2021年6月15日火曜日

198 長崎とハウステンボスと学芸員と

 長崎を紹介するかようですが、学芸員とハウステンボスもタイトルに加えています。関連のない3つのお題から、どう展開していくのでしょうか。今回は地域地質からは離れます。


 長崎には、3度ほど訪れたことがありました。最初は、高校時代の修学旅行ですから、かなり昔のことです。九州を広くバスで巡り、長崎市内では平和公園とグラバー邸が記憶に残っている程度です。2度目は2006年1月で、家族で九州旅行で訪れた時、長崎空港からレンタカーでスタートしました。天草に向かってから、熊本から阿蘇へいって宮崎に抜けて鹿児島に南下しました。そのため、空港から北へは全くいっていませんでした。

 3度目は、2018年6月に学芸員課程をもった私立大学の関係者の集まり(全国大学博物館学講座協議会)に出席した時でした。この協議会は長崎国際大学にて開催されました。大学代表して参加することになりました。学芸員の資格をとれる大学の担当者(教員と職員)が集まって、情報交換する会です。各地の大学が持ち回りで催しています。

 学芸員資格とは、博物館の専門的職員のための文部科学省の認定する国家資格のことです。資格をとるためには、(1)大学の学位と資格に必要な科目を取得、(2)単位を取得し3年以上の学芸員補を経験、(3)上と同等以上の学力や経験が認められるもの(学芸員資格認定)、という3つの方法があります。最後の学芸員資格認定には、試験認定と審査認定があります。協議会は、(1)や(2)の課程を持っている大学の集まりです。

 以前、博物館に勤務し、博士の学位をもっており、学芸員補と同等の経験(博物館で実務経験)が2年以上あったので、(3)の学芸員資格認定の審査認定(無試験認定とも呼ばれます)で申請すれば、学芸員の資格をとることができました。しかし、煩雑な申請書類の作成と新設の博物館の開設の準備でバタバタしている時期が重なったのと、資格を持っていても実働や待遇に差がありませんので、申請を見送りました。私がいた県立博物館では、学芸員資格をもっていれば主任学芸員という肩書になり、持っていなかったので主任研究員という肩書になりました。

 私の大学には考古学を専門とする先生が何人かおられ、古くから学芸員の資格がとれる課程がありました。博物館法(1955年施行)が2009年に一部改正され、学芸員に関する資格の科目や単位が変更されましたが、新しい課程でも資格が取得できるようになっていました。私も科目を担当しており、現在も継続中です。毎年、10数名程度の学生が受講し資格を取得しています。長年資格課程を持っているので、博物館に就職している学生も、それなりの人数になっています。

 2013年、我が大学で全国大学博物館学講座協議会が開催された時、見学会の小樽コースの案内者を申し付けられたことがありました。

 今回の長崎国際大学での協議会には、大学からは私だけが参加することになりました。長崎国際大学は、佐世保市に位置しているのですが、はじめて訪れるところでした。大学の近くに3泊したのですが、大規模なホテル、高級なホテルなどがあります。それらはすべて、ハウステンボスを訪れる観光客のためのものでした。大学にも近いので、そこの一つに宿泊することにしました。なかなか立派なホテルで、さすが日本での有数の観光地でした。

 学会は、研究報告と総会があり、夜には懇親会が行われました。懇親会で名産品がいろいろ提供されました。印象に残ったのは、ハーゲンダッツのイチゴに地域のものが使われているとのことで、大量に供されていました。

 地質学や自然科学の分野を専門としているのですが、学会参加者の多くは、人文系を中心とする研究者や職員でした。懇親会でいろいろと話しをしていたのですが、なかなか話が合わないので、なかなか深い話で盛り上がることはできませんでした。でも、懇親会は楽しいので満喫できました。

 長崎国際大学はいくつかの特徴をもっており、近所にあるハウステンボスと提携しており、もうひとつのキャンパスと位置づけて、授業などにも活用しているようです。学生は、学生証を見せ記帳すれば、ハウステンボスに無料で入場することができるとのことです。羨ましいですね。ところが、学会を手伝っていた学生に聞くと、入学当初はうれしくて何度も入場するそうですが、やがて飽きてしまい、ほとんどいかなくなるとのことです。高い入場料を払っている一般人からみると、もったいないように思えます。

 学会の主催校が、いろいろな見学会が企画してくれます。そのひとつに懇親会のあとに、夜のハウステンボスの見学があったので、それに申し込んでいました。懇親会のときのアナウンスでは、ハウステンボスでは提携している大学で行われる学会の行事なので、それを祝して見学する夜、花火大会も催してくれるとのことでした。観光シーズンからはずれた時期、それも平日の夜にかかわらず、ハウステンボスで花火が開催されることになりました。

 その時期は、イルミネーションも行われていたので、幻想的で華やかな夜のハウステンボスを見ることができました。もちろん、花火もです。はじめてのハウステンボスの体験でした。

 翌日の見学会は、2つのコースがあり、ひとつは「日本の近代化を支えた産業遺産」になっている軍艦島と、もうひとつは平戸周辺の見学でした。軍艦島に行きたかったのですが、荒れると上陸できないこともよくあると聞いていました。上陸できないと残念なので、確実な平戸を選びました。

 佐世保駅集合で、バスで巡りました。平戸は、この学会の開かれた翌月の2018年7月に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界文化遺産へ登録されたところです。その直前のタイムリーな時期に観察会で訪れることになりました。平戸では、平戸オランダ商館や松浦史料博物館を訪れ、生月島(いきつきしま)にも渡りました。いろいろとキリシタン関係の資料や教会などを見学しました。

 もっとも印象に残ったのは、小さな白石漁港にある「あやか水産」の漁師の食堂「母々の手(かかのて)」で昼食をとったことです。見学会の昼食をそこで摂ることになりました。各自で食事をするのですが、バイキングコースを勧められました。漁師のお母さんたちが、手料理で作っている食材を振る舞うもので、その日獲れた魚の刺身が食べ放題で、食べても食べても次々と新しい皿が出されていました。すべて美味しく、満喫できました。

