっています。仏像構造線という名前は、高知県土佐市にある地名にちなんで、小林貞一という地質学者が、1931年に命名したものです。残念ながら、城川由来の地名ではありませんが。
 秩父帯も四万十帯も、南にあった海洋プレートが海溝に沈み込むのに伴って、陸側にいろいろな堆積物が押し付けられ、くっついてできたものです。このようにしてできた地層群を付加体と呼びます。四国では、常に南側に沈み込み帯がありましたので、北から南に向かって新しい地質体が付加しています。
 秩父帯が付加したのはジュラ紀で、四万十帯は白亜紀から第三紀にかけてです。さらに南側にはもっと新しい付加体があります。ここで示した時代は付加体が形成された時代で、付加体の中には、海洋プレートが運んできた石も一緒に出てきます。ですから、付加体ができた時代よりもっと古い石も含まれています。秩父帯には、3億1000万年前(石炭紀後期)~1億5000万年前(ジュラ紀後期)の石がみつかり、四万十帯には1億3000万年前(白亜紀前期)~2200万年前(中新世初期)の石が混じっています。
 秩父帯を構成する石は、砂岩や泥岩を主としますが、海山を構成していた石(玄武岩や石灰岩)や深海底に溜まったチャートと呼ばれる堆積岩などを含んでいます。四万十帯も同様に、砂岩や泥岩を主とした石の中に、海山や海嶺できてた石(玄武岩)やチャートなどが混っています。その秩父帯と四万十帯の一番の違いは、付加した時代です。
 また、秩父帯の中には、黒瀬川構造帯と呼ばれる異質な石をいろいろ含む地帯があります。これも一種の大きな断層帯とみなせます。黒瀬川構造帯は、連続性はよくないのですが、断続的に分布しています。中には、シルル紀からデボン紀の地層や花こう岩類、変成岩が含まれています。シルル紀からデボン紀の地層は、岡成(おかなろ)層群と呼ばれ、この地層名は城川にある地名に由来しています。角閃岩や片麻岩などの変成岩は寺野変成岩と呼ばれ、砕かれた花こう岩類は三滝火成岩とよばれ、いずれも城川にある地名に由来しています。
 仏像構造線は、時代の違った付加体が接しているため、地質学的に見て第一級の大断層になります。ランドサットなどの人工衛星から見ると、中央構造線は、明瞭な大地形としてみることができます。仏像構造線もよく見ると大地形としてその連続を追いかけることができます。四国の東西に延びる山並みは、仏像構造線などの付加体の構造をそのまま反映した地形なのです。
 このような大きな断層は、一本の大きな断層がきれいに地層や岩石を割っているのではありません。多数の大小の断層が複雑に入り混じって、大断層を構成しています。大断層の本体を露頭で近くから見ることはできませんが、人工衛星から遠めで見ると巨大断層はよく見えるのです。
 第一級の大断層を見ようとしても、断層の本体はなかなか見ることができません。見ることのできるのは、いくつもある大断層を構成するひとつの小さな断層になります。同じ意味を持つ断層かどうかは、断層の両側にある地層が、秩父帯と四万十帯の地層であれば、それは仏像構造線の一部をなす断層とみなせます。
 それでも、このような一級の大断層を見ることはなかなか難しいのです。なぜなら、断層とは、地層や岩石が割れた場所のことです。そしてその断層が大きければ大きいほど、断層の幅は大きくなり、中には砕けた石ができます。このような部分を断層破砕帯と呼びます。断層破砕帯は、砕けた石でできているので、まわりの石と比べると弱い部分となります。断層が地表付近にあると、断層破砕帯は弱いですから、風化や浸食を受けやすくなります。破砕帯が大きければ、そこは谷となるでしょう。四国の中央構造線は、大きな川(吉野川)や平野(新居浜平野、松山平野)、海(伊予灘)、半島(佐多岬半島)になっているところがあるほどです。
 大きな断層を露頭で見るのはなかなか大変なのですが、仏像構造線が西予市でみることができるのです。私が見ることのできたのは、海岸沿いの道路の露頭や工事中の露頭でした。第一級の大断層にしてはあまりにも、さりげなく、みすぼらしいような気がします。
 しかし、断層の北側には、秩父帯の特徴的な石である石灰岩があり、断層破砕帯をはさんで南側には、四万十帯の砂岩と泥岩の地層がありました。明らかに、仏像構造線の特徴をもっています。この断層は、かろうじて、露頭として残っています。断層破砕帯があるのですから、崩れやすいところとなっています。もし、道路拡張や落石防止のためにコンクリートを吹きつけられたら、明日にも見ることができなくなります。
 近くに工事中の露頭があり、そこの石を見ると、激しく砕かれた石からなる大きな破砕帯がありました。一部でかろうじて石を見分けることができましたが、大半の石はぐしゃぐしゃに砕かれています。近くにこのような大きな破砕帯があるということは、やはり仏像構造帯がこのあたりを走っていることは確かです。考えてみると、海岸沿いのこの小さい露頭に、断層が残っていることの方が、不思議なぐらいです。
 直接断層を見ることは、なかなか困難なのです。ほんの小さいな露頭で垣間見るだけです。しかし、そんな小さな露頭でも、周囲には大断層の痕跡がたくさん見つかります。
