2011年8月15日月曜日

80 蓬莱山:切り離された記憶

 新ひだか町三石(みついし)には、蓬莱山(ほうらいさん)と呼ばれる小さな切り立った山があります。その姿は威容ではあるのですが、周りを圧倒するようなことはなく、ただ佇(たたず)んでいるようにみえます。そんな佇む姿は、周囲から切り離され孤立しているためなのかもしれません。

 先日、夏休みをとって2泊3日の家族旅行をしました。家族はどこといっていきたいところはなく、子供たちは水辺で遊ぶことを希望しています。日数もあまりないので、このエッセイの題材になりそうな地域へ行くことにしました。
 日高の海岸沿いに襟裳岬までいき、黄金道路を北上して、十勝平野に行き、もどるというコースです。宿泊施設も、以前から何度か泊まっているお気に入りところです。
 さて、今回紹介するのは、三石(新ひだか町三石)の蓬莱山(ほうらいさん)です。私は、ここにくるのは3度目で、家族で来るのも2度目となります。でも、子供たちはほとんど覚えていないようです。
 蓬莱山は、山と川の間の河原にポツリと突き出た地形をしています。三石川を河口から遡ると、目立った地形なので、その存在はすぐにわかります。目立ちはするのですが、周りを威圧するような姿ではなく、ただひっそりと佇むようにあります。
 蓬莱山の対岸(右岸)にも少し切り立った崖があります。蓬莱山とその対岸の切り立った崖自体は目立ちますが、周囲の山はなだらかなので、余計に蓬莱山などの険しさが目立つようです。その険しさは、神秘的にも感じられます。昔の人もそれを感じていたのでしょうか、蓬莱山の麓には小さな祠が祀られています。北海道の文化財にも指定されています。
 私が蓬莱山で石を見ている間、家族は川で水遊びをしていました。本当なら磯で遊びたかったのですが、台風の影響で波が高く、満潮の時間でもあったのでかなり危なそうに見えたので、川で遊ぶことにしました。天気が続いていたので、三石川の水は澄んでいて、川遊びをするのに絶好でした。幸い天気にも恵まれ、子供たちは2時間ほど心置きなく水遊びをしました。
 7月には、蓬莱山から対岸まで大きな注連縄(しめなわ)が渡され、祭りを催されます。残念ながら祭りの時期に行ったことはありませんが、以前、注連縄が飾られているのは、見たことがあります。
 蓬莱山と山並の間には、切れ込みがあり、JR日高本線と道道が通っています。JRが海岸から離れて、内陸に大きく迂回しているところです。蓬莱山と山との間の狭いところを道路も線路も通っていることになります。
 線路脇には崩れた露頭が見えます。線路越しに見ると、露頭には蛇紋岩が崩れているのが見えます。
 この蛇紋岩は、神居古潭帯と呼ばれる地質帯に属しています。神居古潭帯は、蛇紋岩と共に高圧の変成作用を受けた変成岩からできています。蛇紋岩は、もともとはマントルを構成していたカンラン岩ですが、変質作用で水をたくさん含んで蛇紋岩になっています。
 蛇紋岩は、カンラン岩が変わったものですが、性質はかなり違っています。蛇紋岩は、割れ目が多く、割れ目ですべりやすく、すぐに崩れてしまいます。水が加わると、さらに滑りやすくなっていきます。ですから、蛇紋岩の露頭は、侵食されて崩れ、削られていきます。蛇紋岩があって侵食され窪地になったところを、道路と線路が通っているようです。
 蓬莱山や線路より奥に続く山並み(軍艦山)、対岸の山(写万部山)は、神居古潭帯の高圧変成岩が分布しているところです。蛇紋岩に比べて高圧変成岩のあるところは、険しい山となっています。蓬莱山や対岸の崖は、角閃岩と呼ばれている縞状構造をもった高圧変成岩からできています。
