2010年3月15日月曜日

63 日向岬:節理の摂理

 日向灘に突き出た宮崎の日向岬には、柱状岩とよばれる絶壁があります。似たような産状を示す岩石は、近隣の海岸にもあります。柱状岩とはいったいいかなる起源なのでしょうか。そこに、不思議な摂理が働いていることを教えられました。

 宮崎には、白砂青松というべき砂浜と険しい岩礁の海岸が混在して、あちこちにあります。中でも、日向岬は、海岸の絶壁とその産状が見事なことで、観光地になっています。日向岬は、日豊海岸国定公園の南端にあたるところに位置しています。日南市街からみると東側に突き出た岬です。
 日向岬を昨年の秋に訪れました。目的は、「馬の背」や「クロスの海」で見られる「柱状岩」と呼ばれる岩石をみることでした。「柱状岩」は、日向岬の海岸の絶壁をつくっている岩石の形状が、字のごとく、岩石が柱を連ねたように見えるから呼ばれています。
 岬の先端に向かう途中には、岬を切り刻むように4箇所ほど海が切れ込んで、いるところがあります。先端から2箇所目の切れ込みが、「馬の背」とよばれているものです。幅10mほどのなのですが、切れ込みの長さが200mもあり、絶壁の高さが70mもあります。その絶壁が、「柱状岩」からできています。岬の先端に行くためには、海の切れ込みを横目で見ながら、馬の背のように細くなったところを、歩いていくことになります。
 岬の先端には、柵があり、海や絶壁を眺めることができます。9月の暑い日でしたが、岬の先端は風が通り、涼しく感じました。それより、風が強く飛ばされそうな恐怖感のためだったのかもしれません。それも含めて、日向岬は、なかなかの景勝地となっているのでしょう。
 「クロスの海」とは、海の切れ込みが直交していて、十字架に見えることから名づけられています。また、十字の左に、口がついているようにみえ、「叶う」という字にも見えので、願いが叶う「クロスの海」と呼ばれています。なお、ここは恋人たちが愛を叶えるところとして売り出そうとしているらしく、鐘が設置されていました。私は、一人旅で妻帯者なので、鐘は不要なのですが。
 日向岬の絶壁や海岸を景観を際立たせているのが、「柱状岩」と呼ばれている岩石の産状です。「柱状岩」は、地質学の用語でいえば、柱状節理に似た言葉です。では、柱状岩と柱状節理の違いとは何でしょうか。
 言葉の意味でとすれば、柱状岩は、定義されていない一般的な言葉ですから、柱を連ねたように見える岩というだけの意味しかありません。ですから、岩石の種類や成因は特定されていません。
 一方、柱状節理は、地質学用語として使われていて、ある成因のものに限定されて使用されることが多くなっています。マグマもしくは熱い火山砕屑岩が、ゆっくりと冷えたときにできる割れ目が、角柱状になったものを柱状節理といいます。地質学でも成因は特定されているわけではないのですが、火山砕屑岩も含めた広義の火成岩にみられる特徴的な構造の呼び名となっています。
 柱状岩は、そのようなくくりがないため、どんな岩石にも適用可能です。では、日向岬の柱状岩とは、どのような成因によるものなのでしょうか。
 それを説明する前に、宮崎の地質の概要をみてきましょう。宮崎は、北から秩父帯、仏像構造線をはさんで、四万十帯(北が四万十累層群下部、南が上部に区分)となります。それらの帯は、北東-南西の構造を持つ地質体で、砂岩と泥岩を主とする堆積岩からなります。
 秩父帯と四万十帯は、海洋プレートの沈み込みに伴って形成される列島を特徴付ける付加体というものです。
 宮崎の中央部の海側には、それらの地質体の上を覆って宮崎層群が分布しています。この宮崎層群は、砂岩から泥岩が900万年前から150万年前ころにかけて、海底にたまったものが、隆起してできたものです。
 宮崎の西端には、現在も活動している霧島、阿蘇などの活火山があります。また、少し前に活動し姶良(あいら)
 日向岬は、四万十帯の上部の分布域ですが、すぐ南側には宮崎層群が分布するような位置にあります。では、四万十帯だから堆積岩かというと、実はそうではないです。
