2021年7月15日木曜日

199 新発見の地:新鮮な驚きと違いの理由

 海外で調査をする時、もっとも典型的、目的にもっとも合った場所を選定します。日本の露頭と比べると、どうしても見劣りしてしまいます。そこには、違いが生じる、地質学的理由のあるのかもしれません。

 今回紹介するのは、まだ調査にでれていませんので、以前いったとこの話題です。カナダのニューファンドランドです。2度、訪れました。一度目は、恩師と二人で、カナダの各地でオフィオライト(ophiolite)を見てまわった時、ニューファンドランドにもいきました。二度目は、一人で、時代境界の地層や、カレドニア造山帯を見るためにニューファンドランドにでかけました。

 ニューファンドランドは、カナダの北東の大西洋にある大きな島です。英語では、Newfoundlandと表記します。Newfoundlandを日本語に訳すると「新しく発見された土地」という意味です。この地は、古くは「Terra Nova」(ラテン語で新しい土地)と呼ばれていたため、それを英語にしたものです。

 西暦1000年ころには、ノース人(ヴァイキング)が、すでに移住していたようです。その前にも、ベオスック族(Beothuk)と呼ばれる先住民がいました。北米大陸には、文字をもった先住民がいなく、狩猟や漁労の生活をしているため、遺跡も少なく、古い時代の解明が遅れているようです。

 中世の大航海時代にカボット(John Cabot)が、ヴァイキングの航路をたどりながら、1497年にカナダ東南岸のニューファンドランド島やラブラドル半島にたどり着いています。その少し前には、コロンブスが、1492年に中米のサン・サルバドル島に上陸しています。このようにヨーロッパの人たちによる北米大陸の再発見によって、北米大陸各地への入植をはじめました。ニューファンドランドにも入植者が入り込んだため、先住民は、漁労のための土地を奪われたり、争い、疫病などにより、激減しました。先住民のベオスック族の最後に一人は、1829年まで生きていた記録があるそうです。

 さて、ニューファンドランドですが、島といいましたが、本州の半分ほど、北海道の1.3倍ほどの面積を持っている広い島です。あれこれと目的をもって見ようとすると、移動距離が長くなるので注意が必要です。できるだけ一筆書きで進めるように目的を絞り、限られた時間で回る必要があります。

 恩師との見学では、ベッツ・コブ(Betts Cove)でオフィオライトを見学しました。幸いその時、調査している研究者がいたので、お願いして代表的なところを見せてもらうことにしました。そこはボートがないといけないところで、人も住んでいないので、その研究者は数人のグループでキャンプをして、長期間の調査をしてました。

 私たちが訪れたときは、残念ながら雨が降っていたのですが、ボートで海岸沿いの露頭と、陸地でも池の周辺で典型的なオフィオライトを案内してもらいました。海岸沿いはなんとか見学できる雨模様でしたが、陸地を見るときには、雨の降りも激しくなました。彼らのテントで小ぶりになるまで休ましてもらってから、回ることにしました。しかし、濡れた草むらを歩いて進むので、雨具をつけていたのですが、ぐっしょりと濡れてしまいました。夏だったので寒くはなかったのですが、全身が濡れたので意気消沈しました。

 オフィオライトは、このエッセイでは何度かでてきましたが、もとは中央海嶺で形成された海洋地殻が起源です。海洋地殻が海洋プレートとして海洋底を移動している時に、上に堆積した深海底堆積物も一緒にオフィオライトになります。海洋プレートは、通常は沈み込み帯でマントルに沈み込んでしまいます。しかし、特別な状態が出現すると、海洋地殻が陸側に取り込まれて、オフィオライトになります。

 日本列島のような沈み込み帯では、海洋プレートの一部が、陸側に剥ぎ取られるときに、断層により取り込まれる場合です。このようなオフィオライトは、断層によってバラバラになっており、変形も激しく、もとの火成岩の形成状況(産状と呼ばれます)や、もともとの岩石の並び(層序)が判別できなくなっています。このようにバラバラになったものは、ディスメンバード・オフィオライト(dismembered ophiolite)といいます。日高山脈や中国地方で調べていたオフィオライトは、すべてディスメンバード・オフィオライトでした。

