2019年6月12日水曜日

174 知床半島:雁行の並び

 露頭や地形を見に知床半島にいきました。今回の重要な目的として、船から、半島の先端までの海岸の観察することでした。でも、思いは、海岸から千島列島にまで広がっていました。

 旅が好きな人には、行きたいと思っていても行けてない場所が、多数あるかと思います。時間をかけてじっくりと見てみたいと思っている場所も、多数あるはずです。私も、地元の北海道に、じっくりと見たいところが何箇所かあります。日本海にあるいくつかの離島もそうなのですが、交通の便もよく観光地ともなっている場所でも、行っていないところもあります。そこは、遠くてある程度時間をかけていく必要がある知床半島の周辺です。
 道東には何度もいっているのですが、知床半島には、近くまでいっていたのですが、十分な時間をかけて、じっくりと見たいと思っているうちに、何年もたっていました。そこで今回、知床半島をじっくりと見たいと思い、調査に訪れました。一番の目的は、半島の地形や露頭を見ることです。半島の先端の知床岬までみたかったのですが、道路はないのと、世界遺産でもあるので、観光船でクルーズとしていくしかありません。今回、ウトロからのクルーズを予約していました。
 今回予約したのは、海岸に近づけるそうなので小型船で予約しました。ただし、天気次第で欠航になることもあるとのことでした。幸い、今回は出港できた見学することができました。ただし、曇がかかっていたので、半島の山並みは見れなかったのですが、海岸はしっかりと見えました。
 知床半島と千島列島にかけて、不思議な地形があります。
 知床半島から千島列島、カムチャッカ半島まで、火山の連なった山並みからでてきます。このような火山はすべて、千島ーカムチャッカ海溝で太平洋プレートが沈み込んでいて、それに沿って島弧の火山ができています。道東でも、代表的なものでも、阿寒、屈斜路(くっしゃろ)、摩周(ましゅう)、斜里岳、海別岳、遠音別(おんねべつ)岳、羅臼(かざん)岳、知床硫黄岳、知床岳と火山が連なっています。
 さらに面白いことに、島の並びには特徴があります。知床半島から千島列島のウルップ島あたりまで、半島や島の地形と並びが、雁行(がんこう)状に連なっています。雁行状とは、雁(かり、がん)が飛んでいる時の様子を意味していて、「杉」のつくり「彡」の形に並んでいることです。島の並びは、火山の並びでもあります。
 通常の沈み込み帯では、海溝に並行して火山が分布し島弧となっています。ところが知床から千島にかけては、その並びが雁行しています。その理由は、太平洋プレートが海溝に斜めに沈み込んでいるためです。海洋プレートの斜め沈み込みで、圧縮方向が斜めになっています。すると、圧縮だけでなく、横ずれの力もかかっていくことになります。知床周辺では、右横ずれの力がかかっています。右横ずれとは、太平洋プレートから見ると、陸側が右にずれていくことです。そのために雁行状に火山ができたと考えられています。雁行状は、知床半島、国後島、択捉島あたりが、非常にきれいに並んでみえます。教科書的な雁行だとされています。
 ところが、択捉島より先にいくと、雁行状の配列が、不明瞭になって、海溝の並行になっていきます。これは、海溝が弧状に曲がっているため、沈み込む方向が直行するようになるため、圧縮の力だけで、横ずれの力が働かなくなるためです。
 海溝や火山の並び、火山列島などは弧状になっていることが多くなっています。なぜでしょうか。地球は多数のプレートで覆われており、活発な活動はプレート境界で起こります。プレート境界、海嶺は直線的ですが、海溝や島弧はほとんどが弧状になっています。それは、地球が球体であるため、プレートは球面上での運動となり、球体の大円や小円として現れます。海嶺は深くにあるマグマの上昇によるため大円に近くなり、海溝や島弧は表層の運動に基づく小円になるため弧状になるためです。海嶺では海洋プレートが形成されているため、その運動や力のベクトルは直線的ですので、弧状の海溝では斜めの力がかかるところができます。それが知床の付近の雁行配列を生み出しています。船上から、そんな大地形と火山の成因に思いを馳せながら眺めていました。
 クルーズでは、雲がかかっていたため知床の火山の山並みに見ることはできませんでした。しかし、火山がつくったさまざまな地形、火山岩の産状などもみることもできました。また、幸いなことに前日に、雲の切れ間から主だった山を見ることができました。
 今回は知床半島の一部しか、訪れることができませんでした。ですから、近い内に再訪したいと考えています。知床半島内には、他にもいろいろめずらしい地質現象があり、観光地にもなっているところも多数あり訪れたいものです。それは別の機会にしましょう。

・クルーズ・
今回のクルーズは小型船でしたが、
幸い海はまったく荒れることなく、
落ち着いて地形を眺めることができました。
小さ船ですが、船の屋上の屋外に座席があり、
そこから景色を眺めることができました。
一番いい席を確保して、見ることができ
大量の写真も撮ることもできました。
露頭や地形を見ることが目的でしたが、
他の観光客はヒグマを見ることが
大きな目的としていました。
幸い2頭のヒグマを見ることができました。
ドトも見ることができました。
行きは崖や岸によりながらなので
船はゆっくりと進むのですが、
帰りはまっすぐ帰るので
屋上の席は風が当たり、非常に寒くなります。
かなり着込んでいたのですが、それでも寒かったです。
多くの人は船内に戻っていったのですが、
私は最後まで外で頑張って半島を眺めていました。
3時間以上船に乗っていたので、
船を降りて方も寒さと陸が揺れていて困りました。

