大地の景観には、
さまざまな自然の驚異、素晴らしさ、不思議が隠されています。
そんな大地の景観を地形や地質のデータから地質学者が眺めたら、
どう見えるでしょうか。
皆さんどうか、大地の造形に隠された仕組みに
目を向けてください。そして楽しんでください。
2012年5月15日火曜日
89 黄金道路:地質学的必然性
北海道の中部の南端。襟裳と広尾を結ぶ海岸は、黄金道路と呼ばれ、ドライブコースとして近年知られるようになってきました。整備されたきれいな道で、トンネルが続くのですが、ときどきみえる海岸は、天気がよければきれいな景色でドライブを楽しめます。また、少々海が荒れてもトンネルや防波堤がしっかりと道路を守っているので、安心して走れる道です。でも、黄金道路には、観光ルートとは違った別の一面があります。
「黄金」という地名をもつところが、日本各地にあります。黄金は、「おうごん」や「こがね」と読みます。北海道でも、JRの室蘭本線で、室蘭より少し函館よりに黄金駅があり、もともとの地名に由来しています。また、正式地名ではなく、通称、俗称として、黄金○○というものも、多数あります。
地名の由来には、いろいろなものがあるでしょうが、黄金は名前の通り「金」に関係するものが多いのではないでしょうか。
今回の話題も「黄金」がつきます。地域ではなく道路の名称で、正式名称ではなく俗称ですが、この名の方が有名となっています。通称の由来は、「金(きん)」ではなく「金(かね)」によります。
国道336号は、浦河から襟裳岬をへて太平洋岸を釧路まで達する道路です。えりも町庶野(しょや)から広尾町音調津(おしらべつ)の33.5kmの間を、特に「黄金道路」と呼んでいます。そん間は、トンネルが次々と続く、きれいに舗装された道路になっています。
私は黄金道路を何度か通っていますが、路側帯が少なく、なかなか止まれないので、ついつい素通りしてしまっていました。年々整備されているようで、今ではトンネルも多くなり、走りやすくなりました、ますます止まりにくくなっています。
昨年通ったとき、黄金道路の襟裳側の入り口にあたる道路わきに、小さな公園がありました。気がついて、その公園に立ち寄りました。公園は少し高台になったところにあり、碑がつくられていました。公園の高台に登ると、北向きの海岸を眺めることができます。
黄金道路の走る海岸は、海にまでせり出したガケが延々と続いていることがわかります。新しくできたトンネルの脇に、壊れて破棄されたトンネルが見えます。そんな景観は、この海岸沿いの道路が、人と自然が戦っていることを示しているようです。
広尾から襟裳までは、切り立ったガケの連続の海岸で、山も深く厳しい地形のため、道路の建築が難しいところでした。海岸ぞいに道路があったのですが、断崖にはばまれているところは、山道を迂回するので、大変な行程だったようです。1982(明治2)年にはトンネルが開通したので、人馬の通行が一応可能となりました。ただ、海岸沿いの道も海が荒れるとすぐに通行が不能になり、改修、補修が必要になりました。交通の難所でもありました。
かろうじて陸路の交通があっただけで、物資運送の交通路にはなっていませんでした。かつて十勝と日高は距離が近いのに、日高山脈が立ちはだかっていたので、交流はほとんどできず、不自由をしていたようです。地域住民の要請を受けて、北海道が本格的な道路をつくることになりました。
道路の工事は、襟裳側からはじまります。調査がおこなわれ、1921(大正10)年には、道路工事が可能であることが示されましたが、地質や地形の状態から、非常に困難な工事が予想されました。そして、1923(大正12)年から工事が着工されました。
一方、広尾側は、少し遅れて1926(大正15)年に、工事をおこなうことは決定されたのですが、地元漁師(コンブ漁への影響など)の反対運動があり、1927(昭和2)年からの着工となりました。
断崖を削ったり、護壁やトンネルなどの工事がいたるところに必要でした。橋が22ヶ所、トンネルが17ヶ所、防波堤は25ヶ所、のべ6346mに達しました。多大な犠牲(18名宇の死者)を出しながらも、とうとう1934(昭和9)年10月末に、全線が完成します。膨大な経費(総工費945,503円、1mあたり28円20銭)を費やしての完成でした。当時の公務員の給料と比べると、月給分で1.3mほどしかつくれないほどの高額の工事費となっていました。まるで黄金を敷くような費用をかけてつくられた道路でした。これが「黄金道路」の由来です。
日高山脈を横ぎる内陸道はなかったため、完成当時は、日高地域と十勝地域を結ぶ唯一の道路となりました。各地で崩落、侵食などの災害が発生しましたが、軍事的にも重要だったので、復旧、改修工事が絶え間なくおこなれていました。
戦後になっても、1960(昭和35)年から1986(昭和61)年まで、大規模な改修工事がおこなわれ、多くの費用(約300億円)が費やされて、多数のトンネルや覆道がつくられています。その後も繰り替えし改修が続けられ費用が投入されています。
道路は整備がされ、景色も綺麗なのですが、今でも大雨が降ると、崩落危険箇所が多々あるため、もたびたび通行止めになります。通行止め回数が、道内の国道で最も多い区間でもあります。断崖となっている急斜面が多いため、崩落や斜面崩壊の危険性があり、実際に崩落も繰り返されています。特に大きな地震にときは、崩落が何度も起こっています。
