2005年9月15日木曜日

09 オホーツク海沿岸:丘陵と湖と湿原(2005.09.15)

 北海道のオホーツク海沿岸を車で走っていると、原生花園がたくさんあります。それこそ次々と出てきます。それに原生花園だけでなく、どうも似たような丘陵や湖、湿原が続いているように見えます。そんな景観に隠された謎を探ります。

 北海道のオホーツク沿岸は、流氷で有名です。しかし、それは冬のことです。春から秋にかけてが、やはり一番の行楽シーズンとなり、外での活動も活発になります。そんな時期に、私は北海道の北(道北)からオホーツク海沿岸にかけて調査に出かけました。それは、2004年の春のゴールデンウィークの頃と、秋の10月の渇水期の頃でした。
 そのとき、オホーツク海沿岸走りながら、海岸沿いに転々と湖や湿地、そして海岸に沿う丘陵が非常にたくさんあり、どことなく似た景観だと思いました。
 主だった湖を北から見ていくと、猿骨沼、ポロ湖、モケウニ湖、クッチャロ湖、コムケ湖、シブツナイ湖、サロマ湖、能取湖、網走湖、藻琴湖、涛沸湖、涛釣沼などがあり、知床半島へと続きます。そして湖周辺には湿地があり、原生花園もあります。丘陵も点々とですが、さまざまな高さのものがあります。
 なぜか、枝幸から雄武には丘陵はあるのですが、湖はありません。その他の海岸沿いには、丘陵や湖あります。この地域は、オホーツク海沿岸平野と呼ばれ、サロマ湖周辺はオホーツク海沿岸湖沼群と呼ばれています。
 丘陵には特徴があります。海岸線に沿って丘陵が延びているのですが、丘陵の上の面が平らになっています。そんな平坦面が丘陵には何段かあります。
 オホーツク海沿岸では、サロマ湖は大きくて有名です。サロマ湖は、東隣にある能取湖と共に、海につながった湖です。ですから、塩分を含んだ湖となり、汽水湖とよばれています。サロマ湖は、湖としては北海道では最大で、日本でも、琵琶湖、霞ヶ浦に次いで3番目に大きなものです。
 では、オホーツク海沿岸に、なぜ湖や丘陵が多いのでしょうか。それは、大地を構成する地質と運動、地球に流れる長い時間と関係があります。
 地球の表面には、風が吹き、雨が降り、川ができます。このような作用は、程度の差はありますが、大地全体におよぶ作用です。つまり、大地は常に浸食を受けているます。例えば、大地が変動で盛り上がったとしましょう。そこは丘陵や山地になります。もし、硬い岩石や地層でできていたら、地球時間で見ても、ゆっくりとしか侵食されず、丘陵や山地として長く維持されるでしょう。もし、軟らかい岩石や地層でできていたら、侵食を受けると短い時間で低くなっていくでしょう。
 丘陵や山地をつくる岩石や地層の性質の違い、つまり地質の違いと、長い地球時間によって、地形の違いが生まれていきます。地球の地形とは、このような地質、変動、時間がつくり出したものなのです。もちろんオホーツク海沿岸の湖や湿地も同じ作用でつくられました。
 大地の変動には、実はさまざまな規模のもの、そしていろいろ原因によるものがありますが、今回のような広域的な特徴をつくるには、大規模な変動を考えなければなりません。大規模な変動は、大地自身の変動によるものと、全地球的規模の気候変化によるものに分けられます。
 大地の変動とは、プレートテクトニクスに由来するような地球内部の営力によるもので、広域的な変動が起こります。地下深くに由来する変動なので、岩質の違いや、それまでの地表の状態と関係なく起こる大規模なものです。必ずしも水平に上下運動するとは限りません。大地が傾いて、なだらかな斜面ができることがあります。
 もう一つの全地球的に起こった気候変化とは、どのようなものでしょうか。地球時間では新しい気候変動として、氷河期とその後の温暖な間氷期の変動があります。氷河期には地表の水が氷として陸地に蓄えられます。そのため、海水が減り、海面が下がります。このような状態を陸から見ていると海が退いていくように見えることから、海退と呼びます。今から1万8000年前頃の氷河期の終わり頃には、最も海退が進み、海面は現在よりも100mほど低かったことがわかっています。
 その後、1万4000年前から6000年前にかけて地球は暖かくなり、海面は100mも上昇し、現在と同じような位置に達しました。しかし、一様に海面上昇が起こったのではなく、何度か海面上昇が止まった時期があります。
 1万1200年前から1万年前には現在の海面より45mほど低く、8000年前頃には現在よりも30mほど低い時期が続きました。
 また、日本の縄文時代にあたる6000年前ころには、海面上昇が最大となり、現在よりも4mほど海面が高くなりました。これを、日本では縄文海進と呼んでいます。平野によっては、100kmも海岸線が内陸に進入しました。その後も、海面は数mの範囲で3回上下していることがわかっています。そして現在は、比較的高い海面になっています。関東地方では、海面変動による約40万年前からの段丘面が読み取られています。
 海面の変動が止まっている時期には、海水の量は変わらないので、海岸線沿いでは侵食が起こり、波打ち際では平らな面ができていきます。その後別の海面変動が起これば、平らな地形も侵食されていくでしょう。大地の変動とは違って、海面変動は水平は地形を形成する作用です。
 さて、このような気候変化による海面変動と大地の変動とが組み合わさるとどうなるでしょうか。もし、海底に平坦面ができているときに、大地の変動でその海岸付近が盛り上がったら、そこには平坦な面を持つ丘陵ができます。海水による侵食は起こりませんから、平坦な地形は残されます。
 氷河期以降何度か平坦な面をつくる時期がありました。それと大地の上昇が加わると、何段もの平坦面をもつ丘陵ができます。このような海でできた段を持つ丘陵を海成段丘(海岸段丘ともいいます)と呼んでいます。オホーツク海沿岸は、海成段丘が発達しているところで、それが似た景観をつくっていたようです。
 もし段丘の面が硬い岩石でできていれば、なかなか侵食されません。川はできるでしょうが、海岸線には平野もできず、湖も湿原もできないでしょう。そのような地域が、枝幸から雄武の地域だったのです。
 もし段丘が比較的侵食されやすい岩石でできていたら、平坦面が消されながら、川ができ平野ができます。海に近いとことでは、川は海につながるでしょう。川は海に流れ込み、土砂も一緒に運びます。沿岸には沿岸流と呼ばれる海水の流れがあります。川から海に達した土砂は沿岸流によって海岸沿いに運ばれます。それが海岸に砂浜をつり、時には、湾を囲うように砂浜が延びることがあるでしょう。これが砂嘴(さし)と呼ばれるものです。ときには湾を完全に閉じ込めることもあるでしょう。これを海跡湖といいます。
 このような侵食、堆積の繰り返しが、オホーツク海沿岸の湖や湿原、原生花園をつくってきたのです。地球の気候変動、大地の運動、大地の地質、そして地球に流れる長い時間が、オホーツク海沿岸の景観を似させていたのです。