・知床岬・
これまで知床半島の先端の知床岬に
興味をもっていました。
それは、非常にきれいな海岸段丘が
広がっている草原が目についていたためです。
そこは、一般の人は入ることはできません。
これまで映像や写真でしか見ることができませんでした。
しかし、今回、知床岬の段丘を
船からですが、見ることができました。
感動しました。

2019年4月15日月曜日

172 日豊海岸:リアス式海岸

 リアス式海岸は風光明媚な海岸線になり、国立公園や国定公園などに指定されています。そのような複雑な海岸線ができる背景には、大地の大きな変動があったことを物語っています。

 宮崎平野の海岸は、冬でも温暖で、2月から3月の野球やサッカーなど各種のスポーツのキャンプ地として賑わいます。そのような風物詩を見ていると、穏やかで砂浜の広がる、なだらかな海岸線が続いています。しかし、宮崎平野より北や南を見ていくと、海岸線の景色は一変します。入り組んだ複雑な海岸線となります。このような海岸をリアス式と呼んでいます。リアス式海岸というと三陸海岸を思うかべますが、実は似たような海岸は、西日本には連続してあります。
 日南海岸は有名ですが、リアス式海岸であることがあまり知られていなのではないでしょうか。しかし、北の方の日豊海岸(にっぽうかいがん)は、もっと典型的なリアス式海岸で、知名度も少々低いようです。日豊とは、大分の中南部から宮崎北部にかけての地域です。今回の話題は、日豊海岸です。
 大分から宮崎にかけて、何度が調査にでかけました。そのときの様子も何度か紹介したことがあります。その目的は、岩石や露頭を見ることが中心となっていました。この周辺も何度か通っていて、海岸の地図もみていたのですが、リアス式海岸であることを、ほとんど意識していませんでした。
 大分県と津久見から宮崎県延岡に抜けるには、国道18号線も東九州自動車道も内陸を走っています。2017年に行ったときは、宮崎から自動車道で北上し、戻るときに海岸を通りながら南下しました。海岸線は、険しくくねくねしているので、早く目的地にたどり着くためには、幹線道路のある内陸を通ることになります。海岸線を通るとは急な断崖、半島など入り組んだ海岸線で、小さい島が点在しています。海岸の沿いの道路はありますが、曲がりくねり時間がかかります。海岸付近の生活道は、さらに狭くなっていて、車でも時間がかかります。徒歩で歩いていた時代は時間がかかったろうなと思います。海から船で行くことをしていたのでしょう。
 このような海岸の地形をみていると、海沿いにあるのですが、まるで山地のような谷や峰になっています。山並みがそのまま海に沈んだように見えます。見たとおり、この地域はリアス式海岸となっています。宮城県の松島に並び称されるそうです。リアス式海岸はもともと山地が海になっているので、陸地は起伏が多く、急な傾斜の山地が海岸にまで迫ることもあり、平地が少ないため、陸路での移動は不便になります。さらに平地が少ないので稲作には適しません。耕作地にするためには、水や交通の便も不便なところでした。
 ところが良い点もありました。深く切り込んだ谷が沈み込んでいるので、入江の水深も深く、入り組んでいるため、波も穏やかで、港には適したところが多数あります。古くから港が多数ありました。海岸が入り組んでいるということは、漁場も多くなり、外海は四国との間の豊後水道で狭くなっていて海流も激しく、黒潮の影響で水温も高くサンゴなどもあり、魚の種類も多くなっているそうです。そのため、漁業が盛んな地域となっています。
 さて、リアス式海岸ができるには、大きく2つのでき方があります。ひとつは、海面が上がって山地が海に没するものです。海岸線が上がるこということは、海水準が上昇することで、「海進」と呼ばれるものになります。海進は、地球の気候変動によるもので、温暖な時期に陸の氷が溶けたときに起こります。縄文時代の海進が、このような現象に当たります。海進は、世界的なもので、現在のように氷床ができると、海が退き「海退」となります。日豊海岸のリアス式海岸は、この仕組みでできたものではなさそうです。
 もう一つのでき方として、陸地が沈降してもリアス式海岸になります。陸地が沈降するのは、その地域の固有の地質現象になります。ただし、局所的にでも、なんらかの沈降する地質作用が必要になります。
 広域にリアス式海岸を作るような陸地の沈降には、大きな大地の営みが働いていることになります。この地はそのような大きな大地に営みが起こったようです。その証拠は、豊後水道の東側の四国にもリアス式海岸ができていることが挙げられます。四国側の愛媛県の西予、宇和島、愛南にも似た地形や似たようは海岸線があります。もっと広域に見ると、四国東部の徳島県の阿南や、紀伊半島西部の和歌山の有田から御坊、紀伊半島東部の三重県の伊勢志摩まで、海岸は複雑に入り組み、リアス式海岸が一列に並ぶようにできています。これは、九州から四国、紀伊半島にかけて、広く上昇したことを示しています。
 では、なぜ西日本の東西の海岸線にリアス式海岸できたのでしょうか。何があるのでしょうか。日豊海岸の北には日本列島を代表する重要な仏像構造線があり、さらに北には中央構造線が通っています。西日本を東西に横切る2つの大きな構造線が、リアス式海岸の北を通っていいることになります。
 このような構造線は、多数の断層が一連の地域でできることによって形成されています。つまり大地に大きな力が働いていることを示しています。断層とは、大地がずれてできるもので、横にずれる成分と、上下にずれる成分があります。リアス式海岸の存在を考えると、構造線の南側が大きく沈降していると考えられます。山が海になっているのですから、その沈降の大きさは想像以上のものになるのでしょう。
 リアス式海岸は、陸地では不便さと恵みをもたらしました。その背景には日本列島を横切る大地の大きな営みあったのです。

