2024年3月15日金曜日

231 エッセイ休刊のお知らせ

 このエッセイは、今回で休刊とします。開始したときには、それなりの目的、経緯があり、その後、いろいろもあったのですが、とりあえず区切りとします。長らくのご購読、ありがとうございました。


 このエッセイは、「空と人の狭間から 大地を眺める」(Earth's View beteen Human and Sky)として、地質や地形に関する市民向けの月刊の読み物として発行してきました。2005年1月3日に「00 創刊特別号」で告知をしてから、このメールマガジンを発行することにしました。1月15日、「01 有珠山:好奇心と倫理」という最初の号を発行しました。以降、国内だけでなく、海外への調査に出かけている時も、毎月欠かすことなく、15日に発行してきました。
 メールマガジン発行のきっかけは、北海道地図株式会社から10mメッシュ数値地図を購入したことからでした。その時旭川にある会社を訪れ、いろいろと話をしている時、共同研究を進めることにしました。共同研究として、各地の地質のを、エッセイと画像をセットにして月刊メールマガジンとして紹介することしました。
 共同研究としては、当初1年間の予定でしたが、結局まる3年間、2007年12月まで共同研究として公開してきました。共同研究は終了したのですが、このエッセイは継続していました。
 このエッセイには、さらに前身にあたるものがありました。ERSDACとの共同研究として、衛星画像を利用した地質の紹介を、2002年1月から月刊エッセイ「宇宙、地球、人:地球:宇宙と人のはざまにて」を1年間発行していました。こちらはきっちりと1年で終わりましたが、このエッセイの3編は、「宇宙から見た地質-日本と世界-」(加藤ほか編, 2006)に掲載されました。
 いずれも、官庁や企業といち研究者との共同研究の可能への実証実験も兼ねていました。これらの経験から、いち研究者が努力すれば、継続的な科学教育が可能だという手応えをえました。そして、このエッセイが18年以上にわたって継続してきました。
 そして前回のエッセイでもアナウンスしたのですが、今回の231号をもって、休刊とすることにしました。幸いながら、このエッセイをいろいろな方が参考にされてきたので、サーバが継続できる2025年3月まで残すことしました。
 定年退職することになるため、サーバも終了となります。このサーバは個人所有なのですが、大学のドメインをもらっているので、大学の計算機室に置かせてもらっています。サーバそしてドメインも、これが2代目になります。自宅にも試行のためも、サーバを一台置いていたのですが、使用頻度が低いので、だいぶ前に停止しました。
 定年退職すれば、大学に預けていたサーバは終了しなければなりません。大学の定年退職のための準備(定活というそうです)として考えていました。サーバが停止してもいいように、ブログに同じ内容の文章は公開していました。ただし、大量の画像の公開はできないので、どうしようかと悩んでいました。
 このサーバには、毎日撮影している「身近な自然誌」もあります。それも終了することになります。以前は、大学の講義資料やレポートもこのサーバにおいていました。COIDV-19で、遠隔授業で公式に大学の講義用サーバができ、現在も継続しています。そのサーバ上にすべて移行したので、個人のサーバの必要がなくなりました。
 少しずつですが、サーバがなくなってもいいような状態に移行していきました。来年3月までサーバは継続するのですが、その区切りとして今回廃刊することにしました。前回のエッセイでも述べたのですが、退職時にサーバを廃止すると、ある時、突然サイトが見ることができなくなります。事前にアナウンスしていたとしても、気づかない人には、突然サイトが消えることになります。そのため、1年間、サーバに休止の表示をしてから、廃止することにしました。
さて、このエッセイは、終わりますが、外にも週刊エッセイ
Earth Essay 地球のささやき
があります。エッセイは6つの項目に区分しています。その中の「地球地学紀行」がありますので、今後は、GeoEssayの内容は、このエッセイの中で展開していきます。文字数が半分から3分の1くらいになり、画像もありませんが、よろしければそちらを参考にしていください。
 また、地質哲学の実践として月刊エッセイ
Terra Incognita 地球のつぶやき
を公開しています。
 いずれも。もともとはサーバで展開していたのですが、2025年4月以降は、サーバはなくなります。今後はブログにて公開していきますので、そちらをみていただくことになります。
 まだ、独自のドメインをもっていて、毎日ホームページを更新するようにしています。
Inspirations 地質学者のひとりごと
こちらは、残す予定です。新しいことは、こちらからアナウンスできるかと思います。これも、ブログに同じ内容を
https://geo-mono.blogspot.com/
に公開しています。
 これまで、長年のご購読ありがとうございました。