 私はひなびたところが好きなので、平戸の風情を堪能できました。また、案内の先生が豪快な女性で、説明も面白かったです。そして地元の名産の味が堪能できました。


・緊急事態宣言・

前回は、急な配信中止でご迷惑をかけました。

ゴールデンウィークに出かけ

その直後に緊急事態宣言が発令されました。

エッセイの内容がその時のものだったので、

緊急事態宣言の直後に出かけたという内容のエッセイは

ふさわしくないのではと思い

配信を、急遽、取りやめました。

ブログとホームページでのみ

エッセイを掲載することにしました。

北海道の田舎で、ルールも守って感染予防もし

人の多い所へは避けて、野外を見て歩きました。

毎日、スーパーで地元の美味しいものを

買い物をし、午後の早目にもどって、

購入した名産品を食べていました。

家内は毎日のように大好きな刺し身三昧でした。

北海道は、まだ緊急事態宣言が継続中です。


・継続する施設・

この協議会の見学会で、博物館に関連した施設や場所をめぐります。

今回の緊急事態宣言で、多くの博物館相当施設が

閉館となっているのではないでしょうか。

民営の博物館では、開館して通常営業できないと

経営的に非常に大変だと思います。

博物館には、公営のものも多いかと思います。

公営では営利目的ではないとしても、

入館料収入と入場者実績がないとなると

今後の継続も大変になるであろうと想像されます。

それに入館者がいなくても、維持管理経費、人権費、

将来に備えての準備作業などは継続しているはずです。

コロナ禍が早く収まるのを願うしかありません。

2021年5月15日土曜日

197 くぐり岩からシラフラへ

 道南の海岸には、穏やかな春の時間が流れていました。岩をくり抜いた窓からは、冬の名残の山並みと、春の海岸が見えました。春の海岸を散歩して、気分転換をはかりました。


 今年のゴールデンウィークは、わが町では自粛要請は出ていなかったので、夫婦で旅行を考えました。ただし、コロナ予防とコロナ疲れを癒やすことを考えて、場所は道南の檜山地域にいくことにしました。檜山は、野外調査で度々訪れていたので、馴染み深いところです。観光客のあまり訪れないところで、のんびりと過ごすことにしました。

 檜山は以前訪れたときは、ゴールデンウィークでも人がほとんど来ていない地域でした。そこに、自炊しながら宿泊できるところに、1週間ほど滞在しました。滞在中は、午前中、どこか自然の中を散歩がてら歩いて、昼食は手作りのサンドイッチを食べて、午後からは日替わりで温泉にひたって、その日の食べ物を地元のスーパーマーケットで買って帰る、という穏やかな日々を繰り返していました。

 今回、紹介するのは、散歩にも最適な、心地よい滝瀬海岸です。ここは、以前も「161 滝瀬海岸:シラフラの崖に」(2018年5月発行)として紹介していたところです。

 今回は散歩で、くぐり岩から海岸に入りました。くぐり岩とは、海に突き出た2、3mほどの幅しかない薄い板状の尾根があり、海岸を仕切っていました。そこに人が通れる穴を、江戸時代には、人が行き来きでるようにくり抜いたものです。

 この尾根をつくっている地層は、白と濃い茶色の岩石からできています。岩石とはいっても、柔らかいので、崩れやすくなっています。成層構造が見えるのですが、その構造は一部で乱れています。

 この地層は、檜山層群最上部の館層(たてそう)というものです。厚沢部(あっさぶ)町の館(たて)周辺で広く分布しているので、館層という名称になっています。

 今年のゴールデウィークは寒く、山では積雪がありました。くぐり岩から、北を眺めると、遠くの山並みが白く見えました。くくり岩が窓や額縁のようになり、遥かなる山並みがきれいに見えました。うららかな春の海岸から冬の名残を眺めることができました。

 くぐり岩から南をみると、江差方面のなだらかな山並みが見えます。海岸を南に方に向かって歩いてくと、急斜面の崖のあり、その前に砂浜が続いています。しばらく歩くと、小さな船着き場があります。その先に進むと、シラフラがはじまります。シラフラは、白い切り立った崖になっています。それまでの崖とは様相が異なっています。まず、その白さが目立ちます。また、崖もほぼ垂直の崖になっています。

 崖の面は、白っぽい崖は、波によって侵食を受けた海食崖(かいしょくがい)です。白っぽい崖は、淡い茶色っぽい細粒の粘土と、白っぽい砂岩からできます。白っぽい砂岩は、長石や石英が多くなっています。

 小さな化石も入っているので、年代が決められています。500~140万年前(新第三紀鮮新世から第四紀にかけて)となっています。また、化石の種類からは海底に堆積した、海成層だとわかります。この地層も、館層です。

 シラフラの海岸を、朝、夫婦で往復しました。距離はそれほどではないのですが、2時間以上かけてのんびりと散歩しました。風もあり、肌寒かったのですが、心地よい晴れの日でした。地元の人も、散歩に使われているようで、何名かの人に会いました。地元の人も、この海岸の心地よさを味わっているようでした。

 今回、本来ならば、いくつかの露頭で野外調査を少しするつもりでした。家内と一緒なので、少し手伝ったもらって、と思っていました、しかし、予定していた日は、晴れてはいたのですが、風が強くて、じっとしていると寒く感じる日でした。そのため、全く調査はできませんでした。別の機会にする必要がありました。

 訪れたときは、今年は桜の開花が早かったので、満開の直後ぐらいでした。以前も同じ頃訪れたことがあるのですが、ちょうど満開の頃でした。各種の桜が多数植えられている公園があるので、何度か訪れました。桜のきれいな公園なのですが、時々、見学に来られている地元の人はいましたが、ほとんど人のいない状態で、桜を満喫しました。


