2007年9月15日土曜日

33 一ノ目潟:地球の覗き穴(2007.09.15)

 一ノ目潟は、地質学的非常に珍しい火山の噴火口です。一ノ目潟の火口は、地球を覗くための穴として重要な役割をもっています。

 2007年8月1日と2日にかけて、男鹿半島にいきました。私は30年ほど前に友人と一緒に来たことがありますが、それ以来です。今回は、家族旅行をかねていましたが、調査も少ししました。
 秋田空港からレンタカーで男鹿半島に向かいました。男鹿半島に向かう途中、付け根にある八郎潟(はちろうがた)を眺めました。八郎潟は、御存知のように干拓地として有名です。干拓は、戦後の食糧増産を目的としておこなわれた事業でした。1957年から干拓工事がはじまり、1977年に終わりました。
 八郎潟は、もともとは琵琶湖について2番目に大きな湖(220km2)だったのですが、干拓後は約50km2の大きさになりました。湖とはいっても、海とつながった汽水でしたが、現在は干拓によって淡水化され、汽水湖時代の主力のシジミなどは採れなくなってきたようです。
 男鹿半島は、もともと半島で陸続きであったのではなく、火山によってできた島でした。米代川と雄物川から運搬される土砂により、北と南で2つの砂洲で本州につながっていました。その砂洲の間にあったのが八郎潟でした。
 もっと過去に遡れば、パレオジン(古第三紀とも呼ばれています)の初期(6200万年前ころ)には、大陸を構成するような花崗岩(正確にはアダメロ岩といいます)があります。この花崗岩は、男鹿半島の北西端の赤島付近の海岸に少しだけ顔を出しています。その後、火山活動が始まります。現在の日本海側では、ネオジン(新第三紀)の中新世を中心とする火山活動が活発に起こります。その多くは海底での火山活動でした。火山岩類やその火山砕屑岩類が、海底の熱水で変質をして、緑色になっていることから、グリーンタフ(緑色凝灰岩という意味です)と呼ばれています。そこから、グリーンタフとは、日本海側のネオジンに起こった一連の火山活動をさして使われています。同じようなグリーンタフの活動は、北海道の東部にも見つかっています。
 火山活動とともに、火山の周囲には、海が繰り返し進入してきて、堆積岩が堆積していきます。それらの地層は、化石によって詳しく調べられ、詳細な時代区分がなされています。そのために、男鹿半島の地層は、日本海側の新生代の模式的な地層とされています。
 一番最近の火山活動は、寒風山(かんぷうざん)と目潟火山です。
 標高354mの寒風山は2万年以前に活動を開始し、大半の溶岩は2万年以降に噴出しました。初期の溶岩流は淡水の湖水に流れこみ、湖成層と複雑に互層しています。火山岩としては、安山岩が主で、少量の玄武岩を伴っています。一番新しい活動は2700年前の火砕流でしたが、これを最後にして、その後の地震や噴気の活動は起こっていません。
 目潟火山は、更新世の最末期に活動しました。その活動は、男鹿半島の西にある丸い形の一ノ目潟(6万~8万年前)、二ノ目潟、三ノ目潟(2万~2万4000年前)という噴火口として残されています。目潟には、水が溜まり、池になっています。
 目潟火山は、マールと呼ばれる火口が特徴です。マールは、マグマが水に接触して、マグマ水蒸気爆発を起こして形成されます。火砕サージが発生して、火口の周囲に低い環状の丘を形成します。
 マールは、大抵は一回の噴火でできることが多いのですが、一ノ目潟は、2つの時期の活動があったとされています。最初の水蒸気爆発によってマールを形成したときに、火山泥流(ラハール)を発生させています。その後、ニノ目潟の形成と同時期に、水蒸気爆発を起こして、軽石を放出しています。
 実は男鹿半島での私の調査の目的は、一ノ目潟に行くことでした。この一ノ目潟は、3つの目潟火山の中でも一番大きなマールとなっています。三ノ目潟は、玄武岩(正確には高アルミナ玄武岩と呼ばれています)のマグマです。一方、一ノ目潟とニノ目潟は、安山岩(正確にはカルクアルカリ安山岩と呼ばれています)のマグマで、三ノ目潟のものとは種類が違っています。
 一ノ目潟では、マグマが通ってきた地下深部の岩石を捕獲して、マグマと一緒に地表に噴出しています。このような岩石を、捕獲岩といいます。一ノ目潟の捕獲岩は、地質学者には非常に有名で、男鹿半島に出かける地質学者の多くは、捕獲岩を採取をしようと考えています。一ノ目潟の捕獲岩には、マントルから上がってきたカンラン岩や、地殻深部にあったと考えられる斑れい岩や花崗岩などもあります。
 捕獲岩をもたらす一ノ目潟のマールは、地球の覗き穴というべきものです。人間の、地下を探る技術は、まだまだ稚拙で、深く掘ろうとすると経費や手間が必要となります。ところが、火山は、地球深部の物質を、自然の力で地表まで持ってきてくれるのです。それが捕獲岩なのです。捕獲岩は、「地球の覗き穴」なのです。
 私も、捕獲岩の採取が目的でした。しかし、それはかないませんでした。男鹿市の水源池というので柵がありましたが、ちょうど取水口の作業中なので、入れてもらって、写真だけをとりました。作業中でしたので、湖岸には下りませんでした。
 もし、湖岸に降りられたとしても、採取をしていはいけなかったのです。なぜなら、2007年7月26日に「男鹿目潟火山群一ノ目潟」として、国の天然記念物に指定されたからです。その指定理由は、「マールの典型として、また単性火山群の典型として」貴重であるためです。これからは、一ノ目潟は、天然記念物として保護されることになりました。
 私が訪れた時は、そのようなこと状況を知らず、掲示もありませんでした。試料を採らなくてよかったです。罪を犯すことになるのです。今後、一ノ目潟に入るには、文化庁もしくは県の許可が必要になるでしょう、地質学者も気軽に調査に入ることも、標本を採取することもできなくなるはずです。現在、地質学者で一ノ目潟の標本をお持ちの方は、大切にされるといいでしょう。もしかすると、これらかは、ほとんど手に入らない貴重な標本かもしれません。
 一ノ目潟の捕獲岩は非常に有名で、男鹿半島を訪れた多くの地質学者が、採取にいったことがあるはずです。人気のあるのは、なんといってもマントルから上がってきたカンラン岩類です。二番人気は斑れい岩類で、次いで花崗岩類なります。その順に捕獲岩は採取されていきます。結果として、一ノ目潟の周囲の捕獲岩は、花崗岩が比較的多くなり、斑れい岩が少なくなり、カンラン岩にいたっては稀なものとなってきます。私が30年前にいったときも、カンラン岩は少なかったのですが、それでもがんばれば、いくつも見つけることはできました。今では、もっと少なくなっていたことでしょう。
 これは、明らかに地質学者(あるいはそのタマゴの学生)による乱獲のためです。持ち帰られた標本の多くは、研究材料とすることなく、どこかに紛失してしまいます。ですから、いくら学生の勉強のためとはいえ、乱獲によって、貴重な試料がなくなるのは、人類にとっての大きな損失です。保護しなければなりません。それを憂えたため、今回の天然記念物への指定となったのでしょう。
 貴重な自然物ですから、保護は必要だと思います。しかし、保護のせいで、研究がしづらくなるのも確かです。これからの地質学者を目指している学生や大学院生は、もう一ノ目潟の捕獲岩を研究テーマにすることは、なかなか難しくなりそうです。
 せっかくの地球の覗き穴が、乱獲のために、閉じられてしまいました。科学発展と保護は、なかなか難しい問題です。

