2008年12月15日月曜日

48 中央構造線の土砂災害:記憶と記録(2008.12.15)

 12月ともなれば、その年のことをいろいろ思い返してしまいます。今年は社会では、政治や経済がいろいろ話題になりましたが、私は自然災害が少ない年だったように感じました。人は、平穏な日々を過ごすと、その平穏さのありがたさを感じることがあまりありません。一方、特別なこと、異常や危険なことなどがあれば、記憶に残ります。ですから、平穏な時期は、たとえ異常が潜んでいても、気づかないことがあります。この記憶は、記録と一致するわけであはりません。もちろん。自然災害に襲われた地域や人は、今年は特別な年であったと記憶するでしょうが。

 気象庁の記録によれば、今年の台風の上陸はゼロです(正確には12月末を過ぎるまで決定ではありませんが)。確かに記憶をたどっても、大雨や集中豪雨のニュースはあったのですが、台風による被害のニュースは聞きませんでした。
 統計をみると、平年(1971年~2000年の30年間の平均)の台風は、発生数が26.7個、接近数は10.8個、上陸数は2.6個となっています。平年と比べると、今年は0個で上陸数が少なかったことになります。台風の発生数を見ても、21個と平年よりやや少なくなっています。台風の上陸がゼロという数は、1984年、1986年、そして2000年にもありましたが、はやり異常な記録といえます。しかし、記憶にはまったく残らない記録です。
 一方、2004年は記録的な数の台風が日本を襲いました。発生数は例年比べて29個とやや多いだけですが、過去の記録を見ると、もっと多い年がいくつもあります。最多は1967年の39個にも達します。ところが2004年は、接近数も19個、上陸数も10個となり、史上最多となっています。まだ記憶されている方も多いと思いますが、そのいくつかは、日本各地に大きな被害を与えました。
 2004年の前後の2003年(発生数21個、上陸数2個)と2005年(発生数23個、上陸数3個)は、通常の台風の数となっています。これは、気象庁が残している記録です。人の記憶にも、2004年の台風は残っていることでしょう。しかし、記憶は、記録と必ずしも一致するわけではありません。
 2004年は、多く台風が上陸したので、各域で被害がありましたが、たぶん多くの人も台風の被害を記憶しているでしょう。私は本州でその被害を目の当たりにしました。ですから、この年の台風は記憶に焼きついたものとなっています。
 私は夏過ぎにたいてい四国の愛媛県西予市城川町に調査に出かけます。2004年の9月にも城川に出かけていました。私が行った9月のはじめまでに、四国を襲った台風は、すでに5個にも達していて、多くの被害を出していました。
 なかでも台風16号は、四国に大きな被害を与えました。この台風は大型で、しかもゆっくりと移動していたため、大量の雨による洪水、風による被害も大きくなりました。私が訪れる直前に、この台風16号が四国西部を襲いました。台風16号は大量の雨が降ったので、予想外の土石流の発生が各地で起こりました。四国の瀬戸内海側の山間部で大きな土砂災害を出しました。城川周辺各地でも、土砂災害の被害を出していました。
 土砂災害には、地すべり、崖崩れ、土石流があります。中でも、土石流は土砂災害の約75%を占めます。台風時には、海岸では洪水や強風、高波を注意をするのですが、傾斜地や山地では土砂災害に注意が必要です。傾斜の急な沢ぞいにたまった岩石や土砂、砂礫が、豪雨、地震、融雪などによって、周辺の木などをまきこんで、一気に流がれ下るのが土石流です。水の中にさまざまな大きさの岩石や木を含んでいるので、単なる水害と比べて被害が大きくなります。
 土石流は非常に危険なので、国土交通省の河川局が、土石流の危険性がある地域を「土石流危険渓流」として指定しています。全国で18万カ所以上にもなります。野外調査をしていると、急な河川でが「土石流危険渓流」と書いた看板を見かけることがあります。
 2004年の台風16号による土石流の被害を、土木の専門家が調査しました。その報告では、もともと四国の瀬戸内側の山岳地帯は、表土が薄く土石流の発生の危険性が高いということを伝えてました。なぜ、この地域で表土が薄く土石流の発生しやすいのかを、地質学的に見ていきましょう。
 まず、表土についてです。表土は、硬い岩盤の上を覆う固まっていない層のことをいいます。表土は、砂礫だけのこともありますが、多くの場合は、岩盤が壊れた砂礫の層の上に、植物が分解された層(土壌)が形成され、両者が表土を構成しています。
 表土の厚さは、その地の岩盤となっている岩石の種類、岩盤の傾斜、風化を受けていた期間、その地域の気候・風土など、さまざま条件が複雑に関係しています。しかし、岩盤の性質が、表土の厚さを決める一番大きい要素だと考えられます。
 岩盤が固い岩石だと、岩石が壊れにくくなり、表土は形成されにくく薄くなります。また、硬いが崩れやすい岩盤でも、表土ができてもすぐ崩れてしまうので、厚くなることなく、薄いままになります。
 四国の地質を考えていくと、四国山地の太平洋側には、四万十層群と呼ばれる堆積岩からできている地層が発達しています。硬い岩石ですが、日本列島にプレートテクトニクスによって、海側から付け加わった付加体と呼ばれるもので、海に向かって傾斜しています。
 四国の中央山地から瀬戸内側にかけては、南から秩父(ちちぶ)帯、三波川(さんばがわ)帯、和泉(いずみ)層群という地質帯が、東西に伸びて並んでいます。和泉層群の中には領家帯の花崗岩や変成岩が入り込んでいます。
 それぞれの帯の境界には、大きな断層があります。四万十層群と秩父帯の境界は、仏像構造線という大断層があります。秩父帯の中には、やはり東西に伸びる黒瀬川構造帯という断層運動でつくられた地帯があります。秩父帯は黒瀬川構造帯より南側を、三宝山帯と呼ぶことがあります。秩父帯と三波川帯の間には、御荷鉾構造線という大断層があります。三波川帯と和泉層群あるいは領家帯の間には、有名な中央構造線があります。
 それぞれの断層は日本でも第一級の断層で、断層周辺の地層は、変形を受けて、壊れやすくなっています。また、四国の瀬戸内海の山側には、三波川帯が分布しています。三波川帯は変成岩からできています。高い圧力によってできたタイプの変成岩で、ぺらぺらとはがれやすい結晶片岩とよばれる岩石を主としています。そこに断層によって、より崩れやすい岩石になっている考えられます。結晶片岩が表層に出ている地域は、表土が崩れやすく薄い地域になっていると考えられます。
 三波川帯では、一般的に表土とその下の岩盤とでは、物質の性質がかなり違います。表土の底には、砂礫があり、雨が降るとそこまでは水がしみ込みますが、岩盤は硬い岩石なのではなかなかしみ込みません。そのため表土中に水が溜め込まれることになりますが、表土が薄い地域に大量の雨が降ると、水は表土の底を流れ始めます。すると、表土自体が不安定になり、土砂崩れや土石流などの土砂災害となります。
 台風によって短時間に大量の雨が降りました。その結果、四国の瀬戸内海の山側で、各地で土石流がおこり、各地で被害を出したのでしょう。被害は、このような地質の背景によるものだと考えられます。
 私の四国滞在中にも、台風18号の襲われました。激しい雨と風の中を車で移動した記憶が鮮明に残っています。この台風18号は、北海道にも上陸し、北海道大学のポプラ並木が倒れたり、積丹半島でも高潮によって大きな危害がありました。積丹半島には、被災直後に訪れました。この体験を、本エッセイの「07 積丹半島:シャコタン・ブルーの海に抱かれて」
http://terra.sgu.ac.jp/geo_essay/2005/07.html
で紹介しました。参考にしていただければと思います。
 2004年は台風の最多上陸数ですが、その記録は、私にとっても、多くの被害の記憶となって重なっています。ところが私には、2004年だけでなく、2003年も台風に対する強い記憶があります。それは、2003年にも、台風の被害をいくつか身近に感じたためです。
 2003年の9月、台風10号が四国を襲う直前まで、私はやはり城川にいて、台風に追われるように北海道に戻ったことがありました。その台風10号によって、城川では2人の死者を出しました。そのうちの1人は、城川に住んでいる友人の同級生でした。帰宅後その連絡を聞いて、自分の身近なところで、台風の犠牲者がでたことに驚きました。
 さらに2003年には、台風が北海道を上陸し、各地で被害を出しました。しばらく後に、私は台風の被災地である鵡川に行きましたが、その感想は「地球のつぶやき」の「22 災害と倫理:北海道の被災地を調査して」
http://terra.sgu.ac.jp/monolog/2003/22.html
で紹介しました。
 2003年と2004年は、私にとっては、台風の被害が強く記憶されている年です。2004年の台風の被害は全国に及ぶのですが、2003年のものは北海道や、四国の限られた地域で起こり、たまたま経験したものでした。大きな台風、多数の台風は、多くの地域で被害を出します。被災地では、その台風は強く人の記憶に残されます。少なければ、限られて人にだけにしか記憶されません。私は、その両者が2年にわたって記憶されています。
 台風だけでなく一般に自然現象は、人に与えた影響の程度と回数によって記憶になっていくのでしょう。記憶は、数や統計とは必ずしも一致しません。さらにいえば、幸運にも自然災害がないという記録は、たとえ歴史的に珍しいものであったとしても、記憶には残らないのです。
 でも、「平穏の記録は記憶に残らない」ということは、記憶しておくべきなのかもしれません。なぜなら、自然が与えてくるれ平穏は、自然災害より圧倒的に多くの時間と豊かさを与えてくれるからです。自然の平穏さなしには、私たちの生活が成り立たないからです。自然の恵みの感謝して、今年最後のエッセイを終えましょう。

