2020年12月15日火曜日

192 イスア:束の間の体感

 グリーンランドのイスアに、20年ほど前に訪れました。長い道中と高い費用をかけたのですが、短時間の滞在しかできませんでした。しかし、その時に味わった体験や感動、記憶の強さは、時間に比例するものではないようです。


 北海道は新型コロナウイルスの感染拡大が10月末からはじまり、現在も継続し、12月11日までの集中対策期間が12月25日まで延長され、そして1月15日まで注意喚起が延長されました。我が家も自粛生活を継続することになりました。もちろん外に出かけることも最小限にしています。わが町でも、毎日のように感染者がでています。ウイルスが身近に飛び交い、危険性も迫っている気がします。今回も、以前訪れたところを紹介していきます。

 さて今回は、グリーンランドの話題です。名前を聞いたことも、どこにどんな形の陸地であるのかも、知っている人も多いでしょう。しかし、観光地ではないので、実際に訪れた人は少ないでしょう。私が訪れたのは2000年7月ですから、20年ほどの前のことになります。その時の記憶や記録をもとにお送りします。かなり昔のこと経験なので、現在とは状況がかなり変わっていると思いますので、ご注意ください。

 グリーンランドには、2週間ほどの予定をとってでかけました。目的は、ひとつのところを見ることでした。そこは、イスア(Isua)というところで、人家もないのですが、地質学では有名なところでした。

 氷に覆われているグリーンランドですが、人が定住しています。グリーンランディックと自らを呼んでいる、イヌイット(エスキモー)とも共通する人たちです。黄色人種で、私たちにも似ており、どことなく親しみがあります。彼らの多くは、かつては海岸沿いの地で、漁労や狩猟の生活をしていました。訪れた時には、国の政策によって、都市部の大きなアパートなどに定住するようになっていました。

 グリーンランドは、デンマーク領になっており、デンマークから白人が移住してきています。グリーンランドの冬は長く厳しいので、仕事も余り多くはなさそうです。ですから、夏にだけこの地で暮らす人もかなりいるようです。

 地質学を専門とする人は、グリーンランドと聞くと、地球でも古い岩石や地層などから、古い記録の発見の報告でよく聞く地なっています。中でも約38億年前にできた岩石が、イスアに分布していることも、地質学者ならよく知っています。地質学者は、デンマークからはもとより、世界各地からこの地を訪れ、夏の間を地質調査をして過ごす人がいます。地質学者ならだれもがこの地に興味を持っているでしょうが、実際にその地を短時間で訪れることは多くはありません。なぜなら、時間も経費もかかるからです。

 日本からは、北極周りでデンマークまでいって、そこからジェット機でグリーンランドの大きな空港を経由して、再度プロペラ機に乗り換えてヌーク(Nuuk 半島の意味)までいきました。今では、コペンハーゲンからの直通便があるのでしょうか。知りません。ヌークは、デンマークの人は、ゴットホープ(Good hope よき希望)と呼んでいて、グリーンランドでは最大の都市で「首都」に当たります。日本からヌークまで、時間もかなりかかって行くことになるので、日程に余裕をもたなければなりません。イスアに行くために10日間の日程を組んでいました。

 当時ヌークのホテルは限られていて高額だったので、民泊をしました。看護師のおばさんの自宅の空いている部屋に滞在しました。おばさんは朝早くでかけるので、自分で作って朝食を食べ、夕食は作ってもらったのものを一緒に食べました。ヌークには、6日間(5泊)滞在しました。ヌークからイスアへは、ヘリコプターをチャーターしなければなりません。イスアにいくために、天候不良だとヘリコプターは飛べないので、4日間の日程を押さえていました。その経費もなかなかのものです。結局は初日に飛べたので、グリーンランドでは時間的には余裕がありました。海外旅行で同じ日程での2倍の費用がかかりました。

 以前勤めていた博物館には、イスアからの岩石が展示されていました。その実物、そしてイスアの映像も画像もみていました。しかし、本物を見たい、現地で体感したい思っていました。その希望がかなったのです。

 イスアには、そこにしかない古い地層と岩石がありました。38億年前の堆積岩と海洋底を構成していた岩石がありました。堆積岩も海洋底の岩石も、海があった証拠となるものです。イスアの堆積岩も海洋底の岩石も地球で最古のものです。地球最古の海の記憶を、肌で感じることができました。それが、遥かイスアへの旅の目的だったのです。

 ヘリコプターで飛んだとき、イスアに向かう草原で、霧の晴れるのを待つために1時間どの天候待ちをしました。もともと、現地では、5時間ほど滞在して目的の岩石や地層を転々と見ていく予定だったのですが、天候待ちによって、3時間ほどしか滞在できませんでした。

 イスアで驚いたことには、テント村があったことです。荒涼たる地に、夏の間だけ、地質学者たちが野外調査をするためにできたものでした。世界中から地質学者たちが集まっていました。日本人地質学者も訪れたことがありました。そのキャンプ村のリーダとして、デンマークの地質調査所の地質学者のアペルがいました。彼からは、数日ほどテント村に滞在すれば岩石がよく見れたのにといってくれました。そんな状況になっているとは知りませんでしたので、日帰りの予定を組んでいたので、時すでに遅しです。

 イスアに滞在したのは、結局3時間余りでした。調査というには、余りにも短い時間でした。ヘリコプターにアペルが同乗して案内してくれたおかげで、非常に効率的に目的の岩石を見ることができました。代表的な岩石を見、標本も採集しました。もちろん、何日も滞在して調査すれば、もっといろいろ調べることができたと思います。私が見残した大切な岩石や地層も一杯あったと思います。

 イスアでしたかったのは、地質調査もさることながら、現場を見て感じることでした。イスアという地で、風景の中に自分をおき、風や空気、温度などを五感を伴って、岩石や地層を肉眼で見て触りたかったのです。そして、感じたことを記憶に残したかったのです。3時間余りでしたが、イスアを感じることができました。そして、どんな調査旅行よりも濃密な印象に残っています。イスアの地には、今後二度と訪れることがないでしょうが、その記憶は一生残って忘れないでしょう。そんな記憶から、このエッセイも生まれました。


・民族の嘆き・

民泊させていただいた看護師のおばさんは、

グリーンランディックでした。

定職をもち、居住場所も確保している恵まれた人でした。

二人の子どもうち、ひとりはデンマークにいて、

ひとりは同居しているのでは、デンマークいっていました。

一日夕食のときにアルコールを飲んでいる時

おばさんは酔ってしまいました。

自分たちの民族の風習のビデオを見せてくれました。

そして自分の子どもの民族の言葉を話さないし

都会へ憧れていると嘆いていました。

自分のルーツともいえる風習や言語が

なくなっていくのは寂しいことです。

そのおばさんの嘆きは、

北海道のアイヌの人たちにも

共通するものなのでしょうね。


・自粛生活・

北海道は冬を迎えました。

新型コロナウイルスも猛威を奮っています。

我が家の自粛は、春と同様です。

家内が買い物や日常生活のことはしてくれています。

ですから、私は大学と自宅の往復だけで生活しています。

講義がすべて遠隔になり、会議も遠隔になっています。

大学でも研究室にいる限り誰とも会いません。

それでも、同じフロアーの先生には時々会いますし、

所要で職員と会うこともあります。

でも、大学では、講義も研究も食事も

すべて研究室ですませています。

淡々としているのですが、

なんとなくこんな生活にも慣れてきました。

いいことなのでしょうかね。