2017年9月4日月曜日

153 玄武洞:30年ドラマ

 地質学的な観光地は、景観を見るところとしてもいいのですが、学問上で起こったドラマも見られることがあります。そんなドラマが、玄武洞にもありました。解決に30年以上の年月を要する、壮大なドラマでした。

 春の調査で、玄武洞を訪れました。兵庫県豊岡市を流れる円山川の右岸に、玄武洞公園があります。玄武洞は、ひとつの洞(ほら)ではなく、いくつかの洞が連なってあります。玄武洞、青龍洞、白虎洞、南朱雀洞、北朱雀洞の、5つの洞があります。それぞれが特徴がある観光ポイントとなっています。
 以前にも、私は玄武洞に来たことがあります。博士課程で長期にわたって野外調査をしているとき、詳しく見ました。地質学を学んでいるものにとっては、近くに来た時は、見学すべきところでもあります。玄武洞の景観を楽しむだけでなく、地質学史に残る場所でもあったことを、噛みしめるところでもあるのです。
 玄武洞は、柱状節理が見事に発達していることで有名です。そもそも玄武とは、中国の四つの神の一つにあたります。長い足の亀に蛇が巻きついている様子として描かれることがあります。玄武は、北方を守り、玄は黒も意味しています。玄武岩は黒い色しているのですが、その色から由来した名称です。そして、玄武洞は、もちろん玄武岩からできています。
 玄武洞は、柱状節理の不思議で見事な奇岩から、古くから観光地になっています。5つの洞のうち玄武洞と青龍洞が、国の天然記念物に指定されています。国の天然記念物に指定され(1931年)ました。1963年には山陰海岸国立公園にも指定されました。その後、2009(平成21)年にm山陰ジオパークとして日本ジオパークとして認定され、2010(平成22)年には世界ジオパークの認定を受けました。
 通常ジオパークは、ある地域の地質学的な遺産を認定して、そこを保全しながらも、教育や観光などで、持続可能な開発を進めようとするものです。ある限定された地域のことが多いのですが、山陰ジオパークは、「日本海形成に伴う多様な地形・地質・人々の風土と暮らし」をテーマにしています。東西100km、南北約30kmで、西は鳥取県から東は京都府までに及ぶ広い地域に点在しています。その中でも地質学的にも重要性があり、ジオパークの重要な地点はジオサイトと呼ばれています。玄武洞は、もちろんジオサイトになっています。
 玄武洞は、地質学的にも古くから調べられており、その重要性が指摘されていました。ただし、市民にはあまり知られていないようですが、ジオサイトとして注目されればと思います。
 玄武洞は、明治時代、日本の地質学が生れた時代の地質学者の一人、小藤文次郎によって、1884(明治17)年、玄武岩として記載されました。その後、松山基範が、岩石に磁気の研究に玄武洞の岩石を1926年に測定して、その結果を、1929(昭和4)年に発表しました。他にも、東アジア各地の岩石の古地磁気も一緒に測定していました。その成果は今からすると画期的なものだったのですが、評価はずっとあとになってからでした。
 マグマが玄武岩として固まる時に、岩石中の磁気を持った鉱物は、その時に地磁気と同じ方向に並んで固化します。岩石に残された古い時代の地磁気(残留磁気)の記録を、「古地磁気」といいます。松山が、玄武洞の岩石で古地磁気を測定したところ、現在の磁場とは逆転していたことを発見しました。松山以前にも、地磁気の逆転は知られていたのですが、地層の層序の組み立てに適用できるということを、松山が初めて示しました。これは、古地磁気層位学の最初の提唱となります。
 松山の成果は、当時の学界からは、まだ学問的な課題があり、重要視されませんでした。残留している磁化の由来について、信頼性のあるデータが不足していること、統計処理の方法などに問題があり、まだ確信されるに至っていませんせんでした。1960年代前半にこれらの課題がやっとすべて解決され、古地磁気の逆転があったことが認められました。
 古地磁気の逆転は、何度も起こったことがわかって、古地磁気層位学が確立されてきました。松山の功績をたたえて、一番最後(最近)の古地磁気の逆転(逆磁極期)は、「松山逆磁極期」と名付けれられました。その期間は、249万〜72万年前とまります。
 玄武洞の岩石は、約160万年前のマグマ活動によってできたものです。活動時期が、松山逆磁極期のちょうど真ん中に当たっていました。多分、松山にとっては、古地磁気の逆転は予期していなかった結果であったと思います。ですから、いろいろ検証を繰り返したはずだと思います。松山は自分の研究の結果を信じて発表したはずです。信念をもって出した結果は、やがて報われ、時代名として松山を残すことになりました。ただし、その松山の成果が受け入れられるのに、30年以上を要しました。
 そのあたりの経緯は、山崎俊嗣(2005)「地磁気の逆転」に紹介されています。興味ある方は一読を。
 海洋底の古地磁気の正と逆が、繰り返されている模様を船から観測できる技術が開発されました。古地磁気の逆転の繰り返しを詳細に記載した古地磁気層位学の結果は、海洋プレートが移動をしていることを、はじめて証明することになりました。松山の成果は、その魁となったのです。
 地下にあった厚い溶岩層が、河川の侵食により、いつのころか川岸に柱状節理として見えるようになりました。ある時、地質学者がその地の玄武岩を分析しました。その成果が、30年という長い年月をかけて、プレートテクトニクスの証明という大きな成果に繋がっていったのです。でも、そんな壮大な学問の歴史を感じさせることなく、玄武洞は、今日もひっそりと節理を見せてくれいることでしょう。

・試料採取の倫理・
私は、磁気についてはまったく研究したことがありません。
でも、古地磁気の調査した後は、すぐにわかります。
岩石にドリルで穴を開けて円筒状の試料をくり抜きます。
チェックのために、何個も試料は採取されています。
試料採取された後の露頭には、
丸い円筒形の穴がいくつもあいているのを時々みかけます。
人が来ない観光地であれば、いいのですが、
このような人為の跡は、なかなか消えません。
慎重に試料採取の場所を選ばなくてはなりません。
多分、今では、そのような試料採取に関する倫理は
共通認識となっていることと思います。
私は詳しくなくて知らないのですが。

・南紀調査中・
現在、南紀の調査中です。
天候が心配ですが、
今日が最終日で帰宅のために移動日であります。
今回の調査では、いろいろ見て回る予定です。
いままでいったところもいくつかありますが、
四万十層群がメインです。
熊野火成岩類も少し見る予定です。
紀伊山地は、山間部を見ていこうすると、
奥深い山なのでアプローチに時間がかかりす。
さて調査はどうなったのでしょうか。
次回以降のエッセイで紹介できればと思っています。