2015年4月15日水曜日

124 津軽と奥羽の交差

 まだ春浅き3月に青森にいきました。その時、弘前に行きました。途中に通るなだらかな山地だったのですが、そこは津軽山地と奥羽山脈の境界にありました。青森も弘前も平野なのですが、その趣はだいぶ違っています。

 3月から4月になり、大学は新学期を迎え、校務分掌の変更、歓迎会など慌ただしい日々が続いています。そうこうしているうちに、気づいたら春でした。季節はめぐり、冷え込みもありながらも、春めいた陽気になっていました。西日本や関東では、桜の季節は過ぎたでしょうか。北海道では、桜はまだ少し先です。
 季節は春ですが、今回の話題は、3月に訪れた春まだ浅き青森と弘前の話題です。3月上旬に校務で青森に出かけました。青森空港から、校務のため、弘前に向かいました。弘前駅からはタクシーに乗りました。その時、タクシーの運転手の方と話しのですが、訛りが強くで、何度か聞き直しました。少々わかりにくくても、お国訛りはいいですね。
 今回の校務出張では予備日があり、時間の余裕があったので、どこかを見て回ることにしました。公共の乗り物を利用していくので、辺鄙なところへは行けません。またトラブルがないように、戻ってこなければならないので、遠出はできません。ということで、翌日も再度弘前を訪ねることにしました。目的地は、弘前城とその周辺です。
 青森からはJRの奥羽本線で弘前にいったのですが、途中でトンネルを通ります。奥羽本線が通っているところは、穏やかな地形になっています。国道も高速もこの近くを通っています。少しルートは違っていますが、穏やかな山地の中には青森空港もあります。しかし、少し東には八甲田山の険し山並み、西には成層火山の岩木山や奥深い白神山地などがあります。ここの穏やかな山地が少々気になりました。
 青森市も弘前市も青森県を代表する都市です。いずれも平野にできた街です。青森は港町として、弘前は津軽の中心の城下町として栄えました。青森県は、歴史的には東側の津軽と、西側の南部と大きく分けられ、その区分は今でも残っています。青森と弘前は、津軽を代表する都市です。
 地形図を見ると、青森市は青森湾を抱えて海に面し、穏やかな港となっています。北海道との通行や日本海と太平洋とをつなぐ津軽海峡の通行の寄港地として、古くから交通の要所となっています。海を中心とした交通では、青森は重要な要所になります。青森平野には、堤川や駒込川などの川がありますが、大きな河川はなく、流域面積が狭く、山地が海岸近くまで迫っています。平野としては比較的狭いものです。
 有名な山内丸山遺跡は、青森平野の中ではなく、南西部の丘陵地帯にあります。なぜでしょう。山内丸山遺跡は以前に紹介したこともありますが、海進のためこのような丘陵地に村がつくられていました。温暖な時期に海面が上昇することは、地球温暖化問題でよく話題になっていますので、ご存知の方も多いと思います。平均気温が上がると、陸地にある氷床や氷河が溶けて海に流入することと、海水の膨張も起こって、海面が上昇していきます。海進が起こると、海岸に近い平野は水没していきます。縄文時代は、気温が今より2度ほど高かったので、海面が数メートル上昇していました。ですから、縄文遺跡である山内丸山遺跡は、青森平野の奥の丘陵につくられたのです。
 一方、弘前は津軽平野にあります。津軽平野は、日本海に面しているのですが、非常に奥深い平野になっています。弘前市は、そのもっとも奥、岩木山の東の裾野に位置します。津軽平野は、青森平野と比べて何倍も広くなっています。津軽平野の主河川は岩木川ですが、山間部の流域面積は、それほど広くはありません。ただ平野が細長く広いので、その中を流れている岩木川は、長い河川となっています。
 地理的にも、歴史的にも、青森と弘前はかなり違っています。いずれも重要な都市となっています。弘前から青森まではJRで1時間ほどで、40kmほどしか離れていません。ですから両者の間には、古くから通行が盛んでした。その通路は、津軽山地と奥羽山脈がちょうとずれていて、低い山地になっているとを通っています。JR奥羽本線、国道7号線、東北自動車道が通っています。この交通の要路は、周辺の険しい山並みと比べると、穏やかな地形となっています。この交通の要路は、大局的な地形からすると少々複雑なものになっています。
 東北地方を南北に貫く奥羽山脈が、十和田湖から八甲田山、そして夏泊半島で陸奥湾に終わります。その西に海岸沿いに青森平野があります。奥羽山脈から少し西にずれて津軽山地が北東に伸びていきます。津軽山地は津軽海峡にまで連なります。津軽山地の西側に広い津軽平野が、東南に海に面した青森平野があります。
 奥羽山地の上には八甲田(70万から15万年前ころ)のいくつかの火山、その後に活動した十和田湖の火山(1万8000年から現在)が形成されました。八甲田山から噴出した火山砕屑物が広くたまっています。火山砕屑物は青森平野に向かっても流れています。火山灰や軽石などからできている火山砕屑岩なので、軟らかい岩質で降雨や河川の侵食を受けやすく、現在ではかなり開析が進んでいます。この火山砕屑岩までが奥羽山脈の裾野と見なせません。
 一方、津軽山地は主に堆積岩でできています。時代は1500万から700万年前くらいにたまった地層で、八甲田の火山砕屑岩と比べると硬い岩石です。しかし、堆積岩ですから、火成岩や変成岩、もっと古い岩石と比べると軟らかいので、侵食はそれなり受けています。そのような岩石の性質によって、津軽はそれほどの険しさのない山地となっています。
 青森平野と津軽平野をつなく要路は、奥羽山脈の火山砕屑物がたまっている山地と津軽山地の地層が斜めに交差する位置、地層の境界にあたります。火山砕屑岩の一番先で、一番侵食を受けているところであります。また、青森空港は火山砂接岸の穏やかな丘陵の上につくられています。
 この地質、地形の交差路は、地形的に穏やかなのですが、それでもJR線にはトンネルがあるような地形になっています。残雪も多くなっていました。やはり平野と比べると山地になっています。JRで通ったトンネルは、津軽平野と青森平野とをつなぐ山地にあるものです。地形図を見ているとおがやかな山地に見えるのですが、それなりの険しがありました。
 でも、長い時間が経過すれば、火山砕屑岩はやがて侵食され、平野をつくる材料になっていくのでしょうか。開析が進めば、津軽平野と青森平野はやがてはつながるのでしょうか。でもそれはずっと先、地質学的時間の経過の後の話しです。