・心と体の休息・

今回、久しぶりに、旅にでました。

この旅では、人混みにはいかないように心がけていました。

午前中は人気のない野外をうろうろしているいました。

午後は、買い物や温泉以外は、ほとんど宿舎にいました。

檜山地域では、ぽつりぽつり感染が報告されていますが、

私が行った町は感染者は出ていませんでした。

今回は、心と体の休息が目的でしたが、

頭では感染の危険性(感染させる、感染する)を

常に考えて行動していました。

コロナ感染を気しないで過ごせる日が来るのは

いつのことでしょうかね。


・生活パターン・

休暇中でも、私は早朝に目が覚めるので、

そのまま起きて、ルーティンワークを少ししていました。

メールやニュース、天気のチェック、

画像の整理、メモの作成、その日に行く予定の確認など。

家内が起きてきて、朝食を食べると、

6時半ころには、行動できるようになります。

私にすれば、少々遅めですが、家内には早めの行動となります。

日常の起床時間の違いがそのまま出ていました。

夫婦でも、それぞれの生活パターンがあるので

旅先でもそれが出まていましたね。

まあ、のんびりとしてきました。

2021年4月15日木曜日

196 ハワイ:火山の連なり

 新型コロナウイルスの蔓延で、各地へ旅行することもままならない日々が、まだ続いています。まして海外旅行ともなると、かなり難しい状態です。今回も、昔にいったハワイを紹介します。


 かつてハワイは、多くの日本人が訪れる海外の観光地でした。近年は、安上がりにいけるアジア諸国が人気になってきたようです。ハワイはいくつかの島から成り立っているため「ハワイ諸島」と呼ばれています。北西に向かって、ハワイ島、マウイ島、ラナイ島、モロカイ島、オアフ島、カウアイ島などが続き、小さな島もあります。

 さらに北西にも小さな島や環礁が続いていて、北西ハワイ諸島と呼ばれています。北西ハワイ諸島のうち、ミッドウェー環礁は、数十人の住民がいてアメリカ領太平洋諸島に属しています。それ以外の島々は、すべてアメリカ合衆国のハワイ州に属しています。

 これらの島々で、多くの人が訪れるのは、ハワイ諸島の中程にあるオアフ島です。オアフ島には、ハワイ州の州都であるホノルルがあり、政治や経済の中心で観光の中継地にもなっています。ハワイ諸島でもっとも人口が多くなっています。ハワイへ観光でいくと、まずはダニエル・K・イノウエ国際空港に到着します。そこから各島へ渡ることになります。

 ハワイ諸島の中で一番面積の大きいのは、南にあるハワイ島です。ハワイ島で、最も高い山はマウナ・ロア山で、活火山です。ニュースでも時々報じられますが、活発な火山活動をしています。現在活動中の火山には、他にもキラウエア火山があるですが、ハワイ島の南東に30km沖には、ロイヒ海山という海底火山が活動しています。

 現在、ハワイ諸島で活動しているのは、ハワイ島の火山だけです。ハワイ島の北西部には、活動をやめていますが、コハラ、マウナ・ケア、フアラーライなどの火山があります。ハワイ島自体が、すべて火山岩からできています。

 ハワイ島のマウナ・ロアは、4169mの標高を持っています。深海底の5000mの太平洋の真ん中にできた火山なので、火山体として考えると、海水がなかったとしたら、9000mを超える巨大な火山となります。このような膨大なマグマを噴出する活動があったということになります。

 ハワイ島全体が、火山の島なのですが、実は、ハワイ諸島から、北西ハワイ諸島、そしてさらにその先に続く、天皇海山列へと続く島や海山が、すべて火山からできています。火山の活動の時代は、ハワイ島から離れるつれて古くなっていきます。ハワイ諸島では現在から510万年前まで、北西ハワイ諸島は720万年前から2770万年前に活動しています。天皇海山列は3900万年から8500万年前になります。

 このような火山の連なりとその活動年代の変化は、現在の太平洋の深部の位置に、マグマを形成する場がマントルの中に固定されており、その上を海洋プレートが移動していると考えると説明できます。このような観察事実は、プレートが移動しているという証拠にされました。

 ハワイ諸島から北西ハワイ諸島までは直線的に火山は連なっているのですが、北西ハワイ諸島と天皇海山列の間には、角度で60度ほどの屈曲があります。この曲がりは、海洋プレートの移動の方向が変わったと考えれば、わかりやすくなります。

 天皇海山列でもっとも古いのは、明治海山と呼ばれるもので、アリューシャン列島の西、カムチャツカ半島の東の千島海溝に近いところに位置しています。その年代は8500万年前です。形成後、1億年近くも、太平洋プレートが移動し、3900万年から2770万年の間に拡大方向が変わった証拠になります。

 ハワイ島では、噴火の規模や場所によって、その被害状況は変わってきますが、私が訪れた時は溶岩を流している時期でした。その噴火以前は、チェーン・オブ・クレータ・ロードとして、海岸沿いを道路でめぐることができたのですが、溶岩に覆われて、現在でも通行不能になっていました。クレータ・ロードをめぐるために来ていた観光客は、溶岩のため通行止めになっているところで、流れる溶岩を見ていました。

 私も、滞在中、何度かそこを見にいっていたのですが、ある時そこに国立公園のレインジャーがやってきました。溶岩の状態を確認しにきていたようです。観光客に向かって、「私は、これから溶岩が海に流れ込んでいる状況を確認にいく。そこまで歩いていけるルートがある。下には溶岩が流れていることを理解して、自己責任でについてきてもいい。ただし暑いので水を持参するように」とをいって、観光客に声をかけました。もちろん、私はついて見にいくことにしました。

 黒くて凸凹した溶岩の上を歩いていくと、ゴムの匂いがしてきました。表面の岩石が、熱を持っているため、靴底が溶けたしたのです。歩いている下には、溶岩が流れているようです。

 レインジャーについていくと、やがて海岸に面した崖の縁にたどり着きました。そこは崖が眺められるところでした。赤い溶岩が、崖の上から流れ落ちるところを見ることができました。落ちた先は、かつては海だったところでしょうか、溶岩が固まって陸になっています。その少し先が海岸となっていて、水蒸気を激しく出していました。