・夏タイヤ・
北海道も一気に暖かくなってきました。
この週末に車のタイヤを夏タイヤに交換しました。
だいぶ古くなっていたので、
新しい夏タイヤを購入して、交換していもらいました。
非常に混んでいていて、2時間ほど待たなければなりませんでした。
私は新しいタイヤを購入したので2時間でしたが、
タイヤ交換だけなら、7時間待ちとなっていました。
北海道の暖かくなると一気にタイヤ交換となります。

・アクティブ・ラーニング・
大学の講義が始まって1週たちました。
最初の1週は、やはり気持ちが重くなります。
今年から新しい授業が前期に2つ始まるので、大変です。
ひとつはアクティブ・ラーニングで進めるために、
いろいろ工夫や準備が必要になります。
学生も能動的になりますが、
教員も能動的に動くことになります。
新しい授業体制の導入もなかなか大変です。

2019年3月15日金曜日

171 エディアカラ:爆発した動物たち

 南オーストラリアのフリンダース山地は、巨大な山脈です。荒涼たる半砂漠のような大地で、太古の化石が見つかっています。これまで正体が不明だった化石なのですが、最近その実態が解明されました。

 オーストラリアは大きな大陸なので、車による移動もかなり時間を要します。すごいスピードで、長距離を走らなければならないので疲れます。舗装道路なら高速で進むのも容易なのですが、未舗装の道路も多く、高速で運転するとなると、長時間の緊張も強いられます。もし、カンガルーでも飛び出してきたら、大事故になってしまいます。そのためでしょうレンタカーには、バンパーの前に丈夫なフレームがつけられています。高速で大型のカンガルーにぶつかったらどうなるのでしょか。無事では済まないでしょう。オーストラリアでは、何度かレンタカーを使って旅行したことがありますが、幸い事故にもあわなかったので、衝突の衝撃は経験していません。
 さて、オーストラリアの荒野の化石の話です。1月のエッセイでバージェスの化石を紹介しました。バージェス頁岩で見つかった化石は、カンブリア紀中期の「カンブリア大爆発(Cambrian explosion)」の直後のものでした。「カンブリア大爆発」とは、カンブリア紀になって一気に生物の多様性が出現したことをいいます。
 古生物の研究は、当初、大型の化石を元に進められていました。大型化石はカンブリア紀まで遡れて、サンゴ類や貝類、腕足類、三葉虫などの動物化石が見つかっていました。時間を古い方から見ていくと、カンブリア紀に多様な大型の動物が、突然出現したようにみえます。連則的に生物が進化ということからすると、非常に不思議な現象にみえました。そのため、「カンブリア大爆発」と呼ばれ、その原因を探ることが、古生物学の重要なテーマでもありました。
 少し前(20世紀前半)までは、カンブリア紀以前からは、ほとんど化石が見つかっていませんでした。20世紀後半になると、カンブリア紀直前の時代からも、そしてもっと古い時代からも、保存のよい化石が多数、各地から見つかるようになりました。その結果、カンブリア紀やその直前に時代の生物進化がわかるようになってきた。
 オーストラリア、南オーストラリア州に、エディアカラ丘陵(Ediacara Hill)という地域があります。Google Mapをみてもこの地名は見つかりませんが、地質学ではかなり有名な地です。この地名を冠した化石群があるためにです。「エディアカラ生物群」と呼ばれています。「生物群」とされているのは、動物なのか植物なのか、それたも他の種(菌類や原生生物などの説もある)の可能性もあるからです。
 「エディアカラ生物群」は、カンブリア紀より前の時代(原生代)でエディアカラ紀(6億3500万~5億4100年前)の化石とされています。エディアカラ紀は、エディアカラ生物群が出現する時代ともいえます。エディアカラでは、保存のいい化石を多数産します。楕円形をしたパンケーキ状の化石「ディッキンソニア」やキノコ状の化石(ネミアナ)、同心円・放射状の構造のクラゲのような外形(シクロメデューサ)など多様で、サイズも数10cmにまで達する大型の化石が見つかっています。
 2018年9月のアメリカの科学雑誌Science誌に、「ディッキンソニア」についての報告がありました。ディッキンソニアは、120cm以上もあるのですが、この報告で、軟体動物であることが判明しました。これまでエディアカラの化石は印象化石であったので、生物の分類群を判別する決め手がありませんでした。形態だけでは、なかなか判別できなかったのです。
 軟体部しかない生物だったので、土砂に埋められたときは組織をもっていたのですが、固化するまでに有機物はなくなってしまいました。そのため、形態の痕跡だけが残って化石となっています。このような化石を「印象化石」と呼んでいます。印象化石だったので、生物の分類群を定めることができませんでした。
 この報告ではステロールという生物分子(バイオマーカーと呼ばれています)に着目して、成分から生物としての特徴を調べました。ステロールが非常に多く含まれている(最大93%)ので、動物であると判断されました。周囲の海底の地層には、ステロールはほとんど含まれていないことも確認されています。動物が作るステロールは、コレステロールと呼ばれるものです。
 これまでエディアカラ生物群は種類が不明だったのですが、少なくともディッキンソニアは動物であることが判明したことになります。今後、このようなバイマーカーを用いる研究で、生物の種類が判別されていくことが期待されます。
 カンブリア大爆発より前、エディアカラ生物群ですでに大型生物が出現していたことになります。それにしても、大型生物が突然出現するのは不思議なことです。それにはどうも理由がありそうです。
 エディアカラ紀の始まり(6億3500万前)より少し前(6億6000万年前)に、地球全体が凍るような「全球凍結」と呼ばれる氷河期がありました。サターティアン氷河期と呼ばれ、6000万年間続きました。氷河期から回復した直後が、エディアカラ紀となっています。氷河期を耐え忍び、住みよい環境が戻ってきた時、生物が一気に進化したように見えます。
 エディアカラ化石は、もともとエディアカラ丘陵(Ediacara Hill)で見つかったものです。アウトバックハイウエイB83がアデレードから北に伸びています。B83の東側には大きなフリンダース山地あり、西側にエディアカラ丘陵があります。エディアカラ丘陵は私有地の中にあるので、入るのには持ち主の許可が必要になります。許可をもらって柵を通り中に入りましたが、案内もなく向かっていたので、どこにエディアカラ丘陵があるかわからず探し回りました。地図にも丘陵の位置が不明だったため、荒野をうろうろたのですが、見つからずに時間切れで、捜索は断然せざる得ませんした。
 エディアカラ山の西にあるフリンダース山地でも、エディアカラの化石が見つかっています。フリンダース山地は、国立公園になっているので整備されており、化石の見学もコースに沿ってできます。