・ご購読ありがとうございました。・
長らくの、メースマガジンのご購読いただき、
ありがとうございました。
これからも、似た内容のエッセイは、
上記の週刊エッセイやホームページ、ブログで
細々とながら発信していくつもりです。
このエッセイが、どれくらい役立ったのかわかりませんが、
私にとってはいろいろと勉強になり、
論文のネタにもなりました。
いずれにしても、日進月歩のICT全盛の時代
すべてが移ろいやすい時代に、
長く続けることは重要ではないでしょうか。
そして終わることも重要です。
長い人生ですから、
いつかの区切り、終わりがきます。
不可抗力や事故などで、
突然終わってしまうこともありえます。
終わりを自身で区切りとして設定できるのは
幸せなことだと思います。
そして、このような終わりの挨拶が
誌面でできるので、喜ばしいことです。
繰り返しなりますが、
最後までお付き合いただき、
本当にありがとうございました。

2024年2月15日木曜日

230 十勝三股カルデラ:常にセンス・オブ・ワンダーを

 十勝三股カルデラは、10数年前に新たに認定されたものです。以前からカルデラの可能性は指摘されていました。新たな検討を加えて、確定されました。自然の中には、まだまだ未知のものが、隠されています。


 北海道は、地質学的に非常に興味深い地域です。野外調査で、同じところを飽きることなく、何度でもみていくことができます。昨年10月に、層雲峡から三国峠を下りました。その年ははじめてですが、このコースは、毎年のように通っています。
 三国峠から十勝側を眺めるのは、心地いいものです。峠を少し越えると、緑深橋の手前に、以前から駐車できる空き地はありました。そこは、側溝が深く、気をつけないと、車の底を擦ってしまうようなところでしたが、今では、駐車場ができています。そこから緑深橋まで歩けるように、ポールで簡易的な歩道ができていました。安心して歩いて景色を見にいくことができます。
 その橋からは、S字の優雅な松見大橋と、その向こうに十勝三股盆地の森林を見ることできる、絶景スポットになっています。ここを通るときはいつも降りて景色を見ています。今回は、10月だったので、高山では紅葉が終わりかけていましたが、十勝三股あたりは、まだ紅葉が残っていました。この大森林の場所が、十勝三股カルデラと呼ばれるところです。
 北海道は、日本は火山と山脈が連なる列島となっていますが、このような地域を地質学では「島弧」と呼んでいます。日本列島はいくつかの島弧が組み合わさってできます。北海道は、東北地域を形成している東北日本弧と千島列島から知床阿寒まで伸びる千島弧があり、それらが道央で衝突しています。島弧会合部と呼ばれる特異な地質場となっています。
 新生代後半には、北海道周辺において北米プレートとユーラシアプレートのプレート境界で、ジャンプが起こっています。このような地域は、北海道中央部以外ではみられることなく、地質学的に非常に特異で重要なところになります。
 新生代後半にプレート境界のジャンプは起こり、その時期に大規模な花崗岩質マグマの噴火も起こっています。花崗岩質マグマの噴火は、大規模なものも多くなります。大規模な噴火では、大量の火砕流や火山噴出物が放出され、遠くまで飛んでいきます。噴火したあとには、カルデラができます。
 十勝三股も盆地になっています。以前(1970年代)から、火山噴火によるカルデラの可能性が指摘されていたのですが、確定していませんでした。重カ異常の測定とその解析によって、15個ほどのカルデラがあることがわかってきました。そのうちのいくつかでは1 kmほどの直径の丸い陥没構造があります。
 十勝三股の盆地は、2008年の北海道大学の石井英一さんたちの共同研究で、「十勝三股カルデラ」だと提唱されました。
 新しく形成されたカルデラは、地形からすぐに見分けられるのですが、古いものになると存在がわかりくくなります。侵食で地形が不明瞭になったり、他の堆積物によって盆地が埋められたりしてわかりにくくなっていきます。
 十勝三股カルデラは、約100万年前(鮮新世以前~前期更新世)に陥没が起こって形成されました。しかし古い時代なので、浸食されて地形が不明瞭になっていき、盆地が湖となり、そこに堆積した十勝三股層ができて埋められていきました。そのため、カルデラの地形がわかりにくくなっていました。
 十勝三股盆地は、重力の異常が見つかっています。異常は、北東-南西方向に伸びた長方形(10kmx6km)をしていますが。その地域は、盆地を囲む外輪山の内壁(14kmx10km)があり、もともとカルデラがあったところと考えてよさそうです。
 地質学的にカルデラと確定するには、このカルデラ噴火で噴出した火山砕屑物との時代、量などと対応している必要があります。
 周辺に分布している無加(むか)溶結凝灰岩層、芽登(めとう)凝灰岩層、屈足(くったり)火砕流堆積物、黒雲母石英安山岩質軽石流は、分布、地層の厚さ(層厚)、噴出年代(約100万年前)、マグマの性質(花崗岩質マグマ)や鉱物の組み合わせや特徴など、さまざまな点で同じ火砕流だということが明らかにされました。
 また、大規模な花崗岩質マグマの噴火(プリニー式噴火)によってはじまり、降下火砕堆積物が降り、その後火砕流が発生しました。噴火当時の地形によって、北東方向には無加火砕流と留辺蘂火砕流が、南東方向には芽登火砕流が、南西方向には屈足火砕流が流れたことが、明らかにされました。
 今回紹介したように、地質学、あるいはすべての科学は、まだ途上です。自然には、未知のものがいっぱいあり、それを新発見をするチャンスはどこにでも常にあります。ふだん目にしている当たり前のものの中にも、不思議が隠されているはずです。自然の中に不思議を見つけられるかどうかは、それを見る人の問題です。常にセンス・オブ・ワンダーを持ち続けている必要がありますね。