 溶岩が流れている上を歩くということができたのは、ハワイの溶岩の性質のためです。玄武岩質マグマでも、サラサラ(粘性が小さい)ものは、流路ができれば、水のように流路にそって流れていきます。マグマが崖を流れ落ちるような流路が定まっていたため、表面が固まっていれば、歩くことができます。

 サラサラのマグマは、流れる時、表面に編んだ縄のような模様ができます。このようなものは、パホイホイ溶岩と呼ばれます。マグマから揮発成分が抜けると粘性が大きくなり、岩の塊がゴロゴロの崩れたような溶岩(クリンカー)になります。このようなものをアア溶岩といいます。一見、溶岩に見えないものですが、実際に流れているところが観察されています。ハワイでは、両タイプの溶岩が隣り合わせに流れることもあります。

 パホイホイ溶岩もアア溶岩も、高温のマグマですので、流れてくるのを止めるのは困難です。日本の火山ように爆発的噴火はありませんので、噴火自体の被害は多くありません。ハワイでは、マグマが飛び散ることもありますが、それも火口付近だけで、被害の範囲は決まったところで噴火します。ただし、マグマが道や人家に向かって流れてくると、道や家は諦めるかしかありません。流れる溶岩はゆっくりと進むことが多いので、家財道具を持ちだせる余裕はあります。それが日本の激しい噴火をする火山との違いです。

 ハワイは、日本人にとっては観光地のイメージになっているでしょうが、実は荒々しい側面ももっています。その荒々しさはハワイ島の南東部でみることができます。


・天皇海山列・

アメリカのディーツが、

太平洋で連続する海底火山のそれぞれに

日本の天皇の名前を付けました。

それらに、天皇海山列という総称も与えました。

ただし、天皇の即位順と並び順は対応していません。

明治海山が、海溝に近く、最も古いものです。


・ヒロ・

ハワイ諸島には、場所によって、

大都会、観光地、そして田舎もあります。

かつては、芸能人が正月になるとよく訪れる所した。

ハワイの空港での取材は、

年末の風物詩になっていたこともありました。

今では、それも昔の物語となりました。

ハワイ島は風光明媚でいいところです。

定年後には、ハワイ島へは再度訪れたいです。

できれば、のんびりとハワイ島の火山を

また見て回りたいものです。

前回はハワイ島のカウアイに泊まったのですが、

次回はヒロに泊まりたいですね。

2021年2月15日月曜日

194 キプロス:島弧のオフィオライト

 地中海の東にあるキプロス島は、地質学ではオフィオライトが有名なところです。オフィオライトの成因について大きな議論が起こった主戦場になったところでもあります。キプロスは思い入れがあるところです。


 以前、海外の学会に出席した時に、地質巡検による紹介です。「巡検」とは、地質学における観察会のことで、典型的な地点や露頭を野外で見ていくことです。地質関係の学会では、いくつかの巡検コースが設けられています。多数の地質学者が重要な露頭を見ることになるので、露頭の前でいろいろな議論が起こります。なかなか面白いものです。また、その地域を調査し研究している地質学者が案内をしてくれるので、典型的な露頭やルートを見学することができます。その地域を、非常に効率的に見ることができます。

 さて、その地は、地中海の東にあるキプロス(Cyprus)島です。巡検は、かなり前になりますが、1987年の9月から10月にかけての学会の後にでかけました。少々古い情報なので、風景や露頭の様子は変わっているかもしれませんので、ご了承下さい。

 キプロス島の南の3分の2は、キプロス共和国となっています。北の3分の1は、トルコ共和国だけが承認している独立国になっています。キプロスには、もともとギリシア系の民族が住んでいました。オスマン帝国時代に、イスラム教徒のトルコ民族が入ってきました。多数派はもともと住んでいたギリシア系の住民でした。第二次大戦後、1974年にギリシア系の住民がクーデターが起こしました。トルコはトルコ系住民を守るためにキプロスに侵攻し、以降北がトルコ系住民が、キプロス連邦トルコ人共和国を作りました。そのため、首都のニコシアの街の中に国境線が引かれ、訪れたときも銃をもった軍が警備していました。現在も分割された状態が続いています。

 さて、キプロスには、オフィオライト・コンファレンスとよばれる国際学会があり参加しました。オフィオライトとは、かつて海洋地殻を構成していた岩石が、陸地に持ち上げられたものです。

 オフィオライトは、古くは、蛇紋岩、玄武岩質の枕状熔岩、層状チャートがセットになってでることから、なんらかの成因関係があると考えられ、スタインマンの三位一体(Steinmann's trinity)と呼ばれていました。その後、海洋調査が進むにつれて、海洋地殻の実態がわかってきました。海洋地殻は下位から、カンラン岩(変質を受けると蛇紋岩となります)、斑レイ岩、玄武岩の貫入岩、玄武岩の枕状溶岩、そして深海底堆積物の珪質粘土(固化すると層状チャートになります)、大陸に近づくと砂岩泥岩の互層(タービダイト層と呼ばれています)が堆積するという層序があることがわかってきました。それが、オフィオライトの層序と一致することで、オフィオライトが過去の海洋地殻と考えられるようになりました。

 1970年代前半、オフィオライトの研究は、過去の海洋地殻の研究ともなっていました。そして、もっとも典型的な海洋地殻の特徴をもっているのが、キプロス島のトルドス・オフィオライトだとされ、当時研究が参加に進められていました。ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸が衝突し、間にあったテチス海が狭まり、その時、海洋地殻が持ち上げられたものだと説明されていました。

 ところが、1973年に都城秋穂氏が、トルドス・オフィオライトの化学組成を調べ、海洋地殻ではなく島弧の典型的な特徴を持っていることを示しました。この論文は大きな反響を呼び、多数の反論が出てきました。都城氏は、反論に答える論文をいくつも出されていました。