 この海岸の露頭よりさらに東の陸側では、断層がそのまま山の崖をつくっているところが見ることができます。このような断層のずれによってできた崖を、断層崖と呼びます。途中で別の断層に切られて南北にずれていますが、20kmほどにわたって断層崖が連続します。しかし、断層崖で断層を直接見ることはできませんでした。
 さて、今までは、第一級の断層の話でしたが、小さな断層であれば、地層や石ころの中に、身近にみることができます。断層とは、石が破壊されてできる割れ目(断層面といいます)で、ズレ(変位といいます)があることをいいます。断層はその規模を問いません。ですから、小さなものであれば、手軽に断層を見ることができるのです。
 石や地層を見ると、さまざまなサイズの割れ目があり、固まっていることがあります。もしその割れ目で左右の石や地層が別のものだったり、模様がずれていたりとすると、その割れ目は小さいながら断層といえます。石がずれて固まった割れ目は、いってみれば、大地の動いた跡、大地の変動の化石といえます。そのような断層を持つ石や地層は探せばいっぱい見つかります。
 断層は、それほど珍しいものではないのです。しかし、断層が持つ意味を考えると、実は重要なことを、小さいな断層が物語っていることに気づきます。
 断層とは、まず石が割れることから始まります。石が割れるということは、大地に働く力が岩石の強度を上回り、岩石に破壊が起こるということです。そのような破壊がおこると、地表で感じるような振動が起こることがあります。それを、地震と呼んでいます。一度の地震でいくつもの断層ができます。小さな断層は、大きな地震によってできた多数の破壊のひとつにすぎないかもしれません。大きな断層は何度も地震を起こします。ですから、断層の数と地震の数とは、一致するわけではありません。どんな規模のものであっても断層があるということは、規模はわかりませんが、地震が起こったことを示しています。
 地層や石の中にみられる断層とは、地震の化石ともみなせるのです。石に記録された断層がいつの時代に起こったものかを特定するのは、なかなか難しものです。特別な場合を除いて、いつかを特定することはできません。しかし、多数の断層が石や地層に記録されているということは、大地では、いたるところで地震が起こっていることを意味します。
 日本では、いや大地には、いたるところに断層が見つかります。その断層とは、大地の営みといえます。大地の営みとは、断層つまり地震を伴うことなのです。そして大地の営みが継続することによって、その規模は、想像を絶するほどのものとなります。山脈をつくり、海溝をつくり、海と陸など地球表層の構造すべてをつくっていくことが、大地の営みなのです。その営みには、岩石の破壊という断層が不可分な作用として伴います。断層があること、それは地球の営みが、起こっている証でもあるのです。
 小さな今にもなくなりそうな露頭にみらる第一級の大断層から、手のひらに乗る小さな石ころの中の断層まで、大地の営みの記録なのです。

・そうは見えない・
このエッセイでは、断層を見るたびに、
いつも感じていること書きました。
第一級の断層をあちこちで見てきたのですが、
どれを見ても、ついついこれがあの有名な断層なのか、
という気持ちがいつも沸きます。
中央構造線でもフォッサマグナでも同じ気持ちを味わりました。
何箇所も見ています。
それよりも名前もない見事な断層が、
大きな露頭の地層では見ることができます。
名もないけれども断層らしい断層、
有名だけれども見栄えのしない大断層があります。
もちろん大断層とは多数の断層からできていること、
見えている断層は、本体の一部に過ぎないことも知っています。
でも、やはりそんな大断層を見るとがっくりしてしまいます。
理性的にはそれが第一級の大断層であること、
地質学的にはそこに大きな不連続があること、
そしてそこに重要な地質学的意味があること、
すべて理解しています。
でも、見ると、やはりそう感じないのも事実です。
人知れず、ひっそりと目立つことなくあるからでしょうか。
断層とは地震の写し身で、
人にとっては害をなすものだからでしょうか。
どうもそうではなさそうです。
第一級の大断層とは、規模も大きく見えてい欲しいという
願望があるからなのかもしれません。
そんな願望が満たされないから、
みすぼらしく感じるのかもしれません。
論理がないと理性は納得しません。
しかし、人が感動するのは感性です。
感性は見た目や大きさなど、
理屈ではないものから発生するようです。
さてさて人の心とは、断層を解明するより難解なものですね。

・市町村合併・
ここ数年、市町村合併で、新しい町の名称が生まれています。
昭和30年頃にあった「昭和の大合併」以来、
50年を経て、今、新たな市町村合併が起こっています。
国の構造改革の一環で打ち出された政策です。
合併でより大きな行政単位となり、
施設の効率化や人員の合理化、
10年間の交付税の確保、
合併のために補助金、
などなどが大きなメリットがあるため、
多くの市町村で進んでいるようです。
一方で、古い町の名称がなくなることへの抵抗、
地域の伝統が消えること、
過疎化の促進への不安、
補助金亡き後の財政危機、
などなど、問題もいろいろありそうです。
しかし、市町村合併の最終判断は、
そこに住む住民たちが下します。
ある地域では、市町村合併をやめ、
ある地域では市町村合併が進んだり、終わったりしています。
いずれにしても、平成の大合併は進行中です。