・論文と著書を・
現在、大学は、後期の終わりで
在学生への成績評価と卒業判定などがあり
新入生にむけては入試の判定、
そして新学期の準備もはじまります。
教員は、時間が取れるので
集中して研究するチャンスとなります。
現在、論文の執筆と著書の執筆に
取り掛かっています。
論文に手こずっているため、
本の執筆が滞っていますが、
淡々と進めていくしかありません。

・休刊のお知らせ・
来年(2025年)の3月で大学を退職します。
その時に大学設置しているサーバも停止することになります。
このエッセイは画像と文章をセットにしています。
そのため、退職時、サーバの停止時が
エッセイの区切りとなるので休刊します。
以前は、退職でサーバの停止が、
エッセイの終了時期だと考えていました。
しかし、退職時に、サーバを廃止すると
ある時、突然サイトが見ることができなくなります。
事前にアナウンスしていたとしても
気づかない人には、突然サイトが消えることになります。
そこで、次回の3月号をもって休刊して、
1年間サーバにアナウンスを表示することにしました。
他にも理由がいつくかありますが、
詳細は次回のエッセイで紹介しよう考えています。

2024年1月15日月曜日

229 鳴門海峡:渦潮のできる海峡

 鳴門海峡の渦潮は、世界でも有数で、有名な観光地ともなっています。見る手段も、陸地、橋、船からなど、いろいろとあります。渦潮は、海水の運動によるものです。しかしその背景には、地形や地質の条件が関与しています。