 学部学生のとき、この都城氏の論文を中心に、いくつもの討論の論文を読みました。この時、世界の大半の地質学が信じていた仮説に対して、ひとりで反論を示し、立ち向かった姿勢、また多くの反論に対して真摯に証拠をもって対応する態度は、科学者として素晴らしいものでした。なにより、ひとりで多数派に立ち向かう勇気に感服しました。今思えば、古い科学から新しい科学が生まれる瞬間を目撃していたことにあり、幸いでした。

 訪れたこともないキプロスやトルドスだったのですが、論文の地質図や露頭写真などでみているので、実物を見たいという気持ちはありました。そんな時、学会があり巡検に参加することができました。期待に胸が膨らんでいました。

 そんな気持ちで見た露頭は、変質や風化は受けていましたが、形成されたときの様子(初成産状といいます)はきれいに残しており、確かにオフィオライトの典型と呼ぶべき岩石群とその産状をもっています。ですから、これを海洋地殻の典型と考えるのは、よく理解できました。それまで、日本でオフィオライトを見ていたのですが、露出が悪く、露出していても変成や変形を受けているため、初成産状が残されていることはまれでした。露頭では部分的な産状を見つけ出し、それらを集めて、全体をみるという作業をしていかなければなりませんでした。ですから、キプロスの産状は羨ましいと思いました。

 地質学では産状が重要ですが、都城氏が主張した客観的で定量性のある化学組成からの検討も重要です。類似性をたくさん見つけることは確かさを増すことになりますが、仮説が完全に証明されることにはなりません。これは自然の帰納法の限界というものです。もしそんな仮説にひとつでも反例があれば、その仮説は再検討をしなければなりません。都城氏は、その反例を示したわけです。

 現在では、オフィオライトには、海嶺で形成された海洋地殻だけでなく、沈み込み帯に関連した島弧や火山弧、プルームや大陸のリフトに関連したものがあると考えられるようになってきました。つまり、オフィオライトには、海洋地殻だけでなく、多くの地質場でできる可能性がわかってきました。そして、オフィオライトの形成場を知るためには、化学組成だけでなく、それぞれの産状や形成場の違いも考慮されるようになってきました。

 キプロスは乾燥した地中海性の風景ですが、トルドス山は2000m級の山もあり、地中海ですが雪も降るようです。巡検中には、古いギリシアの遺跡もあり、観光としてもよさそうですが、当時はまだ観光化していませんでした。かなり昔の訪問でしたが、今でも記憶に残る印象深いところでした。


・ワクチン・

緊急事態宣言が10都府県で、3月7日まで延長されました。

北海道も集中対策期間を国に合わせて3月まで延長しました。

これまでの状況を見ていると、

すぐにおさまることは難しそうです。

ワクチンが承認されたので、

ワクチンの効果が期待されます。

日本では、医療関係からはじまり、

高齢者、疾患を持った人、そして市民となります。

国民全体へのワクチン接種はまだ先になりそうです。

まだ、しばらく自粛が必要でしょう。


・卒業式・

大学は、現在、授業はない時期なのですが、

2月一杯はレベル2の状態で、遠隔授業の状態となっています。

学生は学内への立入禁止となっています。

そのため、窓口業務も中止となっています。

ただし、教職員は、大学で執務もしていますし

校務も継続しています。

教員には図書館の利用が認められています。

現状であれば、卒業式はおこなう予定ですが、

どうなるのでしょうかね。

2020年12月15日火曜日

192 イスア:束の間の体感

 グリーンランドのイスアに、20年ほど前に訪れました。長い道中と高い費用をかけたのですが、短時間の滞在しかできませんでした。しかし、その時に味わった体験や感動、記憶の強さは、時間に比例するものではないようです。


 北海道は新型コロナウイルスの感染拡大が10月末からはじまり、現在も継続し、12月11日までの集中対策期間が12月25日まで延長され、そして1月15日まで注意喚起が延長されました。我が家も自粛生活を継続することになりました。もちろん外に出かけることも最小限にしています。わが町でも、毎日のように感染者がでています。ウイルスが身近に飛び交い、危険性も迫っている気がします。今回も、以前訪れたところを紹介していきます。

 さて今回は、グリーンランドの話題です。名前を聞いたことも、どこにどんな形の陸地であるのかも、知っている人も多いでしょう。しかし、観光地ではないので、実際に訪れた人は少ないでしょう。私が訪れたのは2000年7月ですから、20年ほどの前のことになります。その時の記憶や記録をもとにお送りします。かなり昔のこと経験なので、現在とは状況がかなり変わっていると思いますので、ご注意ください。

 グリーンランドには、2週間ほどの予定をとってでかけました。目的は、ひとつのところを見ることでした。そこは、イスア(Isua)というところで、人家もないのですが、地質学では有名なところでした。

 氷に覆われているグリーンランドですが、人が定住しています。グリーンランディックと自らを呼んでいる、イヌイット(エスキモー)とも共通する人たちです。黄色人種で、私たちにも似ており、どことなく親しみがあります。彼らの多くは、かつては海岸沿いの地で、漁労や狩猟の生活をしていました。訪れた時には、国の政策によって、都市部の大きなアパートなどに定住するようになっていました。

 グリーンランドは、デンマーク領になっており、デンマークから白人が移住してきています。グリーンランドの冬は長く厳しいので、仕事も余り多くはなさそうです。ですから、夏にだけこの地で暮らす人もかなりいるようです。

 地質学を専門とする人は、グリーンランドと聞くと、地球でも古い岩石や地層などから、古い記録の発見の報告でよく聞く地なっています。中でも約38億年前にできた岩石が、イスアに分布していることも、地質学者ならよく知っています。地質学者は、デンマークからはもとより、世界各地からこの地を訪れ、夏の間を地質調査をして過ごす人がいます。地質学者ならだれもがこの地に興味を持っているでしょうが、実際にその地を短時間で訪れることは多くはありません。なぜなら、時間も経費もかかるからです。

