(2013.11.15)
和歌山県にある古くから知られる名勝に白崎があります。石灰岩が織りなす模様が、その景観を生んでいます。石灰岩の白の景観には、ダイナミックな大地の営みが働いています。白の脇に控える、黒の玄武岩や泥岩が、大地の営みの謎を解いてくれます。
和歌山県由良町の海岸に突き出たところに、白崎(しらさき)があります。白崎は、周りの大地と比べて、明らかに異質ですが、美しさをもっています。そのような気持ちは、現代人だけが抱くだけでなく、古くから多くの人が抱いてきました。それが、白崎が名勝として知られている所以でもあるのでしょう。白崎は、万葉集にも何首か読まれています。
由良町では国道177号線が内陸を通っているため、海岸に出るために少し道をそれなければなりません。そんなところに白崎はあるのですが、足を延ばす価値はあるところでないでしょうか。
白崎は、その名前の通り白い岬です。岬を構成している岩石が、白いのです。大地を構成する色として、純白は珍しいものであります。白い岩石は、石灰岩です。白崎の石灰岩は、他の地にある大規模な秋吉台などの石灰岩地帯と比べると、限られた範囲にしかありません。しかし、石灰岩の岩体としては、大縮尺の地質図に載るほど、規模の大きいものです。
青い海、青い空のもとで見ると、石灰岩の特異さは目立ちます。白崎の中にはいると、360度白の世界となります。特異ではあるのですが、異常さや暗さはなく、どことなく明るさを伴った不思議さがあります。石灰岩の白の色が、そうさせるのでしょうか。ふと、異空間に来たような奇妙な気持ちにさせられます。
白崎の石灰岩からは、古生代のペルム紀(約2億5000万年前)の化石が見つかっています。米粒のような形をしたフズリナ(有孔虫の祖先)やウミユリなどが、化石として見つかっています。
白崎の少し南には、立厳岩(たてごいわ)とよばれるところがあり、石灰岩に海食によって窓が開いています。立厳岩の陸側には、白っぽい石灰岩と黒っぽい玄武岩が断層で接しているところを見ることができます。また、石灰岩の中には、泥岩が見えます。石灰岩の間に泥が入り込んだようです。玄武岩は、海底の火山活動で形成されたものです。
石灰岩は暖かい海の生き物の遺骸で、海底の火山活動できた岩石という、いずれも今の和歌山とは全く違った、遠くの赤道付近の海の環境を示しています。
石灰岩は古生代末にできたものです。ところが、石灰岩のすぐ周りにある堆積岩(泥岩や礫岩)からは、中生代のジュラ紀(約1億5000万年前)の化石が見つかります。化石は、ウニや貝で、石灰岩の化石とは種類が違っています。ジュラ紀の泥岩のすぐそばに、古生代の石灰岩が接しているのは、奇異です。まったく別の時空間でできたのものが、大地の営みで、たまたま接しているのだと考えなければなりません。
では、その仕組みを概観しましょう。
紀伊半島西部は、紀伊水道を挟んでいますが、地質学的は四国と連続しています。紀伊半島の大部分は四万十帯とよばれる地層からできています。四万十帯は、沈み込み帯で形成される特有の堆積物である付加体からできています。それ以前の古い付加体も、北側にはあるのですが、紀伊半島では、西と東の海岸付近に分布するだけで、中央部は四万十帯が広がっています。
紀伊半島の西の海岸側では、秩父帯、三波川帯、そして中央構造線という分布になっています。秩父帯は古い付加体で、その分布範囲はそれほど広くありません。秩父帯の中には、黒瀬川構造帯とよばれるものが狭いですがあります。黒瀬川構造帯は、古生代のシルル紀やデボン紀の大陸でできたような不思議な岩石を含む地帯があります。前回紹介した名南風鼻(なばえはな)でみられる岩石類がそれにあたります。
白崎は、秩父帯に属します。従来の地層の名称としては、中紀層群、大弓(おおびき)層、立巌(たてご)部層になります。現在ではプレートテクトニクスの付加体による解釈になってきているので、かつての地層名称は適用できません。ですから、秩父帯として広く捉えるほうがいいのかもしれません。
ただし、秩父帯は、黒瀬川構造帯を挟んで、南側(南帯と呼ばれる)と北側(北帯)が、違うものだという見方と、同じという見方もあるので、どこまで大括りにするかは、難しい問題となります。まだ決着をみていません。
秩父帯は、付加体としてのでき方で、説明されています。ペルム紀の暖かい海の火山活動できた海洋島があります。その周りには石灰質の生物の遺骸がたまりまり、やがて石灰岩になります。その海洋プレートが、当時はユーラシア大陸の縁にあった日本列島に沈み込んでいきます。その時代は、まわりにあった泥から見つかる化石の年代であるジュラ紀です。海洋プレートの沈み込みとともに、海山と石灰岩の一部が泥の中にくずれます。これが付加体として大陸に付け加わります。以上が、白崎の石灰岩とその周辺の岩石の起源となります。
白崎にも、石灰岩の侵食であるカルスト地形が、いくつかみられます。また、近くの戸津井(とつい)には、鍾乳洞もあります。近いのでいってみたのですが、平日で閉館していたので、残念ながら入ることはできませんでした。
白崎の中央部の石灰岩は、人工的に掘られた跡があります。石灰岩はセメントの材料となるため、需要があったのでしょう。ただむやみに石灰岩を掘るでのはなく、観光名勝を守るため、周囲の石灰岩を残すように内側から採掘していたそうです。今では採掘はされていません。
白崎は現在、道の駅になっています。他にも、レストランやダイビングクラブ、キャンプ場などがあるレジャー施設になっています。
白崎は、やはりその白さが際立っています。夏の終わりの暑い日でしたが、白崎の石灰岩は、青空と海の青に映えます。その白と青のコントラスト、そして石灰岩の尖った山が、異空間にいるような錯覚を与えます。天気や季節が変わると、どのような感覚になるのでしょうか。白崎は、私には遠い場所なので、白崎のいろいろなバージョンを楽しむことはできません。できれば、もう一度行ってみたいところです。
・晩夏と冬・
白崎を含む和歌山の調査は、
台風の影響で調査日程を
大幅に狂わされました。
それは、ほんの2ヶ月前のことです。
エッセイを書きながら、
晩夏の白崎の思い出が、
遠い昔のように思えました。
それは、今、北海道は雪景色で、
一足先に冬が来たような気候だからでしょうか。
・人の営み・
石灰岩は付加体には大小、
さまざまなサイズで取り込まれています。
深海底に堆積したチャートもあります。
しかし、付加体の中に、まんべんなくあるのではなく、
石灰岩が多いよう見える地帯があります。
そのような特徴を捉えて、地質区分がなされます。
多いか少ないか、連続するか途切れるか
それは、見る人間の感性や感覚、思い込みなど
心理的側面があります。
だから、不確かなところでは、
人によって地帯区分が変わってくるのです。
科学も人がする営みですから、
しかたがないのでしょうね。