・大爆発・
本エッセイで述べたように、エディアカラ紀に
生物の大型化、多様化が起こっていることになります。
もしこの大型化、多様化を重視して
「大爆発」と呼ぶことにするのであれば、
「エディアカラ大爆発」というべきでしょう。
全球凍結という環境の激変があったからこそ、
生物の大爆発的進化が起こったことになります。
しかし、その検証作業は必要ですが。

・時代名称・
時代名称は従来の時代名があるときは
それがそのまま使われています。
新しく定義される時代の場合は、
時代境界となる標準模式層(GSSP)のある地域名が
使われることになっています。
先日ニュースにもなったチバニアンはその例となります。
エディアカラ紀のGSSPは、
エノラマクリーク(Eonrama Creek)にあります。
ここは、フリンダース山地の中にあります。

2019年2月15日金曜日

170 潮岬:トンボロの先のマグマ

 本エッセイに潮岬を取り上げるのは、二度目となります。前回は10年前になりますが、橋杭岩を中心に紹介しました。今回は、すぐ近くなのですが、潮岬を中心に紹介していきます。

 紀伊半島の南紀へは、何度か調査にいっていますが、機会があれば橋杭岩だけでなく、更に南の潮岬へも足を伸ばすことがあります。それは潮岬の先端には、見事な露頭があるからです。
 まずは潮岬について概要を紹介しておきましょう。潮岬は、和歌山県東牟婁(ひがしむろ)郡串本町の南に位置しています。串本町自体も、紀伊半島の南端にある街で、役場は潮岬がある島のようにみえる地形のところと、本州が繋がっている平坦なところにあります。
 島のように見える地形のところは、実はもともとは本州とは離れていた島でした。いろいろ調べたのですが、島としての名称はないようですので、仮に「潮岬島」としておきましょう。沿岸の流れによって、海岸沿いの土砂が運ばれ、間の海に堆積していきます。やがて「潮岬島」と陸が繋がっていきました。このような地形をトンボロ(陸繋島)と呼んでいます。ですから、もともとは島だったので、島のように見えて当たり前なのです。
 「潮岬島」の東には、一回り大きな本当の島、紀伊大島があります。紀伊大島と「潮岬島」は、橋でつながっているので陸続きともいえます。くしもと大橋と呼ばれていますが、間にある苗我島(みょうがじま)があり、その手前で標高を稼ぐためにループ橋になっています。なかなか面白いところです。
 「潮岬島」と本州の繋がっているところは、平地になっているので家が立て込んでいます。平地の両側は海に面しているので、両側に港ができています。「潮岬島」と紀伊大島が、太平洋からの風や波を防いでくれるので、港としては地の利のあるところになります。
 潮岬は本州最南端とされていますが、地形図を見ると、灯台(潮岬灯台)があるところは御崎(みさき)という地名になっています。ですから灯台が最南端ではありません。灯台よりやや東に本州最南端の碑があり、その先の海岸にクレ崎と呼ばれるところがあります。地理的には、クレ崎が最南端にあたります。
 さて今回は、灯台付近の海岸に出ている露頭についてです。海岸の露頭は波に洗われて風化の少ない岩石になっています。露頭では、見事な枕状溶岩がみることができます。枕状溶岩だけなら、日本各地でよく見られるのですが、ここでは他の岩石との関係をみることができます。
 枕状溶岩に貫入している岩脈が見事です。この貫入岩は、枕状溶岩だけでなく、細粒の溶岩や水中破砕岩などの多様な産状の玄武岩に貫入しています。また、貫入岩も粗粒のドレライトや花崗斑岩、細粒のフェルサイト岩脈、また化学組成も塩基性から酸性までと、多様です。玄武岩は海嶺で活動するマグマに似た化学組成をもっていることが知られています。しかし、活動の場は、海底ではあるのですが、中央海嶺でないことはわかっています。
 多様なマグマの活動は、1500万年前~1400万年前に起こっており、潮岬火成複合岩類と呼ばれています。紀伊半島は四万十帯と呼ばれる付加体(四万十層群)と、その付加体を不整合に覆う熊野層群と呼ばれる地層が分布しています。
 潮岬火成複合岩類は、四万十層群や熊野層群を貫入しています。「潮岬島」の北部や紀伊大島では、熊野層群が堆積しているところにマグマが貫入していることとが見られます。堆積場でマグマの活動が起こったことになります。火成岩の中でも、化学組成が異なるマグマは玄武岩質と花崗岩質の少なくとも2種類ありました。玄武岩質マグマも花崗岩質マグマも互いに、貫入したり、貫入されたり、の関係がみられます。これは、同時期に2つのマグマだまりが存在し、活動していたことになります。そのため「火成複合岩類」と呼ばれることになっています。潮岬の露頭は、マグマの組成が多様で、複雑な堆積作用の場であったことを示しています。
 この時期、紀伊半島から四国、九州にかけて、似たような火成作用が広範囲で起こっています。海側(前弧海盆と呼ばれるところ)の付加体が形成されているところで起こっています。日本列島は複雑な地質状態になっていたことが知られています。日本海が形成され拡大している時期にあたり、拡大に伴って西南日本が回転していました。さらに、フィリピン海プレートが、新たに西南日本に沈み込みはじめます。このフィリピン海プレートは、活動中の海嶺が沈み込んだと考えられています。
 大陸の縁にあった日本の原型が、日本海ができることで大陸から切り離され、列島が形成されていく最後の時期にあたります。非常に活発な地質変動の時代で、特に西南日本は、通常の海洋プレートの沈み込み帯とは異なった状態に置かれていたことになります。
 かつて西南日本は、典型的な沈み込み帯、付加体と考えれられていたのですが、どうもそうではないことが明らかにされてきました。典型ではなく、特異な地質環境であったことも頭に入れておく必要あります。少なくとも始新世(3000万年前)以降、日本海が形成される頃から、通常の地質場とは異なった環境に置かれることになります。その上で、何が特異で何が普遍なのかを見極めていく必要があります。
 「潮岬島」の南側で海を眺められるところは、平坦な面になります。平坦面に車を置いて、海へは急な断崖を降りていくことになります。この平坦面は海岸段丘です。この付近では、2つの面があります。海岸段丘の形成は、第四紀の新しい時代の異変によるものです。帰りは、平坦面まで異変によってできた崖を登ることになりなかなか大変です。海岸には、もっと古い時代の、もっと激しい異変が記録されていますので、帰りは苦労しても、一見の価値があります。