 日本からは、北極周りでデンマークまでいって、そこからジェット機でグリーンランドの大きな空港を経由して、再度プロペラ機に乗り換えてヌーク(Nuuk 半島の意味)までいきました。今では、コペンハーゲンからの直通便があるのでしょうか。知りません。ヌークは、デンマークの人は、ゴットホープ(Good hope よき希望)と呼んでいて、グリーンランドでは最大の都市で「首都」に当たります。日本からヌークまで、時間もかなりかかって行くことになるので、日程に余裕をもたなければなりません。イスアに行くために10日間の日程を組んでいました。

 当時ヌークのホテルは限られていて高額だったので、民泊をしました。看護師のおばさんの自宅の空いている部屋に滞在しました。おばさんは朝早くでかけるので、自分で作って朝食を食べ、夕食は作ってもらったのものを一緒に食べました。ヌークには、6日間(5泊)滞在しました。ヌークからイスアへは、ヘリコプターをチャーターしなければなりません。イスアにいくために、天候不良だとヘリコプターは飛べないので、4日間の日程を押さえていました。その経費もなかなかのものです。結局は初日に飛べたので、グリーンランドでは時間的には余裕がありました。海外旅行で同じ日程での2倍の費用がかかりました。

 以前勤めていた博物館には、イスアからの岩石が展示されていました。その実物、そしてイスアの映像も画像もみていました。しかし、本物を見たい、現地で体感したい思っていました。その希望がかなったのです。

 イスアには、そこにしかない古い地層と岩石がありました。38億年前の堆積岩と海洋底を構成していた岩石がありました。堆積岩も海洋底の岩石も、海があった証拠となるものです。イスアの堆積岩も海洋底の岩石も地球で最古のものです。地球最古の海の記憶を、肌で感じることができました。それが、遥かイスアへの旅の目的だったのです。

 ヘリコプターで飛んだとき、イスアに向かう草原で、霧の晴れるのを待つために1時間どの天候待ちをしました。もともと、現地では、5時間ほど滞在して目的の岩石や地層を転々と見ていく予定だったのですが、天候待ちによって、3時間ほどしか滞在できませんでした。

 イスアで驚いたことには、テント村があったことです。荒涼たる地に、夏の間だけ、地質学者たちが野外調査をするためにできたものでした。世界中から地質学者たちが集まっていました。日本人地質学者も訪れたことがありました。そのキャンプ村のリーダとして、デンマークの地質調査所の地質学者のアペルがいました。彼からは、数日ほどテント村に滞在すれば岩石がよく見れたのにといってくれました。そんな状況になっているとは知りませんでしたので、日帰りの予定を組んでいたので、時すでに遅しです。

 イスアに滞在したのは、結局3時間余りでした。調査というには、余りにも短い時間でした。ヘリコプターにアペルが同乗して案内してくれたおかげで、非常に効率的に目的の岩石を見ることができました。代表的な岩石を見、標本も採集しました。もちろん、何日も滞在して調査すれば、もっといろいろ調べることができたと思います。私が見残した大切な岩石や地層も一杯あったと思います。

 イスアでしたかったのは、地質調査もさることながら、現場を見て感じることでした。イスアという地で、風景の中に自分をおき、風や空気、温度などを五感を伴って、岩石や地層を肉眼で見て触りたかったのです。そして、感じたことを記憶に残したかったのです。3時間余りでしたが、イスアを感じることができました。そして、どんな調査旅行よりも濃密な印象に残っています。イスアの地には、今後二度と訪れることがないでしょうが、その記憶は一生残って忘れないでしょう。そんな記憶から、このエッセイも生まれました。


・民族の嘆き・

民泊させていただいた看護師のおばさんは、

グリーンランディックでした。

定職をもち、居住場所も確保している恵まれた人でした。

二人の子どもうち、ひとりはデンマークにいて、

ひとりは同居しているのでは、デンマークいっていました。

一日夕食のときにアルコールを飲んでいる時

おばさんは酔ってしまいました。

自分たちの民族の風習のビデオを見せてくれました。

そして自分の子どもの民族の言葉を話さないし

都会へ憧れていると嘆いていました。

自分のルーツともいえる風習や言語が

なくなっていくのは寂しいことです。

そのおばさんの嘆きは、

北海道のアイヌの人たちにも

共通するものなのでしょうね。


・自粛生活・

北海道は冬を迎えました。

新型コロナウイルスも猛威を奮っています。

我が家の自粛は、春と同様です。

家内が買い物や日常生活のことはしてくれています。

ですから、私は大学と自宅の往復だけで生活しています。

講義がすべて遠隔になり、会議も遠隔になっています。

大学でも研究室にいる限り誰とも会いません。

それでも、同じフロアーの先生には時々会いますし、

所要で職員と会うこともあります。

でも、大学では、講義も研究も食事も

すべて研究室ですませています。

淡々としているのですが、

なんとなくこんな生活にも慣れてきました。

いいことなのでしょうかね。

2020年11月15日日曜日

191 駒ヶ岳:噴火と景観の形成

 北海道の秋は足早です。10月下旬と11月上旬に校務で函館にでかけました。その時、大沼に立ち寄りました。大沼の背後には、駒ヶ岳がそびえています。大沼の景観は、駒ヶ岳なしには語れないところです。


 新型コロナウイルスの感染が、これまでにない広がりを見せています。しかし、以前のような厳しい自粛はまだ取られていません。そのため、コロナ対策のルールに従っていれば、市町村境界を越える移動も可能になっています。越境を伴う校務で、何度か出かけることになりました。近隣の市町村への出張もありましたが、最近、函館方面に連続して2度出かけることになりました。大学の講義や校務において、どうしても行かなければならない出張でした。

 函館周辺のエッセイは、何度か書いたのですが、今回も函館周辺になります。街中では、地質の話を書くのはなかなか大変のなので、今回も大沼での話題となります。大沼は、車で周囲を回れるので、時間があれば巡っています。今回も、紅葉の湖畔を巡りました。

