フォッサマグナという言葉は、中央構造線とともに、地学だけでなく、中学校の社会や高校の地理でもでてきました。中央構造線は日本語になっているのに、フォッサマグナだけカタカナ書きなのは、なぜでしょう。フォッサマグナという言葉も、英語の単語として聞いたことのないものです。フォッサマグナの秘密を見ていきます。
今年の秋、長野県を中央から北部へ国道147号線を走って縦断しました。147号線は東西に高い山なみと並行に、姫川に沿って通っています。激しい雨に戸惑いながら、ただひたすら進むしかありませんでした。
長野の147号線を走ると、気づくことがあります。それは、山なみの伸びる方向が、他の地域と違っているということです。中国、四国、近畿の山脈の多くは、東西にのびています。ところが、中部地方になると突然、山なみが南北にのびるようになります。日本アルプスとよばれる飛騨山脈、木曽山脈、赤石山脈は、ほぼ南北にのびています。そして関東に近づくと乱れていきます。そして東北地方では、南北にのびて安定します。
地形ができる背景には、必ず地質学的原因があります。地質学的に、山脈をそのような向きに形成した必然性があるはずです。地形が大きければ大きいほど、地質学的原因も大きなものとなります。日本アルプスの形成は、第一級の地質原因といえます。だれもが学校で習ったことがあるフォッサマグナが地質学的原因となっています。
フォッサマグナとは、ラテン語のFossa Magnaが語源となっています。Fossaは「みぞ」や「掘る」という意味で、Magnaは「大きい」という意味です。Fossa Magnaは「大きな溝」という意味で、日本語では「大地溝帯」や「中央地溝帯」と呼ばれることもありますが、ほとんど使われることなく、フォッサマグナとカタカナ書きされています。
フォッサマグナと最初に名付けたのは、「お雇い外国人」でドイツの地質学者のナウマン(Heinrich Edmund Naumann、1854年~1927年)でした。ナウマンは、1886年にこの「くぼち」をフォッサマグナと呼びました。それ以降、境界や起源についての論議はまだ決着をみていませんが、フォッサマグナのまま使われています。その地質学的な重要性は、現在でも健在です。なぜなら、日本列島にとって、地質学的に、地形的にもっとも大きな構造の一つだからです。
「くぼち」ですから、両側に高まり(山脈)があり、低地があることになります。フォッサマグナは、日本海側の長野と新潟から太平洋側の静岡から神奈川まで広い範囲を意味しています。西側の境界は比較的明瞭で、糸魚川‐静岡構造線(糸静線と略されることもあります)と呼ばれていますが、東縁は新発田小出構造線から柏崎千葉構造線とされていますが、諸説があります。それは、あまりその境界が明瞭ではないからです。
フォッサマグナの南部にあたる関東山地には、西南日本や東北日本と同じ年代の地層を含む大きな地質体があるため、いろいろな解釈ができて、混乱が生じています。この異質な地質体は、フォッサマグナが活動を初めて開いたとき、西南日本か東北日本から切り離されました。その時、異質な地質体がフォッサマグナ内で残されたと考えられています。その後、フォッサマグナが閉じる活動に転じたときに、フォッサマグナ内にできた新しい地層とともに圧縮され混在したと考えられています。
フォッサマグナは、ちょうど本州が東西に分けられるところで、地質学的には大きな境界になります。フォッサマグナの東西では、列島の孤の形態が変わります。そして地質の構成や連続性も断たれます。
東側(東北日本と呼ばれます)では、地質構造は南北に伸び、太平洋プレートの沈み込みである日本海溝の並びに対応しています。北海道中央部で再び東西に曲がります。一方、西側(西南日本と呼ばれます)は、東西に伸び、フィリピン海プレートの沈み込み対応しています。九州から再び南北に地質構造は伸びます。
フォッサマグナは、日本列島の大きなつなぎ目、あるいは変換域になります。フォッサマグナの溝の深さは、8000~9000mに達するとされています。このような地質の大きな境界の「くぼち」には、新しい時代(ネオジンから第四紀にかけて)の堆積岩がたまり、マグマ活動による深成岩や火山岩が形成されました。
近年では、フォッサマグナは北アメリカプレートとユーラシアプレートの境界になるという解釈がでてきました。かつては、両プレート境界は、北海道中軸部の日高山脈とされていました。しかし、1983年の日本海中部地震があってからは、日本海東縁部からフォッサマグナをプレート境界とする考えが支持されるようになりました。
フォッサマグナは、西は糸魚川‐静岡構造線、東は新発田-小出構造線や柏崎-千葉構造線など、日本でも第一級の構造線が集まって形成されたものです。構造線とは、巨大な断層が多数集まって形成されます。構造線の両側の地層や岩石は、まったく違ったものになっていることがほとんどです。それは、断層によって大きな変位を生じたということです。断層の変位とは、水平方向や垂直方向に大きくずれて移動することです。
構造線は、多数の断層が繰り返し活動することでその変位を蓄積していきます。そのような場は、地質学的に大きな力が働いているところです。日本列島は常に海洋プレートが沈み込んでいる場になっていました。ですから、沈み込むプレートによる圧縮の力が日本列島にかかってるので、山脈が一定の方向に並びます。そのプレートの沈み込みを乱す地質学的に大きな力が、フォッサマグナのあたりにはかかったことになります。それこそが、フォッサマグナの成因となります。
約2000万年前ころ、ユーラシア大陸の縁にあった後に日本列島になる部分が分離します。分離後、日本列島とユーラシア大陸の間には日本海ができます。分離したとき、日本列島はフォッサマグナをはさんで2つの列島(東北日本と西南日本)に分かれていました。列島の間は海になっていて、そこに堆積物がたまりました。その後、フィリピン海プレートの沈み込み帯に、伊豆半島を乗せた小さい大陸地殻が、フォッサマグナ地域に、200万年前~100万年前に衝突しました。これによってフォッサマグナ地域が隆起し、陸化しました。
非常に複雑な地質学的背景、そして歴史があります。今も、フィリピン海プレートの衝突は続いています。その影響で、伊豆大陸の前線の丹沢山地や日本アルプスなども上昇を継続しています。山なみの大きな変化には、大地の大きな営みがあるのです。
・派生断層・
広域の地形図では構造線が見えたとしても、
現地で主断層が確認できることはほとんどありません。
主断層は変位が大きすぎて見えなくなっています。
その断層から派生した断層が見えることがあります。
糸魚川ジオパークでも、その派生断層がみることができます。
この断層は、糸魚川‐静岡構造線の派生断層です。
少々手をかけすぎですが、
安全にアプローチでき、解説パネルもあります。
私がいったときは雨でしたが、
天気のいい日ならじっくり観察できるでしょう。
・フォッサマグナミュージアム・
糸魚川市にはフォッサマグナミュージアムがあります。
そこではフォッサマグナ地域に関する
展示と解説がなされています。
そしてヒスイに関する情報をいろいろ示されています。
糸魚川は青海(おうみ)ヒスイが有名ですが
それは別の機会に紹介します。