・自然現象・
冬の前半は、雪が少ないなと思っていました。
しかし、後半には例年になく厳しい冬となっています。
1月から2月にかけては、
何度かの冷え込み、かなりの降雪・積雪もありました。
今では、排雪が間に合わず、
道の脇にうず高く雪の山ができて
すべての道が、狭く見通しが悪くなっています。
季節ごとの変化は受け入れていくしかありません。
自然現象は、黙々と対処していくしかありませんね。

・帰省・
2月下旬に、故郷に帰省します。
毎年この頃に、帰省するようになってきました。
大学が一番休みの取りやすい時期で
野外調査に適さない時期でもあります。
私は1週間ほど滞在して、母に関することを
いろいろ処理する予定です。
また今年は、我が家の家族が
母の実家に集合する予定をしています。
子どもが家を離れると
なかなか全員で集まる機会が
少なくなってきます。
今回は、貴重な機会になります。

2019年1月15日火曜日

169 バージェス:高き峰から遠き過去へ

 明けましておめでとうございます。昨年は、道内の話題が多くなりました。今年最初のエッセイは、カナダのロッキー山脈にある小さい露頭です。ロッキーの高き峰にある露頭で見た、遠き過去への旅です。

 今回は、海外調査に行っていた頃の昔話です。博物館にいた時期の海外調査です。2001年7月にカナダの露頭の調査です。
 現在もそうですが、当時から地層境界に興味を持っていました。その興味は、地層に地球の時間記録がどのように記録されているのかという、現在の興味にちながっています。当時は、時代境界を示す典型的な露頭を調査するというプロジェクトを自身で組んでいました。その一環でカナダにも数箇所、調査にいきました。
 顕生代の地層境界で一番大きな区分は、古生代と中生代の境界(P-T境界と呼ばれます)、中生代と新生代の境界(K-Pg境界)になります。これらの境界は、その前後で生物種が大きく変わっていることが、重要な区分の根拠となっています。過去の生物種の変化は、化石によって決めることになります。研究が進むにつれ多数の化石が見つかることで、古生代、中生代、新生代の中も非常に細かく区分されてきました。
 生物種が大規模に変化するということは、生物の大絶滅があったことを示唆しています。生物の大絶滅があっということは、地球規模で環境の変化、天変地異といっていいようなものが起こったことを示唆しています。このシナリオが正しいのなら、時代境界は、環境変化の著しいものほど、大区分の時代境界になるべきでしょう。
 当時の私の興味は、生物がいない先カンブリア紀の区分を、どう論理的に整合性を持っているのか、持たせるべきかということを考えることでした。現在では、研究が進み、先カンブリア紀のいろいろな時代にも生物の痕跡があることがわかってきました。ですから、それらの痕跡から時代区分することも将来はできるかもしれません。
 顕生代の生物のように殻や骨など化石に残りやすいすい組織を先カンブリア紀の生物は持っていません。ですから現状では、大きな環境異変を大雑把に捉えて、そこで生物が大局的にどう変化したかを、少ない化石から検証することになります。
 その中でも、一番検証しやすい時代は、先カンブリア紀(エディアカラ紀、かつてはベント紀と呼ばれていました)とカンブリア紀の境界(E-C境界)です。この境界では、それまで化石がほとんどない時代(先カンブリア紀)から、突然化石が大量に見つかるカンブリア紀になります。これは大きな異変です。化石に残る生物一気に進化してきたことになります。その時代境界に何が起こったのか、それが地層にどう記録されているのか、に当時は興味をもっていました。
 日本ではその地層境界はありません。そして訪れたのが、カナダのバージュスト山(Burgess)でした。長い前置きでした。古い話なので今は状況がどう変わっているのかわかりませんが、当時の話として読んでください。
