2023年4月15日土曜日

220 城川の地質:黒瀬川のほとりにて

 愛媛県南西部に位置する西予市に滞在しています。2010年にもサバティカル(研究休暇)で1年間滞在したのですが、今回は半年間を過ごします。滞在地でもある城川とその周辺の地質の概要を紹介しましょう。


 11年ぶりに西予市城川町に戻ってきました。サバティカルという大学の研究休暇の制度を利用して、4月から半年間、この町で過ごすことになります。できれば、1年間滞在して、季節や地域の行事など一周り堪能したかったのですが、大学の制度なので仕方がありません。前回は単身赴任でしたたが、今回は夫婦で滞在することになりました。西予市の城川支所の3階の部屋を借りて執務しています。
 家内は、2度ほど城川に来たことがあったのですが、もうかなり昔のことなので、ほとんど覚えていません。道などは全く覚えていないので、今回がはじめてのようなものです。半年間、車を借りているのですが、私は徒歩で通勤しているので、主に家内が車を使うことになります。家内は、店がある隣町までの道、執務室がある城川支所までの道などを覚えるのに、時間がかかっていました。北海道はまっすぐな道が多のですが、本州それも山里では、曲がりくねった道が多くなります。方向感覚が狂ってしまい、間違ったところを曲がってしまうこともあります。そのため、曲がるべき角の目印を見つけて覚えることが重要になります。さすがに2週間ほどしたら、家内もいつも通る道は覚えたようです。
 さて、前置きが長くなりました。地質調査には4月下旬には予定をしていますが、まだ調査には出ていません。そこで今回は、滞在している城川町を中心にした地質の概要を紹介していきましょう。
 城川町は、市町村合併で西予市となったのですが、古くから地質学では有名なところです。城川地域には、秩父帯と黒瀬川帯の地層が分布しています。この2つの帯の地層は、日本の初期地質学の発展の一翼を担ってきました。
 日本の地質学の黎明期から、秩父帯は四国でも調べられていて、1890年には原田が高知県領石、蔵法院、佐川の周辺の化石を、1891年には横山が徳島県勝浦川盆地の化石を調べています。そして、1910年には地質調査所から四国の20万分の1の地質図が発行されています。
 1920年代になると四国の各地で調査が進められました。1930年代になると小林の一連の研究で、佐川盆地でナップという考えで秩父帯の構造を説明し、1941年には、日本列島の地質構造の形成史を、佐川造山輪廻説としてまとめました。これは日本における、地向斜造山運動論という考えにおいて、ひとつの到達点ともなりました。
 1940年代は、戦争の影響で成果はあまり出ませんでした。終戦後すぐに、地質調査が再開され、精力的に研究が進められてきました。1950年代になると、1956年には市川ら、1959年には中川らが黒瀬川帯を調べました。1954年には山下らは、四国をもとにして秩父帯を北帯、中帯、南帯に区分しました。
 城川の黒瀬川帯に関する研究は、1933年に清水と神保によって城川町田穂から三畳紀のアンモナイトが、1952年に石井によって城川町岡成からシルル紀の三葉虫が発見されました。そして、1950年代には、城川を流れる黒瀬川地域が調べました。市川らの一連の研究によって、城川と野村が「黒瀬川構造帯」の典型的な地域(模式地といいます)として報告され、城川の「黒瀬川帯」の研究も進められてきました。この黒瀬川帯、特に黒瀬川構造帯が、城川を際立たせる地質学的特徴となっています。
 黒瀬川帯の中に黒瀬川構造帯はあります。その岩石類は、黒瀬川帯の岩石と比べて異質で、より古い岩石からできています。古生代の初期から中期の岩石で、火成岩類(三滝火成岩類と呼ばれています)と変成岩類(寺野変成岩類)、堆積岩類(岡成(おかなろ)層群)からできています。
 三滝火成岩類は、花崗閃緑岩類からなり斑レイ岩類を含んでいます。寺野変成岩類は、高温高圧の変成作用を受けた片麻岩、角閃岩、角閃岩からなり珪質片岩や石灰片岩を含んでいます。両岩石類は、大陸の地殻を構成していたと考えられます。岡成層群は、シルル~デボン紀の地層で、火山活動の活発な大陸の近くの暖かい浅海で溜まったものです。
 黒瀬川構造帯の岩石は、古生代に、大陸をつくっていた岩石やその周辺の大陸棚でたまった岩石となります。その分布は連続したものではなく、東西方向に複数の列をなして点在しています。四国では、東から点々と城川の滝山-辰ノ口-岡成まで分布しています。ところが、野村から三瓶の海岸までの間、約25kmにわたって黒瀬川帯の岩石が途切れます。そして、三瓶町周木で再び出現しますが、その先は豊後水道に消えていきます。
 黒瀬川構造帯以外の黒瀬川帯は、中生代の新しい時代に形成された付加体と大陸棚堆積岩からできています。付加体は、ペルム紀末~中生代初頭に形成されています。黒瀬川構造帯の北縁に分布する長崎層群、野村層群、窪川累層になります。
 大陸棚堆積岩は、礫岩層を含む粗い堆積岩や珪長質凝灰岩を挟む地層(砂岩泥岩互層)で、大陸から由来した堆積物(陸源堆積物と呼びます)からできています。宮成層群、土居層群、川内ヶ谷層群、嘉喜尾層群、成穂層があります。礫岩には、花崗岩、珪長質火砕岩類、石英斑岩、ヒン岩、砂岩の丸い大きな礫が含まれ、川で運ばれたことがわかります。地層の中からは、ペルム紀、三畳紀、ジュラ紀の化石が見つかっています。
 秩父帯は、黒瀬川帯で二分され、北側を北帯、南側を南帯(三宝山帯とも呼ばれています)となっています。いずれも付加体でできました。
 秩父帯北帯は、付加体の中の岩石には、石炭紀、ペルム紀、三畳紀、ジュラ紀などの岩塊がありますが、付加した年代は中期~後期ジュラ紀となります。秩父帯南帯は、前期~中期ジュラ紀に付加したものです。上には後期ジュラ~白亜紀の浅海性の地層が覆っています。野村では、野村層群、高川層群、古市累層、今井谷層群、菊野谷累層に区分され、宇和-三瓶地域では、板ケ谷層、三島層、田之浜層などに細分されています。
 秩父帯北帯も南帯もジュラ紀の付加体できていて、黒瀬川帯の付加体と比べて、新しい時代のものになります。
 城川の中央には東西に黒瀬川構造帯と黒瀬川帯が走り、その南北に秩父帯があります。これが城川の地質の概要となります。城川にはその中を流れる川があり、黒瀬川となります。城川の川津南の高知との県境の山を源流として、城川を流れ、野村の坂石で本流の肱川に合流します。黒瀬川が黒瀬川構造帯の名前の起こりとなっています。黒瀬川のほとりで、これから半年間、暮らしていきます。

・第二の故郷・
久しぶりの城川町は、やはり居心地がいいです。
昔からの知人もいて、新しく知り合った人もいます。
北海道から来ても、馴染みやすく、親近感が持てる環境です。
山間であっても、住みよい環境に感じます。
何度も来ているので、戻ってきたという気がします。
城川は第二の故郷となっています。

・復習を兼ねて・
4月下旬にジオミュージアムで、
市民向けの講演を頼まれました。
このエッセイは、その準備のために、
過去の資料をひっくり返しながら
またいろいろ思い出しながら、
書き進めてきました。
お陰でいろいろと思い出してきました。