2013年5月15日水曜日

101 白神岬:錯綜の津軽海峡

 白神岬は、北海道の最南端です。本州と北海道の間には、津軽海峡があり、目と鼻の先ほどの距離しか離れていません。しかし、両者の間には、時空をこえて、さまざまなものが錯綜しているところです。

 今年の北海道は、春が遅く、ゴールデンウィークも天気が悪く、肌寒い日が続きました。その後も春の暖かい日は少なく、出かけることもままならず、今回は、昔行った白神岬の紹介をします。
 白神岬は、北海道の南部(道南)にあります。道南は渡島(おしま)半島と呼ばれています。渡島半島は、曲がりくねっています。北側はアルファベットのCの形で、南はYの字を逆さまにしたような形をしています。ただし、Yは左(西)に倒れています。Yの下側(南側)は、東に亀田(かめだ)半島、西に松前半島に分かれています。ただし西に倒れているので、松前半島の方が、南に下がっています。南の一番先端が白神岬です。文字で説明するとわかりにくですが、地図をみると白神岬の位置はすぐに分かります。
 今述べたような形をしているため、白神岬が北海道の最南端となります。ただし、渡島小島(おしまこじま)は、白神岬より、さらに南にありますが、無人の島なので除きます。北海道では最北端や最東端は、ロシアとの国境や北方四島の関係で、たびたび話題になることもありますが、最南端は話題になることはほとんどありません。
 最南端ということは、本州に一番近いところになります。ただし、本州の最北端は、下北半島の大間崎(おおまざき)で、そこは白神岬より北になります。北海道と本州が一番近いのは、亀田半島の戸井と下北半島の大間岬の間です。
 白神岬が向かい合っているのは、津軽半島の竜飛崎(たっぴざき)になります。そこまでの距離は、20kmほどです。天気が良ければ津軽半島がよくみえ、下北半島や亀田半島もみえます。
 そんな近い本州と北海道は、青森-函館を結ぶ青函連絡によって、1908(明治41)年から結ばれていました。船が列車をそのまま載せて運ぶ形式の運行でした。
 私が大学生の頃は、青函連絡を利用していました。海路は天候の影響を受けたり、人の移動も飛行機の利用が増えたことから、1988(昭和63)年に廃止されました。JRは運行していませんが、民間のフェリーが車や人を運んでいます。
 JRの列車は、現在、青函トンネルを利用して運行されています。青函トンネルは、竜飛崎からはじまり、白神岬の東を通って知内(しりうち)で終わります。
 青函トンネルのルートを決定するにあたり、2の候補がありました。津軽海峡は狭く、白神岬からは竜飛岬が、亀田半島からも大間崎が間近に見えるます。青函トンネルは当初、最も近い大間-戸井(とい)の間の東ルートが考えられていました。しかしこの東ルートは、水深も深く、地下の地質も安定していないので、西ルートとなる現在のルートが選択されました。
 作りやすい西ルートでも、青函トンネルは難工事の連続でした。
 1961(昭和36)年3月23日に北海道側から掘削がはじまりました。海峡は200m以上の深さがあり、その中でも浅いところを選んでの掘削でした。先進導坑で掘削技術の開発もしながら、本坑の他に作業坑の掘りながらの作業となりました。海底下にあたるところは23.30kmの長さなのですが、青函トンネルは、最深部は海面から240mも下を通っています。高速の列車が通るためには、傾斜を緩くしていかなければならず、トンネル部は、53.85kmと倍以上の長さになっています。本坑が貫通したのは1985(昭和60)年3月10日で、営業開始は1988(昭和63)年3月13日でした。工事だけでも、24年かかっています。
 最近、話題になった北海道新幹線も、在来線が通る青函トンネルを利用します。もともと青函トンネルは、新幹線の規格を考慮して作られており、のちにスーパー特急方式の新幹線の原型となりました。しかし、北海道新幹線の計画は休止されたままで、やっと新幹線が通ることになったのです。
 新幹線の速度が上がると、すれ違う貨物列車に損傷を与えるため、トンネル内は時速140km(現在時速200km以上を検討中)に落とさなくてはならず、時間短縮のためのボトルネックの一つになっています。
 さて、車で函館方面から白神岬に向かうには、国道228号線を進みます。知内町から福島町までは内陸を進みますが、福島町の町を抜けると、海岸を進むコースになります。白神岬に近づくと道路はトンネルが多くなり、険しい海岸線になります。海岸には岩礁も見えてきます。
 トンネルや覆道の連続する海岸沿いの道を進むと、覆道の途切れたところに駐車場があり、白神岬という石碑があります。白神岬とはいっても、駐車場と石碑があるだけの、ささやかのものです。しかしここも松前矢越道立自然公園の一部となっています。私が行った日は天気がよく、少々霞んでいましたが、遠くまでよく見ることができました。
 駐車場の一番奥に海岸に下りる階段があります。そこから海岸に下りると、岩場になっていて、岩石をみることができます。白神岬の駐車場には寄っても、海岸に人ははほとんど来ないようです。そんな人は非常に残念な気がします。白神岬では、ちょっと変わった岩石がみられるからです。