・処罰・
一ノ目潟は、国の史跡名勝 天然記念物になっていますので、
文化庁の管轄になります。
また、「文化財保護法」によって、
さまざまなことが法律で定められています。
もし、誰かが、無断で岩石を持ち帰ったら、
罰則規定が適用されるはずです。
もし私が資料を持ち帰って処分されるとすると、
「第196条 史跡名勝天然記念物の現状を変更し、
又はその保有に影響を及ぼす行為をして、
これを滅失し、き損し、又は衰亡するに至らしめた者」
とみなされたら、5年以下の懲役若しくは禁錮
又は30万円以下の罰金となります。
あるいは、犯罪の程度によって、
さまざまな罰金刑に処されることになります。
私が知らずに、日付入りで標本を採取したことを
このメールマガジンなどで公開したら、
処罰対象となっていことでしょう。
今思えば、少々、冷や汗ものでした。

・湖底堆積物・
目潟の湖底には、堆積物が溜まっています。
その堆積物をコアとして採取すると、
縞状の堆積物を採取することができます。
その堆積物は、花粉や生物の遺骸、化学成分などから、
気候の変動を読み取るための
タイムレコーダーとして利用されています。

・戸賀湾・
男鹿半島の西側に戸賀湾があります。
この戸賀湾の西が切れて海とつながっています。
しかし、もともとは非常に丸い形をしていたことがわかります。
目潟火山と同じようなマールではないかと思えるほどです。
しかし、どうもマールではないようです。
もちろん、火山の火口には違いがありません。
しかし、火山の活動年代が42万年前で、かなり古いものです。
さらに、活動したマグマも流紋岩です。
明らかに目潟の一連の火山とは別の活動によるものです。