 先述べたように宮崎の基本的な地質は、付加体と宮崎層群で特徴付けられますが、マグマの活動が起こっています。ひとつは、現在も続く阿蘇山、霧島などの新しい火山活動です。もう一つは、四万十の堆積時代よりは新しいのですが、現在の火山活動よりはずっと古い時代の火山活動です。
 付加体の分布地域には、マグマの活動が何箇所かで起こっています。このような火成活動は、九州だけではなく、西南日本の付加体全域にわたって似たような活動がみられます。ただし、その活動時代は付加体によって違っています。その理由は、沈み込みに伴っておこる火山活動が、前の時代に形成された付加体の中で起こり、次の時代の付加体は、より新しい時代の沈み込みにとって起こるためです。古い時代の火山活動は浸食されなくなり、地下深部で起こった深成活動が顔を出すようになっていると考えられています。、
 宮崎では、祖母山や大崩山(おおくえやま)、市房山、尾鈴山などがそのような火成活動によってできました。たとえば大崩山は、カルデラの上部が削剥浸食されて、火山の根っこの部分が見えているのだと考えられています。
 日向岬の柱状岩は、尾鈴山(南東の海にあったと今は亡き火山という説もあります)によるものだと考えられています。その火山は、厚さが900mにも達すほどの火山砕屑岩を噴出しました。熱い火山砕屑岩が、熱と自重によって一部が溶融して、溶結凝灰岩となりました。それが冷めるときに、割れ目ができます。これは、上で述べた柱状節理の成因そのものです。
 尾鈴山のマグマは、デイサイト~流紋岩質もので、火山活動の時期はまだ十分わかっていなのですが、2つの活動時期があり、いずれも溶結凝灰岩を形成したもので、溶結凝灰岩I、溶結凝灰岩IIに区分されています。溶結凝灰岩IIから1500万年前(1500±200年前)の年代がでています。
 尾鈴山のマグマは、貫入岩となっている深成岩も伴っており、日向岬より南にある地域でも活動の痕跡が残されています。その活動年代は、溶結凝灰岩に貫入しているので、より新しい時代となります。年代測定では、岩脈から1300万年前(1300±200年前)の得られています。平岩や美々津などの海岸にみられる花崗斑岩がその名残となっています。岩脈も、柱状節理をもっていることがあります。
 柱状節理は、同じ宮崎県で高千穂峡(GeoEssay 60)にもあって有名ですが、そちらは時代がだいぶ新しく12万から9万年前の阿蘇山の火山活動で形成されたものです。しかし、いずれも宮崎県の景観を特徴づけるものといえます。
 高千穂の柱状節理は、山奥深く静寂の中にあるためでしょうか、神々の降臨を思わせる神秘性をかもし出しています。一方、日向岬は、海岸の波風とその険しさによって、荒々しさを感じさせるものです。それは、大地の営みのダイナミックさを感じさせるものです。
 柱状岩は非常に広義の意味に使えるはずです。しかし、その実態は柱状節理でした。柱状節理のような並び立つ柱は、マグマの力を借りないとそうそうできないということを意味しているのでしょう。自然は多様で驚異に満ちています。しかし、自然には柱状節理に見られたように、それなりに摂理もあるようです。

・旅立ち・
先週は全国的に雪が降るような
荒れた天気となりました。
北海道も寒い日が続きました。
しかし、三寒四温のように暖かい日には
雪解けが一気に進み、
主だった道路ではアスファルトが
出るようになりました。
着実に春に向かっています。
今週は、長男の卒業式、
そして大学の卒業式があります。
別れと旅立ちの季節となりました。
旅立つ者が、それぞれの道で、それぞれの新天地で
新しい夢に向かって、実り多き日々を
過ごすことを祈っています。

・春を待つ・
いよいよ次回は四国からの配信となります。
何人かの方から、このメールマガジンの
継続のリクエストが来ています。
私も継続していく意思があります。
画像が転送できるかどうか少々不安ですが、
更新するつもりで作業は進めていきます。
また、配信できることを願って、
春を待ちます。
春浅き北国から、春深き四国に、
私の旅立ちの日も近づいてきました。