 大沼は、「大沼国定公園」に指定されています。大沼は、沼があるだけでなく、背景に駒ヶ岳が聳えているために、その景観に変化や彩りを与えていることが大きな特徴となっています。駒ケ岳は、独立峰として聳えているのですが、その姿が奇異で特徴的です。火山の形を見ていると、もともとは富士山のようなきれいな成層火山であったと想像されます。ところが現在の姿は、山頂部が東にむかって壊されているため、角が2つ聳えるような姿になっています。大きな噴火によって、山頂部が吹き飛ばされてできたものです。そんな激しい噴火を想像させるような姿になっています。

 またその麓は、なだらかに波をうったような地形も見えます。また、周辺には、小さな火山(寄生火山と考えられています)もあります。これも火山によるものです。なんといっても大沼の景観も火山の賜物です。

 国道から大沼に入っていくと、JRの線路と道路が橋がかっているところにさしかかります。ここは、大沼と小沼の間の狭い水路になっているところです。「白鳥台セバット」と呼ばれています。セバットとは地形名なのですが、「狭戸」という漢字表記をすることがあります。外国語由来ではなく、アイヌ語由来の言葉で「狭い場所」という意味ではないかと考えられています。この地のみに使われている言葉です。冬期は、大沼も小沼も凍ってしまうのですが、このセバット周辺は、水の流れがあるため凍らないので、白鳥などの冬の渡り鳥の休息場所になっています。11月の出張で函館から帰る道すがら、高速道路を走っている時、白鳥の渡り鳥の群れを見かけました。大沼に向かっていたのでしょうか。

 大沼の他にも、周辺には蓴菜(じゅんさい)沼など、小さな沼がいくつもあります。また沼の中には、岩の小島があり、周辺にも小さな丘が転々とあります。沼の中の丘は、126個もあるそうです。このような地形は「流山(ながれやま)」と呼ばれています。

 流山とは、火山噴火(地震などで壊れることもある)によって火山が崩壊して、山を構成していた岩石や溶岩が麓に流れ下り、大小さまざまな塊が残ったものが丘を形成した地形をいいます。大沼は、流山の典型的な地形を持っているところで、沼の中に丘が点在するという素晴らしい景観を形づくっています。沼の背景には、駒ヶ岳の異様な山体が聳えています。

 これらの景観は、過去に起こった何度かの大噴火によって、現在の姿になったと考えられています。駒ヶ岳は歴史時代にも大きな噴火が何度もおこっており、古文書にも記録されてきました。1640年、1694年、1856年、1929年は、大量の軽石を噴出する大噴火を起こして、火砕流も発生しています。

 特に1640年の噴火では、大規模な山体崩壊(クルミ坂泥流とよばれる岩砕なだれ)が起こったことで津波が発生して700余名の死者が出たことが、古文書の記録(「松前年々記」など)に残っています。大沼も、もともとは河川があったところに、1640年の火山噴火で川がせき止められて、沼(堰止湖といいます)として形成されました。

 1929年(昭和4年)の噴火も大規模で、軽石噴火と火砕流が発生しました。人家や耕作地、漁場に被害を与え、2名の死亡も確認されています。駒ヶ岳は、活火山に指定されていますので、さまざまな観測装置で噴火の前兆を捉えるように観測網が敷かれています。また、ハザードマップも作成されています。現在は警戒レベルはもっとも低い1ですので、登山もできます。登ったことはないのですが、駒ヶ岳からの眺めも素晴らしいのでしょうね。

 噴火の間隔はいろいろで、噴火の規模もさまざまですが、繰り返し大きな噴火が起こっていますので、注意は必要です。しかし、噴火の起こっていない時の方が圧倒的に長い期間となります。そんな平時には、火山による素晴らしい景観も、周辺にある温泉も火山の恵みを味わっていきたいものです。


・積雪・

11月に函館に向かう前日まで雪でした。

予報で雪なるとわかっていたので、

出かけるために、いつもより早く、

スタットレスタイヤに交換しました。

しかし、凍った道は、スピードも出せないので、

約束の時間に間に合うようにとかなり早めにでました。

すると、一部、雪道はあったのですが、

無積雪期と同じ程の時間で着きました。

長く函館に滞在する時間がありました。


・五稜郭・

今回の校務は、函館の街中でした。

一度目は湯の川という温泉地に近いところでしたので、

温泉に宿をとりました。

こちらも早めに付きそうなので、雨模様でしたが、

紅葉の真っ盛りの大沼を巡りました。

2度目は、五稜郭に近いところでした。

時間があったので、五稜郭の見学をしました。

紅葉も終わりに近いでしたが、

五稜郭で、晴れた青空に映える

イチョウの大木の紅葉を

いくつも見ることができました。

2020年10月15日木曜日

190 スコットランド:ハットンの不整合

  2002年に訪れたスコットランドを紹介します。訪れたところは、ジェームス・ハットンが見つけた不整合の露頭です。この不整合は、斉一説という現在の地質学にとっても重要な概念を導入するものでした。


 今年は野外調査に出れないので、以前行った地域を紹介しています。今回は、イギリスのスコットランドです。2002年に訪れた時の話しですから、現状では変わっているところがあるかもしれません。ご了承ください。

 現在、本の執筆をしているため、その準備で地質学史の概略をまとめています。すると、地質学はイギリスで発祥したことがよくわかります。今回は、ジェームス・ハットンが地質学の重要な概念を示したイギリスのスコットランドを紹介します。

 スコットランドの地質図をみると、東-西から北東-南西に伸びる大きな断層が何本かあります。エディンバラの北には大グレン断層が、南にはハイランド境界断層があります。それらにはさまれた地が、エディンバラとなります。大グレン断層は、北東-南西方向に伸びて、アイルランド地域に大きなくびれをつくっています。この断層内には、ネッシーで有名なネス湖などがあります。ハイランド境界断層は、イングランドとスコットランドの境界付近にある断層です。この断層の北側には、シルル紀の地層を主としていますが、デボン紀の地層が不整合によって重なっています。南側はデボン紀から石炭紀の地層を中心としています。これらの地層は、カレドニア造山運動で形成されたものです。