 日本からインターネットでバージェス山へのツァーが申し込めました。1日15名が上限で1グループしかその露頭へは入れないとされていました。それは、この露頭が、世界遺産として保護されているためでした。日本から、ツァーを申し込んでおきました。約10kmほどの行程ですが、目的地は標高2280mにあり、その標高差は700mもあり、時間にして約10時間かかるツアーでした。
 そもそも、なぜここを訪れたのかというと、カンブリア紀に生物の大発生が起こったことがわかった露頭がある地だったからです。ここで、カンブリア紀中期(5億1500万年前)、バージェス動物化石群が見つかっています。
 午後2時ころ、目的地に着きました。そこはあまりに小さい露頭でした。絶壁にへばりつくように、幅数m、長さ10mもないような石切場として、露頭はありました。こんな小さな露頭が、世界的に有名なところで、世界遺産にまで指定されているのです。そして、化石は、この小さな露頭からだけからしか見つかりません。
 その小さな露頭を、ウォルコットの石切り場(Walcott's Quarry)と呼んでいます。ウォルコットとは、スミソニアン研究所のウォルコットのことで、1909年に発見し、何度か発掘して石切場のようになっていることにちなんでいます。ウォルコットは、65,000個の標本を採集しました。露頭が小さいので、時々調査をして化石を発掘しています。保存にいい多種の化石が見つかっており、「カンブリアの大爆発」と呼ばれる由来ともなりました。その後も、何度か発掘調査がされています。
 この露頭の岩石は、バージェス頁岩とよばれる細粒の堆積岩なので、化石の形が残りやすくなっています。私もそこで多数の化石を見ることができました。私たちが行っても、石の割れた面に変わった化石を一杯見つけることができました。多くは破片ですが、変わった化石であるということは、化石の専門家でない私でも分かりました。その最たるものがアノマノカリスと呼ばれる怪物のような生き物でした。腕(キバ?)の化石でした。今からは想像もつかない、奇妙でまさに怪物と呼ぶべき生き物たちの化石が見つかっています。もちろん持ち出し禁止で、撮影のみです。
 健脚の人が歩けば10時間ほどでいけるそうですが、露頭からの帰りは、自由に降りていいいことになりましたので、私は11時間ほどで降りてきました。かなり年配の方もいたので、最終的に全員が降りてきたは、もっと後のことでしょう。
 ウォルコットの石切り場は、カナディアン・ロッキー山脈のヨーホー国立公園の中にあります。ヨーホー国立公園の中心地のフィールド(Field)という小さな村から出かけました。当時はまだ体力もあったのですが、もう二度と行けない場所になっています。

・バージェス頁岩・
バージェス頁岩は、スティーヴン・ジェイ・グールドが著した
「ワンダフル・ライフ バージェス頁岩と生物進化の物語」
で大変な反響を呼びました。
私もその本を読んで、行きたいと思っていました。
まだ若かった頃のことでしたので、
なんの問題もなくたどり着きましたが、
今では無理でしょう。
そんなまだ見ぬ地で、面白いところが
世界にいっぱいあることでしょう。
残念ですが、現在はとりあえず日本だけです。
日本でも、そんな地がまだまだいっぱいあるはずなので
見つけていこうと思っています。

・ステファン山・
当時、もうひとつの世界遺産にいきました。
ステファン山へのツァーでした。
こちらも大変ハードなもので、800mの標高差を、
2時半くらいで一気に登っていくことになります。
しかし、その地は仰天しました。
散乱している岩にすべて三葉虫が
うじゃうじゃ入っていました。
疲れも吹き飛ぶ露頭でした。

2018年11月15日木曜日

167 新冠:判官が見た地層

 新冠川の河口の右岸には、切り立った崖があり、垂直の地層がでています。崖は線路も通っているのですが、トンネルが穿れています。そんな地層を眺めながら、運休中の線路と判官に思いを馳せました。