 サバティカルの中の昨年の9月に、淡路島と鳴門海峡にでかけました。四国と近畿の間に淡路島があり、淡路島と四国の間に鳴門海峡があります。鳴門海峡は狭く、瀬戸内海への潮が出入りするとき渦潮ができます。狭い海峡は多くあるのですが、ここでは大きな渦潮ができます。その条件を考えていきましょう。
 渦潮の様子は、徳島の鳴門側からも、淡路島側からの陸地かも見ることができます。淡路島の鳴門岬へは、工事中で入ることができませんでしたが、「道の駅うずしお」から眺めることができます。壮大の規模の大鳴門橋の下に見えるのですが、どしても遠目に見ることになります。
 渦潮だけを見たい時は、遠すぎます。大鳴門橋(全長1629m)から見るのが、上から見下ろすことになり、一番よく見えます。しかし、自動車道なので、止まることはできないので、車から横目で見るだけです。
 渦潮は、船から見るのが、なかなか迫力があります。大潮の日からは、少し遅れたのですが、渦がよく見える時間帯を選んで遊覧船に乗りました。残念がら当日は激しい雨でした。遊覧船には室内の窓からだけでなく、外で屋根がついたのデッキがあったので、そこから見ることができ、写真も撮影することもできました。近くでみるのは迫力満点です。しかし、近すぎて全貌がみれないという難点もあります。
 徳島側からは、鳴門大橋の内部に「渦の道」があります。そこでは、歩いて橋の下の渦潮を見学することができます。以前にも来たことがあったのですが、再度、訪れました。真上から渦潮を見ることができました。
 今回は、渦潮を、各所で別角度から、何度もみることができました。
 そもそも渦潮とは、潮の満ち引きが原因です。そのため、一日に二回、干潮と満潮があります。つまり、6時間ごとに干満が繰り返されます。
 大きな渦潮ができる理由は、地形にあります。鳴門海峡は、1.3kmほどしかなく、狭くなっています。北側の播磨灘では深度200m、南側では140mで、海峡の深度は90mです。広いところから、狭いところへ、海水が一気に流れ込むと、ベルヌーイの定理が働きます。ベルヌーイの定理とは、広いところから狭いところにいくと、流速が速くなるというものです。また、海峡でも中央部で流れが速くなり、周辺部で遅くなります。このような水の流れの速度差から、海峡の岸に近いところで渦潮ができます。渦は、鳴門側は右回転の渦ができ、淡路島側は左回転の渦となります。一方、満潮時の渦潮は、鳴門側に左回転の渦が。淡路島側は右回転の渦ができます。いずれの渦も、海峡の下流側にできます。
 渦潮の最大直径は20mにも達します。乗った遊覧船のサイズの同じ程の渦潮ができます。船から見ると、かなりの迫力になります。
 さらに、大きな海水の運動が起こっています。
 満潮の時、紀伊水道からの海水が、播磨灘へ入ろうとしますが、狭いためため、海水の流れが速くなります。このときにも渦潮ができます。ただし、広い海から狭いところに海水が入ろうとするのですが、入りきれず、淡路島の東へ回り込み、広い大阪湾から明石海峡へ回っていきます。海水が、淡路島の西の播磨灘へ到着するのに、5、6時間ほどかかります。その頃には、鳴門海峡は干潮になっています。紀伊水道側に海水が引き込まれる条件になっています。播磨灘の海水が、一気に鳴門海峡に流れ込むことになります。
 渦潮には、異なった運動周期も関係しています。干満のサイクルは、月の引力と地球の自転によって起こります。月に位置は、満月と新月の時期には、太陽と月、地球が一直線になるため、最も月の引力が強く働きます。その時、干満のもっとも大きな大潮になります。大潮は、一月に二度起こることになります。その時期には、より大きな渦潮ができます。渦潮には、一日のサイクルと、一月にサイクルもあることになります。
 次に、サイズと時間スケールをより大きくして、地質学的に見ていきましょう。
 中央構造線が淡路島の南側、紀伊水道側を通っています。中央構造線の南側に海があることから沈降していることになります。四国や南紀では、中央構造線の南側には、三波川変成岩があります。しかし、紀伊水道側は沈降していて、どのような石が分布しているかはわかりません。ただし、淡路島の南にある小さな沼島には、三波川変成岩が分布しています。ですから、紀伊水道になっているところも、沈降しているのですが、三波川変成岩があることがわかります。四国と紀伊半島の地質は、央構造線の南側でも連続していることがわかります。
 瀬戸内海には、四国や本州の出っ張りがあったり、島が多くあり、海が狭くなる「瀬戸」があります。また、海が広がる「灘」があります。それらが繰り返されていることを、以前のエッセイ「221 しまなみ海道:花崗岩の産状(2023.05.15)」で紹介しました。その原因は、花崗岩マグマが上昇しているところが瀬戸になっているといいました。花崗岩は、地殻の硬い岩石(基盤岩といいます)が、地上近くまで上がってきているところです。
 その原理が淡路島にも適用できます。淡路島にも花崗岩が分布しています。その両側が大阪湾と播磨灘になって沈降しています。大局的に見ると、中央構造線の北側は、隆起域と沈降域が繰り返されています。瀬戸内海の灘と瀬戸の繰り返しは、地下深部の花崗岩の上昇を生んだのは、中央構造線による沈降上昇運動が関係しているはずです。そこには、どのような仕組みがあるのでしょうか。
 海峡の周辺の鳴門や淡路島は、リアス式海岸の地形となっています。リアス式海岸は、この周辺が沈降していることを意味します。大きく見ると、東から播磨灘と大阪湾が沈降域、備讃瀬戸、淡路島、和泉山地が隆起域となっています。中央構造線の北側で、四国から近畿まで、そのような上下運動が起こっているようです。大きな斜め横ずれ断層があると、沈降域と隆起域が交互に繰り返されるという現象があります。そのような仕組みが、中央構造線の北側に働いのでしょう。花崗岩があるところが隆起域になり、花崗岩がないところが沈降域になっているようです。
 干満には一日と一月のサイクルがあります。瀬戸内には、隆起の沈降のサイクルが、長い地質学的時間と大きな規模で起こっています。鳴門海峡の渦潮には、両方の影響がみられ、いろいろなスケールの異なった原因で形成されているのです。

・大学共通テスト・
先週末に大学共通テストが実施されました。
我が大学も、試験会場になっていました。
2日間、かなりの雪が降ったのですが、
除雪がされていたので、
大きな支障もなく、無事試験は実施されました。
担当の試験室では、受験者の真剣な姿、集中している姿は、
監督者側にも緊張感がひしひしと感じます。
この時期は、大学では入試があるので、
そのような緊張感を何度も味わいます。

・論文ページ超過・
現在書いている論文の文章量が大幅に増えました。
投稿規程の制限の3倍の量となりました。
投稿規程を破ることになるので、
心苦しいのですが、
なんとか編集委員長と相談して、
載せてもらえないかと陳情しました。
検討するとのことでしたが、
3つに分けることにしました。
この雑誌に、1部掲載か2部掲載は
現在、相談中です。