・サロマ湖・
サロマ湖には、いくつかの川が流れ込んでいます。
川の出口がサロマ湖で、サロマ湖自身は海につながっています。
サロマ湖は、現在は、両側から延びる砂嘴があるように見えます。
しかし、もともとサロマ湖は海跡湖で、
秋の渇水期には砂で海と閉ざされ、冬の間中、その状態が続いていました。
春になると、川の流量が増え、
東端の涛沸(とうふつ)付近で、海とつながるところができました。
人が暮らすようになると、サロマ湖の水面変動は何かとも問題となります。
生活や漁業を考えると、
常に海とつながっているほうがいいことになります。
かつては、地域の人たちは、毎年融雪期になると
砂を掘り、海とつなげていました。
しかし1929年、三里番屋付近を大規模に開けたところ、
これがうまく閉じることなくつながっていました。
その状態が現在にいたっています。
サロマ湖は、人が少し手を加えて、
海跡湖から汽水湖にしたものなのです。
自然と人間が作り出しか、地形なのです。

・サンゴ草・
道北からオホーツク海沿岸にかけて2度、調査に出かけました。
それは、春の調査を失敗したからです。
私の調査の方法は、河川沿いの川原や河口、海岸などで
砂や石の採集をします。
海岸は雪さえなければ調査可能なのですが、
川は条件を満たさなければなりません。
それは、川原があるかどうかです。
川原が見えていて、なおかつそこに行けなければなりません。
ところが、ゴールデンウィークの時期は、
札幌近郊の雪解けによる増水は、
もうだいぶおさまっているのですが、
道北では、雪解けの増水で、河岸いっぱに水がありました。
川原の石ころなど、ほとんど見ることはできません。
つまり、目的の調査をできなかったということです。
しかたがないので、秋の渇水期に再度出かけました。
その調査の最終地点が、サロマ湖でした。
時期はもう終わりに近かったのですが、
サンゴ草の真っ赤な花を見ることができました。