 先日、襟裳岬を回る野外調査に出ました。札幌圏からは、自動車道の日高道を通り、日高厚賀までスムースにいくことができます。しかし、9月6日の地震の影響でしょうか、高速道路ですが、段差が多数あり、あまり高速では走れなくなっていました。高速道路が伸びているので、静内や浦河方面へは、行きやすくなりました。以前なら、静内まで車で半日かかっていたのですが、今なら高速に乗れば、2時間ほどで行くことができます。
 交通手段としては、JR北海道の日高本線があるのですが、しばらく運休状態が続いています。日高本線は、2015年1月、爆弾低気圧が発生して高波によって線路の土が各所で流され、列車が運行できず、鵡川から様似の間が運休しました。その後、2015年9月には台風によってさらに被害が増大し、2016年にも台風が連続して襲来して、またも被害が増えました。2018年9月6日には、北海道胆振東部地震で厚真川の橋が壊れて、苫小牧から鵡川の間も運休しました。苫小牧から鵡川の間は、12月には復旧するとの見込みですか、それより先の復旧がどうなるかは未定ですが、なかなか難しそうです。
 日高の調査では、まず新冠に立ち寄ることにしていました。着いたのは8時前でしたが、天気がよかったので、判官館(はんがんだて)森林公園にいくことにしました。ここには何度か来ていたのですが、岬の先端まではいったことがなかったので、好天につられて、でかけることにしました。
 判官とは源義経のことで、史実では奥州の衣川の戦い(現在の岩手県平泉)で破れ自害したことになっていますが、北海道まで逃れてきたという伝説があります。蝦夷地で最初の上陸がこの地で、「判官館」と呼ばれています。伝説では、しばらここに住んでいて、連れてきていた鷹で「静御前」に手紙を送ったところ、頼朝にバレたため、この地から逃げたとされてます。北海道には、いくつか、そのような義経伝説の地がありますが、ここもそのひとつです。
 公園の道路を進んでいくと、公園を抜けて最も奥にいくと、地域の墓地があります。そこに車を止めて、岬の先端までいく散策道を歩きました。散策道は林の中や湿原を通ります。紅葉の終わりで、静かな心地よい天気でした。土曜日でしたが、朝も早かったためでしょうか、それともここはもともと人があまり来ないのでしょうか、誰にも会いませんでした。岬には休憩所があり、景観を眺めることができました。私は、海岸沿いの地層が見えないかと期待していたのですが、線路の上の崖にあたるため、コンクリートが巻かれていて、地層をみることはできませんでした。
 次に、海岸へ向かいました。判館舘の海岸へ向かうには、国道235号線(浦河街道)から、新冠川沿いの道に入ります。道を奥まで行くと、行き止まりになっていますが、そこから歩いて海岸へいけます。海岸では、崖があり露頭が見られます。ただし、JRの線路を越えて海岸に出ることになります。鉄橋の下を通ることもできますが、今は鉄道が運休中なので、線路を横ぎる踏み跡もあります。そこを越えていくと、崖をくり抜いたトンネルがあります。
 線路を越えているとき、トンネルを通り抜けてくる人がいました。声を掛けると、この線は復旧の見込みはなさそうだといいます。トンネルを通り抜けて釣り人がしょっちゅう通っており、向こう側も釣り場となっているとのことです。ただし、今日は誰もいないとのことでした。
 私もトンネルと通り、向こう側にいきました。しばらく線路を歩きましたが、ここの線路も波に洗われて浮いているところ、曲がっているところなども見えました。それれ加えて、使われなくなって雑草が生い茂る線路は、侘しさを一段と増しました。私は、線路をあることで、判館岬の上からが見ることができなかった崖を間近に見ることができました。ただし、地層自体は海岸からのほうがよく見えます。
 新冠は、泥火山が有名で、以前このエッセイでも紹介しました。今回は海岸の地層を見ました。海岸は、急な崖になっています。線路も崖の脇を海岸を通ったり、トンネルを通ったりします。新冠ではこの付近だけが険しい地形となっています。海の波によって侵食されて、海食崖と呼ばれるものになっているためです。
 侵食された崖のおかげで、地層をよく見ることができます。1300万年前(中新世中期)に海底で堆積したもので、元神部(もとかんべ)層と呼ばれるものです。それほど硬くない堆積岩です。一枚一枚が厚い地層になっています。ほとんどが、礫岩や砂岩からできています。斜交葉理が発達する礫岩から砂岩の層、平行葉理のある砂岩の層、厚い砂質礫岩の層などが見られます。この地層は、日高山脈が上昇したとき、山脈から運ばれてきた土砂が当時の扇状地から沿岸で堆積したものだと考えれれています。
 ここの地層は、ほぼ垂直に立っています。地層はもともとは水平に溜まってきます。日高山脈の上昇にともなって、周辺地域では、地層にいくつもの褶曲ができました。その褶曲で、ここでは直立しているところに当たります。
 新冠川沿いの道には、ユースホステル(ファンホース新冠)があるのですが、現在は閉館しています。卒業研究で静内川上流を調査しているとき、原付バイクで何度か往復したので、長い時間かかりました。その行き帰りには、このユースホステルをよく利用させていただきました。さらにその奥には、新冠町日高判官館青年の家があります。なつかしさもありましたが、高速道路が伸びたので、新冠も近くなり、判官の見たかもしれない地層が非常に近くなったという感慨がありました。

・カメラ・
新冠川の河口では、釣り人以外にも
定期的に来られている方がいました。
私が車に戻ったき、
超望遠レンズをつけたカメラを持った人にも会いました。
その方から、鳥ですか、と聞かれました。
私も露頭写真を取るために
一眼レフカメラをぶら下げています。
そのために聞かれたのでしょう。
そしてこの地が鳥の撮影にいいのでしょうか。
私は、景色です、といいました。
ここには自然が豊富に残っているところです。

・サケの遡上・
サケの遡上がまだ続いているようです。
この時期、大きな河川沿いを歩いていると、
大きな魚が跳ねます。
新冠川の河口でも大きな魚がはねていました。
また、静内川の中流にもいきましたが、
そこでも大きな魚なの影がみえるところがありました。
またサケが遡上し産卵しているようです。
新冠川も静内川も上流に大きなダムがあるので、
あまり上流にはいけないはずですが、
どこからの支流で産卵しているでしょうね。

2018年10月15日月曜日

166 青空と赤い黒岳へ

 台風の隙間を縫って、層雲峡から三国峠へいきました。青空があまりにきれいなので、黒岳の途中までロープウェイとリフトで登りました。非常に素晴らしい紅葉を見ることができました。帰りは台風の影響とかけっこになりました。