黄金道路が、このように厳しいルートとなっているのは、地質の背景があるためにです。
日高山脈の東に広がる地層は、「中の川層群」と呼ばれていて、黄金道路のある海岸まで分布します。中の川層群は、古第三紀(暁新世、約6000万年前)の地層で、メランジュと整然層(通常の堆積層のこと)からなります。メランジュは、沈み込み帯の陸側で形成されたいろいろな岩石(チャート、砂岩、礫岩など)が混在したものです。また、黄金道路の北の方には、中の川層群に貫入している花崗岩類(約3500万年前)があります。堆積岩の一部は、この花崗岩の貫入によって熱変成作用(ホルンフェルスと呼ばれます)を受けています。
変成作用は、熱と圧力が加わることによって別の鉱物ができて、岩石の種類が変わったものです。圧力が加わる変成作用では、その圧力のかかり方で割れやすい方向が形成され、割れ目の方向で崩落が起こりやすくなります。熱による変成作用は、焼入れをするような作用で、堅固な岩石に変わっていきます。ホルンフェルスは、熱による変成作用によってできた変成岩の一般的な名称で、黒っぽく緻密で硬い岩石に変わります。ですから、ホルンフェルスになっている部分は硬いため、割れ目ができにくい岩石に変わります。
花崗岩もマグマが固まった深成岩のなので丈夫です。ただし風化をうけるとマサ化してくずれることはありますが、大きな固まりとしての崩落を起こすことはあまりないはずです。
ところが、日外(あぐい)さんたちによる2008年の調査報告によると、岩石を選ぶことなく、崩落は起きていることがわかります。近年20年ほどの間に発生した大きな崩落(100m2以上)28件の内訳は、花崗岩3件、堆積岩14件、ホルンフェルス11件となっています。花崗岩は少なめですが、いずれの岩石の分布地域でも崩落が起きていることになります。本来であれば、硬いホルンフェルスのところは崩落が起きないはずなのですが、なぜか起きています。
崩落は、岩石の割れ目にそって水や空気が入り、岩盤が緩んで、すべることで起きます。割れ目は、もともとの岩石にあった弱い部分が風化によって広がっていきます。実際に崩落の起きた場所周辺の岩石には、規則的な割れ目が多数できているようです。さらに、黄金道路沿いは、崖になっている急傾斜なので、海側に傾いた割れ目ができると、非常に壊れやすくなります。
まだ斜面崩壊の実態は、充分に解明されていませんが、これは地質的背景が大きく関与していると考えられます。
太平洋プレートの沈み込み部が、津軽海峡の東側で、大きく屈曲しています。その屈曲の北西延長にそって大きな断層地形があり、日高山脈の南延長が、襟裳岬沖で切れられているような地形があります。日高山脈の海への埋没にともなって、山脈の東裾野が、黄金道路のあたりで海に没しています。
海岸地形として十勝沖に急傾斜の大陸斜面があり、深い海底の渓谷も刻まれています。つまり、十勝沖は急激に深くなろうとしてる場に、高まりである日高山脈が接している形になっています。このような地質学的背景があれば、山は急激に崩れ落ちるはずです。崩壊のきっかけとなるのは、沈み込むプレートによって起こる地震です。海溝付近は、地質学的にも頻繁に地震が起こる場であります。
山と海の境界が、海岸線となり、黄金道路の位置するところもであります。崩落は大局にみれば、地質学的必然性によるものともいえます。人為的対処は短期間においては可能でしょうが、長期的に安定は望めないはずです。黄金道路は将来にわたっても、黄金道路となるのでしょうね。
・地震崩落・
黄金道路の崩落は地震によって頻発することが
上で述べた論文でも報告されています。
そこで3.11の地震による崩落を調べてみたのですが、
起こっていなかったようです。
地震後は、黄金道路間を通行止めにして
安全確認された後、通行可能になったようです。
今までの崩落対策が功を奏したようです。
黄金道路のある海岸線は、
山と陸の押し合い(プレート境界)の場であります。
今は安全は確保されているかもしれません。
長い目で見ると、日高山脈が海に引きずられているので
常に崩れているところでもあるのですが。
・空白地帯・
この月間のエッセイを書くに当たり、
今までどの地域を書てきたかを見て、
まだ取り上げていない地域を書くように心がけています。
そのため、ホームページの地図を眺めて考えます。
私の研究テーマや、居住地などの地域性から
書いている地域が偏っています。
集中して書いているのは、
北海道(居住地)、近畿(故郷)、四国(研究テーマ)
などです。
空いている地域を書くようにしているのですが、
行っていないところは書けません。
また、いったことがあるのですが、
書けない地域もあります。
そんな所へは、再度テーマをもって
出かけたいと考えています。
ところが、最近は出歩ける時間の確保が
大変になって来ました。
研究として調査に出るときは、
最近は四国が中心になります。
ですから、新しい地域を埋めるのはなかなか難しくなります。
しかし、今年は、さまざまな理由で
別の地域に行こうかと考えています。