・同じ所でも・
弘前の中心部に弘前城があり、
桜の名所となっています。
弘前城も、4月の中旬では、
桜にはまだ少し早いかもしれません。
観光のハイシーズンには
多くの人が興味をもてるものがあり、
オフシーズンにもそれなりの楽しみがあると思います。
私は、地質学に興味があるので、
地形とか石があれば楽しめます。
今回のコースは、実は昨年も同じところを歩きました。
2度いくと1度目には
気づかなかったところも
いろいろ見えてきます。
今回は観光でしたが、
調査でも同じ所へ何度もいきます。
ゴールデンウィーク空けには、
四国で何度かいった所を、
数カ所を回る予定です。

・津軽じょんがら節・
弘前では津軽じょんがら節を
聞かせるところがあり見学しました。
冬の平日だったので、
私ひとりしか見学者がいませんでした。
少々気まずくなって、
演奏者に「ひとりなのにすみません」と声をかけたら
「気にしないで」よくあることです
といってくださいました。
しかし、途中から二名の人が見学に加わったので
気持ちが楽になりました。
青森で夕方校務をすました後、
3名で居酒屋にいきました。
そこは、じょんがら節の生演奏をきかせるところで
一日2つのつがるじょんがら節の演奏を聞くことができました。
いくつかの曲があるのですが、
基本的にすべてアドリブを交えて即興で弾くそうです。
女性と男性の名のある奏者で、
青森の夜を堪能できました。