・故郷・
私は、城川に、毎年のように通っていて、
1992年にはじめていって以来、もう16年目になります。
今年は、別のところに出かける予定があったので
城川にはいけませんでした。
家族で訪ねたことがあります。
2010年4月からは、大学の留学制度をつかって、
1年間、城川で暮らす予定です。
城川とは付き合いが、ますます深まっていきそうです。
私には、城川は第2の故郷のような気がします。
いつも来るたびにほっとした気持ちになります。
もしかすると私の本当の生まれ故郷が、
故郷らしくなくなったせいかもしれません。
私が生まれ育った京都は、開発が進んで、
子供のころに過ごした風物や自然は、
ほとんどなくなり宅地なってしまいました。
今でも、京都には母や弟が住んでいますが、
故郷に帰ったとしても、彼らに会うことが目的で、
周りの自然を懐かしく思うことはなくなりました。
城川は、私が生まれた町よりもっと山里で自然が残っています。
それが私の記憶の故郷と似ているのかもしれません。

・やり残し・
いよいよ今年も残すところあと少しです。
年末になると、今年を振り返ってしまいます。
今回のエッセイもそのようなものになりました。
私は、やり残したことがいろいろあります。
もちろんいくつかできたこともあります。
しかし、年の瀬には、なぜかできたことより
遣り残したことが頭に浮かびます。
これは、遣り残していることが
頭に常に付きまとっているからでしょうか。
でも、その多くは、自分の怠惰さや
努力の足りなさに由来するものです。
まあ、自業自得というものです。
でも、まだ、今年が終わったわけではありません。
まだ残された日々があります。
その日々を有効に使うためにも、
やり残しを少しでも片付けましょうか。