 エディンバラの西方に不整合がみられる有名な露頭があります。ハットンが最初に不整合を記録したところです。シッカー・ポイント(Siccar Point)というところで、「ハットンの不整合」と呼ばれている露頭があります。ハットンは船でこの地を訪れましたが、私は道路から牧草地を歩いて、崖を下ってたどり着きいて、やっと見ることができました。初日は牧草地から、急な崖を降りて海岸にたどり着いたのですが、帰りにはこの海岸に降りる道を見つけ、2日目には楽に登り降りできました。

 さて、不整合とは、地層と地層の間に、堆積物がたまらず、侵食を受けたもので、地質学的には大きな異変が起こったことを意味します。その異変とは長い時間をかけて起こったものです。水中に地層がたまる環境がありました。その堆積場が上昇して陸になります。陸地になると風化や浸食により、地層が削られていきました。陸地が再び沈み海になり、新たな地層がたまってきます。その境界が不整合となります。その海で溜まっている地層が再度陸地になることで、私のたちの目に触れることになります。不整合の上下は、長い時間の間隙があり、時代も構造、岩質も異なる地層が接することになります。不整合とは、「証拠が消失した大きな地質学的異変」ことで、そして「証拠のない」証拠でもあるのです。

 このような不整合の存在とその地質学的意味を最初に示したのが、ジェースム・ハットンでした。不整合という地質現象を、上で述べたような科学的な解釈を示しました。そのため、ジェームス・ハットンは、近代地質学の祖と呼ばれています。

 「ハットンの不整合」は、シルル紀の地層の上に、デボン紀の地層が、不整合で重なっています。シルル紀とデボン紀の地層の境界は、イングランドやウェールズでは、不整合ではなく整合で重なっています。スコットランドでは、傾斜した不整合になっています。

 シルル紀の地層は、ぺらぺらとはがれやすい性質(葉理の一種)の粒の細かい砂岩から泥岩と、粒の粗い白っぽい砂岩との繰り返しの地層です。この地層は、海でできた地層で、褶曲し断層や割れ目がたくさん形成された色の濃い砂岩から泥岩からできています。この堆積物は、かつてスコットランドが属していた大陸ローレンシアという大陸の前面にあったイアペタス海の沿岸や海底にたまったものです。地層の最下部には、礫層(基底礫層といいます)があります。このような基底礫のあることも、不整合の有力な証拠となります。

 デボン紀の地層は、赤から赤褐の色をもった砂岩からレキ岩の粒の粗い堆積岩からできています。赤い砂岩は、「旧赤色砂岩」と呼ばれる岩石です。旧赤色砂岩は、イギリスのカレドニア造山運動でデボン紀(4億850万~3億6250万年前)を象徴するもので、イギリスやアイルランドに広く分布しています。スコットランドでは、層厚が5000mに達するところもあるようです。このような堆積物は、山脈に囲まれた湖(オルカディ湖)で、川の浸食で多くの堆積物が運び込まれた環境でたまりました。石材としてよく利用されているので、エディンバラの建物は赤い石で建てられた、赤い町並みとなっています。

 ハットンは、不整合に代表されるような地質現象が、長い時間をかけて起こるため、地球の景観は、何百万年もかけてつくられたのだと論じました。これは、斉一説と呼ばれる考え方です。ハットンは、斉一説の考えで、地質学の基礎を構築しました。斉一説とは、現在起きている地質現象が、過去にも同じように起きていたという考えです。この説は、地球の歴史を調べるうえに、「現在」が有力な情報を与えてくれることになります。背一説を象徴する言葉として、「現在は、過去の鍵である」という言葉があります。

 ハットンの斉一説は、激変説(あるいは天変地異説)と対立しました。激変説は、フランスの博物学者キュビエらが中心となって唱えていました。激変説では、地球の歴史は4000年ほどで、その間、大洪水や大地震に何度もおそわれ、破壊が繰り返されたとする考え方です。斉一説か、激変説か、大いにもめましたが、ハットンの考えを踏襲したライエルが、斉一説を広めたことで、激変説は衰えました。

 激変説は、聖書にあるノアの洪水などにつながっていたので、斉一説の普及はキリスト教の力に陰りをもたらすことになりました。ライエルの斉一説に基づいて、ダーウィンは進化論を提示しました。進化論は自然選択という長い時間を要する変化によるものでした。その長い時間を、地質学の斉一説が保証してくれたのです。


・GoToキャンペーン・

GoToキャンペーンでさまざまなものに

ポイントや割引が適用されています。

ずるい使用やお金持ちの厚遇などの問題もあるようです。

このような税金のバラマキの使い方に

疑問を感じているのは、私だけでしょうか。

多くの人が多くの組織が、

コロナ禍で傷んでいることは事実です。

旅行業も宿泊業も傷んでいるでしょうが、

医療をもっとも最初に、手厚い手当を

していくべきではないでしょうか。

今回のコロナ禍を現状の程度でとどめているのは

医療従事者の努力のおかげです。

そこへの重点的手当は国民のだれもが

納得するものだと思うのですが。


・過度の適応・

大学の遠隔授業は継続しています。

小中高校では通常授業が再開されています。

小中高校は学習指導要領の縛りがあるため、

授業をしなければなりません。

それに遠隔授業をできる準備もできていません。

大学は遠隔授業への備えがあり、

急な対処にせまれましたが、なんとか持ちこたえています。

本来対面授業でするべきことを

遠隔授業でおこなっていては、

本来の学びの効果へは達しないように思えます。

それに学びだけが学校生活ではないはずで、

人間的な結びつきが希薄なままで

大学生活をすごしていいのでしょうか。

コロナ禍はすぐに終わりそうにありません。

このまま何年も続くようだと、

教師も学生も遠隔授業への過度適応がおこり

歪な大学生活になってくのではないでしょうかね。