 角閃岩とは、角閃岩相(主に角閃石が形成されます)の変成作用を受けた変成岩で、原岩は幾種類かの岩石からなり、変成作用で縞状構造あるいは片麻状構造をもつようになっています。高圧変成岩とは、温度はそれほど高くなく、圧力が高い条件をいいます。それは、海洋プレートの沈み込み帯(海溝のあるところ)の深部で起こる変成作用です。神居古潭帯は、昔の海洋プレートの沈み込み帯の存在を示しています。日本列島、あるいは北海道の大地の生い立ちを知る上で、重要な情報をもたらします。
 神居古潭帯は、三石から北へ、沙流川流域、夕張岳、神威古潭峡谷、幌加内、猿払などに断続的に分布しています。さらに北への延長は、サハリンまで続いています。三石の軍艦山より南方で、蛇紋岩の分布は途切れてしまいます。神居古潭帯は、海に入り込んでいます。
 この付近には断層帯があり、断層に沿って蓬莱山が押し出され、蓬莱山地塁帯ができたとされていますが、なんといっても蛇紋岩と高圧変成岩の硬さの違いが重要です。蛇紋岩は簡単に侵食されますが、高圧変成岩はなかなか侵食されません。三石川に浸食されずに残ったもの(残丘と呼ばれます)が蓬莱山となったのでしょう。
 蛇紋岩は、地表に露出すると比較的短い期間で侵食されてしまうため、露頭が地表にはなくても地下に蛇紋岩があることもよくあります。土木工事をすると、地下にあった蛇紋岩が露出するようになります。蛇紋岩は、滑りやすい岩石で、水が加わると膨張し崩れていくという性質があるので、土木工事では非常に嫌われものになっています。
 蓬莱山以外にも、いくつか高圧変成帯の岩石がこの地域にはでており、露頭がなくても周辺に蛇紋岩が潜在していること感じさせます。神居古潭帯の蛇紋岩は、土木工事では厄介ものです。しかし、深部で形成された高圧変成岩を、持ち上げてくる作用をしていることにもなります。この作用は地質学者にとっては、深部の岩石、大地の生い立ち知る上で重要な情報をもたらします。
 我が家の子供達が水遊びをしていると、川に来られた家族連れがおられました。声をかけると、北海道は旧暦で七夕をするので、七夕(たなばた)飾りを川に流しに来られたとのことです。この河原なら遠くまで笹飾りが流れていくからと、わざわざここまで来られてようです。都会の川ならゴミになるかとか言われそうですが、ここでは、昔からおこなっている風習のほうが優先します。そして三石川にはそんな風習をきれいにしてしまう浄化力がまだ残っています。遊んでいた河原の淵には、大きなニジマスがいたということです。何度もここに親子で釣りをしにきていると話されていました。
 霊を安置して、幡(笹飾り)をするのが7日の夕方なので、「七夕」というようなったそうです。七夕は、もともとお盆行事の一環だったようなので、お盆は旧暦で行われるのですから、七夕も旧暦でするべきでしょう。それが、いつの間にかお盆と七夕、旧暦と新暦が切り離され、祭りや儀式のみが残っています。まるで蛇紋岩が侵食され、高圧変成岩だけが残っているように。佇む蓬莱山のように。

・七夕・
北海道では旧暦で七夕をします。
七夕の夜に、子供たちが
「出せ、出せ、ローソク出せ、出さねば、かっちゃくぞ」
と掛け声を出し、家々をまわります。
「かっちゃく」とは北海道弁で「ひっかく」という意味です。
声をかけ、お菓子などをもらうという風習があります。
我が地区でも数年前からこの行事が復活して、
子供たちが、夜、家々を巡りっています。
地区が大きいので、あらかじめルートを決め、
家を決めて回ることになります。
現代的な対処でしょう。
でも、このような伝統行事があることは
重要なことだと思います。
その重要性を四国に滞在して強く感じました。
子供たちがその風習に参加して、
地域のコミュニティに属していることを
肌で感じることが必要です。

・砂金探し・
三石川で砂金探しをしてみましたが、
予想どうり、砂金は見つかりませんでした。
場所が悪すぎました。
砂金は場所さえよければ、見つかるはずです。
砂金探しにもコツがあるので、
見つけるのはなかなか大変です。
歴舟川で砂金堀体験をしましたが、
それは別の機会にしましょう。