 9月末に大雪山の黒岳、層雲峡から三国峠にでかけました。自宅を6時頃に出発し、高速道路を経由して上川から層雲峡に向かいました。初日は層雲峡周辺から上流を見ていくつもりでした。9時頃には層雲峡温泉に着きました。抜けるような青空がきれいでした。朝早かったのですが、ロープウェイも運営していた(6時から運転していた)ので、青空に誘われて、黒岳に上がってみることにしました。
 ロープウェイの待合は、外国人観光客で一杯でしたが、次に来たロープウェイに乗ることができました。窓に近いところに位置取りできたので、限られた方向だけですが、窓にへばり付いて景色を眺めることができました。ロープウェイで黒岳の5合目まで上がって、リフトも動いていたので、それにも乗って7合目まで上りました。ロープウェイやリフトからの眺めは、特にリフトは林の中をひとりで眺めることができるので、この時期は最高です。木々は、紅葉の盛で、標高が上がるほど、紅葉が深まることが体験できます。青空と紅葉の色合いが、非常に綺麗でした。
 今回は、黒岳に登る予定はしていませんでしたので、7合目と5合目の周辺の景観をみるだけです。7合目では、紅葉だけでなく、以前来たときにはなかった「黒岳カムイの森のみち」というものができていました。この道は、2016年8月に完成したそうです。この道をしばらく歩ていくと「あまりょうの滝展望台」に着きました。赤石川にある「あまりょうの滝」と呼ばれるものが遠くに見えました。あまりに遠くて、感動はあまりなかったのですが、周辺の景観には感動しました。紅葉とともに、黒岳山頂への登山ルートはよく見えます。黒岳の裏側の崖がよく見えるのですが、黒岳はやはり山頂から周辺の景色を見下ろすところでしょうかね。
 これまでロープウェイから先のリフトは、冬のスキーのためなのでしょうが、夏場は観光用でもあり、黒岳に登ることが主だったのですが、「黒岳カムイの森のみち」ができたので、リフトで登ってきた観光に来た人たちでも、歩いて周辺の景色を楽しむことができるようになりました。ただし、この道は山を切り拓いた状態なので、沢やぬかるみなど自然に近い状態でつくられているので、山歩きに慣れていない人は、注意が必要です。私は楽しめました。
 さて、大雪山は、北海道の中央に位置する火山の集合体で非常の大きな地域を指しています。中央部に御鉢平(おはちだいら)と呼ばれる直径2kmほどの大きな火口があります。この火口は3万年前に大きな噴火でできたもので、その周辺に多数の山頂があります。これらの山々を巡る縦走路や周回ルートなどがあり、登山を楽しむための入山ルートにもなっています。
 このときの噴火によって、この周辺に大量の火砕流が発生し、熱い火山灰で埋められてしまいました。その結果、平坦な地形(雲の平)ができ、熱い火山灰が大量に溜まったところでは、溶けて溶結凝灰岩となりました。溶結凝灰岩は、長い時間をかけて、石狩川の流れによって侵食され、層雲峡付近では箱状の侵食地形になっています。層雲峡では、柱状節理として、奇異な景観となり、観光地になっています。
 この大雪山の火山の下には、噴火が起こる前に分布していた基盤岩類として日高類層群と呼ばれている地層があります。その中には、付加体で形成された地層が、石狩川の上流、三国峠付近に分布しています。それをみることが、2、3日の目的でした。
 初日の午後は、天候を伺いながら、石狩川の遡っていきました。それは、台風の影響が気になっていたからです。当初の予定では、1日目は層雲峡に宿泊し、2泊目は糠平で宿泊する予定にしていました。しかし、出発前日の天気予報で、台風24号は非常に強力なので、注意を促す報道が繰り返されていました。2日目の糠平の宿泊はキャンセルし、2日目も台風や現地の天候を見ながら行動することにしていました。三国峠の付加体の地質調査は、今回は予察とすることにしました。初日も石狩川上流でも三国峠付近までいって、露出状態を見ておくことにしました。天候次第では、2日目に来たルートである上川方面から帰ることも考えていたためです。
 2日目、時々雨がぱらついていましたが、荒れ模様ではなさそうなので、予定通りに、三国峠を通り、糠平へ抜けました。帯広から高速道路に乗ったのですが、日高の峠周辺では、激しい雨になっていました。石狩側に抜けると、雨は降っていませんでした。あとで知ったのですが、三国峠付近は、かなりの雨になっていて、私が通ったあとに通行止めになっていたようです。間一髪に通り抜けることができていたようです。
 現在は、天気予報の精度が上がっているので、警報にも説得力があります。近年、頻発する災害により、天気予報や出される注意勧告もわかりやすく改善されてきて、参考にしていくべきでしょう。今回の調査は、事前に予定変更で一泊分をキャンセルしたのですが、それでよかったと思います。調査にはいくらでも次がありますが、命や体はひとつです。命あっての物種です。予定変更しましたが、早目に行動していたので、青空に映える紅葉をみることができました。

・里の紅葉・
10月の半分が過ぎて、里でも紅葉が進んでいます。
木々の葉が次々と色を染めて、葉を落としていきます。
秋の深まりを感じています。
紅葉の落ち葉を利用する授業をしています。
毎年、学生と大学の林を散策しながら
秋の深まりを感じることができます。

・いくところは尽きず・
今年の地質調査は、天災によって、度々、予定変更をしています。
こんなこともあるのだと、受け入れるしかありません。
今年の中止は、山陰調査が一番大きなものでした。
大雪・三国峠の調査は、その代替として計画したものでした。
今回も、途中で断念しています。
懲りることになく、次は、道南と襟裳周辺の調査を予定しています。
講義の合間をぬっての調査なので、日程も限られています。
それでも調べたいところは、いくらでもあります。
日程さえ確保できれば、いくろとろは尽きません。