2023年5月15日月曜日

221 しまなみ海道:花崗岩の産状

 しまなみ海道を利用して、主に芸予諸島に分布する領家帯の花崗岩類を見てきました。瀬戸の島々には、それぞれに特徴があります。しかし花崗岩の島という共通点もありました。



 4月下旬に、しまなみ海道を使って、愛媛から広島へ野外調査に出ました。しまなみ海道は、鉄道は走っていません。本州と四国を結ぶ列車は、香川県坂出と岡山県倉敷をむすぶ、瀬戸中央自動車道の下を通る瀬戸大橋線です。そこは何度か通ったことがあります。今回、しまなみ海道をはじめて通りました。
 しまなみ海道のある愛媛の高縄半島と、瀬戸大橋のある香川と児島半島は、海が狭くなっています。ここだけでなく、瀬戸内海の地形は不思議な特徴があります。島の多いところと少ないところが、はっきりと分かれています。海が狭くなっていて「瀬戸」と呼ばれ、島が少ないところは「灘」と呼ばれています。
 島の多いところは、西から、防予諸島、芸予諸島、塩泡諸島、備讃諸島となっています。島が少ないところは、西から伊予灘、斎灘(いつきなだ)、燧灘(ひうちなだ)、播磨灘となっています。しまなみ海道は、大小の島が多数あるため、至る所に瀬戸があります。この瀬戸は海流が激しく、航海の難所となっています。
 さて、今回の調査の目的は、花崗岩類を見るためです。瀬戸内海沿岸から中国地方にかけて花崗岩類が広く分布しています。瀬戸内海での花崗岩の分布は不思議です。瀬戸内海の島は大部分が花崗岩からできています。瀬と灘が繰り返していているということは。花崗岩が広く、たくさん分布しているところが瀬で、花崗岩がないところが灘になっています。
 花崗岩は、大陸や列島をつくる岩石ですが、マグマが地下深部でゆっくりと固まった深成岩です。もともとは地下深部にあった岩石が、地表に出ているということは、上にあった表層の地層や岩石が大量に侵食されたことになります。そのためには、長い時間での侵食が必要になります。中国から瀬戸内は、古い岩石からできていますでの、激しい侵食があったことになります。
 さらに不思議なことは、四国の形が、瀬戸内海に花崗岩が瀬戸として分布しているところに対応して、海側にでっぱった地形になっています。防予諸島と芸予諸島の南側には足摺岬が、塩泡諸島、備讃諸島の南には室戸岬があります。四国の西部と東部が海にでっぱり、四国中部はくぼんでいます。四国の東西側は、豊後水道と紀伊水道と切れ目があります。
 このような特徴的な地形は、地下深部の地質が反映していると考えられます。多分、地下深部に花崗岩が広がっているところが、でっぱりとなり、あまり広がっていないところがくぼみとなっていのではないでしょうか。花崗岩は他の岩石(海洋地殻やマントルの岩石)と比べると、密度が小さくなっています。そのため、地下に花崗岩があれば、上昇する条件ができます。
 ただし、四国の中央部と東西に走る大断層である。中央構造線や仏像構造線があり、地下まで伸びているはずなので、それらと花崗岩の関係がどうなっているかも重要でしょう。
 さて、ここまで大局的で推測の話でしたが、次は花崗岩の調査の中で、いくつか興味を惹いたことがありました。石と人、そして10mほどの小さい露頭です。
 人が石(花崗岩)と密接に重なり合って生きているということです。花崗岩は、古くから石材としても利用されています。それは運搬しやすい島や海沿いの露頭が有利で、昔から今でも、石材採掘場が島々にはあります。花崗岩で風化に弱いところは、真砂化して白砂になってなだらか地形になります。風化に強い部分は、急な傾斜の地形となります。例えば尾道では、花崗岩の山から露岩がでている急な斜面になっています。海岸沿いには、少しの平野に広がっています。平野には住居や海運、造船の施設が密集しています。それでも人が生活するには足りないので、急斜面にも住居やお寺があります。有名な千光寺も、大きな花崗岩の岩を取り込んで建てられています。
 もうひとつ興味を惹いたのは、大久野島でみた露頭です。大久野島は周囲4kmほどの小さい島ですが、かつては日本軍が要塞化していた島です。広島や呉などの施設を守るためにだそうです。毒ガス工場の後や施設もありました。そこに花崗岩の切り立った10mほどの平面の露頭がありました。人が切り開いとところでしょうか。
 露頭は、花崗岩からできていますが、貫入岩がいくつかあり、その関係が面白かったです。
 粗粒の花崗岩の中に、細粒のデーサイトの岩脈が何本も貫入していました。地下でゆっくりと固まり冷えた花崗岩に、水平方向に40から50cmほどの幅のデーサイトが貫入していました。その貫入岩が冷えたあと、ほぼ垂直に、10から20cmほどの幅で、途中で枝分かれしたデーサイトと、数cmほどの細いデーサイトが貫入していました。
 このような貫入の後先が、なぜわかるのでしょうか。まず、岩石の結晶の大きさは、ゆっくりと冷えたマグマは粗粒になります。冷たいところに貫入したマグマは細粒になります。冷えた岩石に接する部分は、急冷され、結晶もできないガラス状(急冷縁といいます)になります。岩石は比熱が大きいので、熱が伝わりにくく、内部になっていくと温度が保たれ、結晶が大きくなってきます。しかし、深成岩ほどには大きな結晶となりません。また、細い貫入岩同士では、後の岩石が、先の岩石を通り抜けます。その通り道は割れ目(断層)なので、前の貫入岩が割れたように見えます。そして割れ目には急冷縁ができます。このような岩石同士の産状から、前後関係を読み取ることできます。
 雨の降る中でしたが、露頭の産状を観察して、貫入関係を読み取っていました。この露頭は、貫入関係を考えるのに適したものになっていました。

・水軍と海賊・
戦国時代には村上水軍と呼ばれる
海の民が暮らしていました。
因島(いんのしま)、能島(のしま)、
そして来島(くるしま)に分かれていました。
水軍は、もともとは「海賊」といっていました。
略奪もやっていたようですが、
瀬戸を通るときに通行料を徴収し、
従ったものは、無事に通行させたり
案内についたりしていたようです。
しまなみ海道には、
村上海賊の城や博物館もあり、
当時の様子を知ることができました。

・村上海賊の娘・
大島で村上海賊のミュージアムがあり、見学しました。
入口のモニュメントに「村上海賊の娘」の石碑があり
小説のことを、ふと思い出しましたた。
「村上海賊の娘」という小説は、
以前からこの本は知っていたのですが、
村上海賊の本拠地が
小さな能島であることははじめて知りました。
島は、瀬戸の中にあり、
潮流が激しく、島全体が要害とでき、
守りやすかったようです。
そんなことを知ったため、
小説を買って読みはじめました。