 露頭では、地層のようなものが見られます。ただしこの地層には、何種類かの岩石が複雑に入り乱れています。ぐにゃぐにゃに曲がったり、違った種類の岩石が入り混んでいたりと、複雑なつくりになっています。岩石は入り乱れて混沌としてますが、岩石の境界ははっきりとしています。
 階段付近にはチャートと呼ばれる岩石があります。黒っぽいもの、白っぽいもの、緑がかった灰色のものなど、さまざまな色のチャートがあります。少し離れたところには緑色の玄武岩があります。また、泥岩と砂岩の繰り返しの地層もあちこちみられます。
 これらの岩石は不思議な組み合わせです。玄武岩はマグマが固まったもの、チャートは深海底にたまった生物の死骸が固まってできたもの、泥岩と砂岩の地層は陸から運ばれた土砂がたまったものです。もう少し詳しくいうと、玄武岩は、海底の中央海嶺というところで、海底火山によってできました。海洋プレートが形成されているところです。チャートは、中央海嶺から離れた海底で静かに、玄武岩の上にたまったものです。海洋の真ん中、海洋プレートが移動中に長い時間をかけてたまったものです。泥岩と砂岩の地層は、陸から河川によって運ばれた土砂が海岸付近にたまったものです。さらにそれが、海底地すべりなどで、より深い大陸棚や海溝まで移動したものです。
 白神岬の岩礁は、いろいろな場所やいろいろな成因による岩石が、集まってがっちりと固まっているのです。硬くなっているということは、どこかで出会い、地下の深いところで圧し固められたということになります。
 海でできた岩石と陸付近でできた岩石が出会い、固まるような場所、それは海溝です。海溝は、沈み込み帯と呼ばれるところです。陸近くの大陸棚の下に、海から来た海洋プレートが海溝で沈み込みます。
 海洋プレートの玄武岩は海嶺でできす。海洋プレートが海嶺から海溝まで長い時間移動している間に、生物の死骸が玄武岩の上にたまり、チャートができます。海洋プレートが沈み込むときに、一部が陸側に剥ぎ取られることがあります。剥ぎ取られた海洋プレートの一部は、大陸側の岩石の中にまぎれこんでいきます。このような岩石の混合物からできた地質体を、付加体(ふかたい)と呼んでいます。
 付加体の形成は、地下浅所では岩石が割れることなく変形したり、条件によっては割れてくっついたり、複雑な状態になって固まっていきます。付加体はつぎつぎと形成され、古いものほど深く押し込まれていきます。やがて高い圧力がかかるようになり、硬い岩石となります。白神岬には、このようにしてできた付加体が顔を出しているのです。
 白神岬の岩場には、近くの斜面から転がってきたのでしょうか、火山砕屑岩がありました。似た岩石が付加体の中にはないことから、この岩石は付加体由来ではありません。岩石の種類は安山岩で、付加体とは関係のない新しい時期の火山活動から由来したものです。実は、白神岬周辺には、中新世(約2200万年前~1500万年前)に活動した火山噴出物が点々と分布しています。そんな火山岩の基盤となっている岩石が付加体なのです。
 付加体ができたのは、約2億年前~1億4600万年前(ジュラ紀前期から中期)のことだと考えられています。付加体を特徴づける昔の海溝、あるいは海洋プレートの上に広がっていた海は、今はみることはできません。付加体は、古い時代の海溝や沈み込みの名残りで、火山岩は、現状の沈み込み帯に由来する火山活動です。2つの沈み込み帯、そして沈み込み帯の活動の深部と表層の様子を、白神岬ではみることができます。
 津軽海峡が深いのは、もともと地形的低くなっているのと、侵食のためだと考えられています。断層があるためではありません。大きな断層がないのは、北海道と青森は地質学的には連続していることらかもわかります。ですから、津軽海峡は、今の日本海と太平洋より新しくできた海であることがわかります。そんな新しい海峡の下を、今は、日本人の長い時間をかけた叡智の結晶が、トンネルとしてあり、そこを新しい新幹線が通ろうとしています。白神岬からみえる津軽海峡は、さまざまな時代のさまざまな構造物が、錯綜している場なのです。

・断層・
津軽海峡はもともとの地形的低まりと
侵食によってできたものです。
もし大きな活断層あったら、
青函トンネルも危険にさらされるでしょう。
幸いなことに、大きな活断層は見つかっていません。
ただし、大間崎沖には東西方向に延びる
「活断層」が推定さています。
この「活断層」をめぐっては、
大間原発建築の可否の鍵を握ることになるかもしれないので
大きな議論となっています。

・監視・
かつて北海道の北方にはソビエト連邦があり、
アメリカとの冷戦状態の時がありました。
軍港のウラジオストックから太平洋に出るためには
津軽海峡を通ることになります。
日本は日米安保条約にもとづき、
ソビエトを仮想敵国としていました。
そのため、津軽海峡が戦略的要路となっていました。
白神岬のすぐ上の山には、
今も、海上自衛隊の松前警備所白神支所があります。
津軽海峡側の竜飛警備所と対になり、
津軽海峡を監視、警戒していました。
この場所が選ばれたのは、
旧陸軍の津軽要塞白神砲台跡があったためでしょう。
白神岬と竜飛崎からみれば
津軽海峡が監視できるということです。