 海洋地殻が陸側に大規模に乗り上げる場合があり、沈み込み帯に対して、オブダクト(obduct)することになります。このような地質体は、ナップ(nappe)呼ばる巨大な地質体ができます。ナップでは、比較的もとの層序が残されることになります。

 ニューファンドランドでは、恩師とともに、もともとの岩石の並び(層序と呼ばれます)でオフィオライトの下位にあるマントルの岩石や深成岩類は、テーブルマンウンテンなどで見ていました。ベッツ・コブでは、層序のより上位にあたる岩脈群、枕状溶岩、深海底堆積物の露頭を見学することにしました。

 深海底堆積物は、深海底で堆積した粘土岩や層状チャートになります。枕状溶岩は、玄武岩質マグマが海洋底に噴出したとき、丸い枕のような形状ができます。火山噴火が継続すると、次々と枕状の溶岩が積み重なっていきます。岩脈群とは、海底火山の溶岩を供給するためのマグマの通り道になったところが、噴出が終わると、マグマが岩脈になります。海洋底では継続的に噴出するので、岩脈群ができることになります。岩脈が並行しているため、海洋底が拡大している証拠にもなっています。

 ベッツ・コブの海岸でみたのは、いずれもまったく変形していない形成されたとき(初成といいます)のままの産状でした。日本では、変形が激しく、枕状溶岩の産状がみられるところは貴重なのですが、ベッツ・コブでは、露頭全体がほとん変形もなく、新鮮(風化していないという意味)な状態に見えました。もちろん、古い時代のものですから、変成作用は受けていて、もとの火成岩の造岩鉱物は変成鉱物に置き換えられています。そのことから、古い時代の海洋地殻でオフィオライトであることはわかります。

 深海底堆積物は赤色が特徴的なので、日本列島でもその色で識別しやすくなっています。その産状や層序は、大抵、乱れています。しかし、ベッツ・コブでは、その鮮やかの色合いと産状のなまなましさに驚きました。また、岩脈群や枕状溶岩の色こそ変質作用や変成作用で、玄武岩の色ではありませんでしたが、産状は初成のものが残されていました。

 日本でオフィオライトを研究していたのですが、産状や層序を復元するとに苦労していました。ここでは、産状も層序もきれいに残されいます。そんなことで悩む必要がないところを、非常にうらやましく思いました。その後、海外の産状のきれいなところを調べたいとも思い、各地を見て回ることになりました。

 しかし、最近では、地域や地質なによってそのような大局的な違いが生じているのは、なんらかの理由があるはずだと思うようになりました。なぜ、日本では、産状が乱されるのかを考えることで、その上昇メカニズムに違いあることがわかってきました。産状があまりに異なっていことが、地質学の本質的な違いに由来していることもわかってきました。より大きな違いの本質が、そこにはあったのです。


・野外調査へ・

北海道のまん延防止等重点措置が

今週から解除されました。

わが町、わが大学は、経過区域であったため、

先週から、対面授業が一部ですが復活しました。

研究活動として、道内であれば、

出張もできるようになりました。

5月下旬に予定していた調査を再度申請しました。

今年度から調査の2週間前に、

大学に届けるようにとの指示があるので、

明日(7月16日)からでかけます。

次回以降、新しい調査の様子を紹介できればと考えています。


・職域接種・

大学の危機管理レベルが下がったので

対面講義が一部復活しました。

私の場合、3つの講義が対面で実施できるようになりました。

これで、前期のスタートの状態に戻ったわけです。

前期は、この状態のままで終わります。

すべての講義が対面でできるようになるためには、

多くの人がワクチン接種を受けることでしょう。

職域接種を我が大学でも申請をしていたのですが、

本来ならば後期から対面授業が復活できたはずでした。

ところが、未だに国から連絡がないので、

いつ職域接種ができるのかも不明のままです。