2019年2月15日金曜日

170 潮岬:トンボロの先のマグマ

 本エッセイに潮岬を取り上げるのは、二度目となります。前回は10年前になりますが、橋杭岩を中心に紹介しました。今回は、すぐ近くなのですが、潮岬を中心に紹介していきます。

 紀伊半島の南紀へは、何度か調査にいっていますが、機会があれば橋杭岩だけでなく、更に南の潮岬へも足を伸ばすことがあります。それは潮岬の先端には、見事な露頭があるからです。
 まずは潮岬について概要を紹介しておきましょう。潮岬は、和歌山県東牟婁(ひがしむろ)郡串本町の南に位置しています。串本町自体も、紀伊半島の南端にある街で、役場は潮岬がある島のようにみえる地形のところと、本州が繋がっている平坦なところにあります。
 島のように見える地形のところは、実はもともとは本州とは離れていた島でした。いろいろ調べたのですが、島としての名称はないようですので、仮に「潮岬島」としておきましょう。沿岸の流れによって、海岸沿いの土砂が運ばれ、間の海に堆積していきます。やがて「潮岬島」と陸が繋がっていきました。このような地形をトンボロ(陸繋島)と呼んでいます。ですから、もともとは島だったので、島のように見えて当たり前なのです。
 「潮岬島」の東には、一回り大きな本当の島、紀伊大島があります。紀伊大島と「潮岬島」は、橋でつながっているので陸続きともいえます。くしもと大橋と呼ばれていますが、間にある苗我島(みょうがじま)があり、その手前で標高を稼ぐためにループ橋になっています。なかなか面白いところです。
 「潮岬島」と本州の繋がっているところは、平地になっているので家が立て込んでいます。平地の両側は海に面しているので、両側に港ができています。「潮岬島」と紀伊大島が、太平洋からの風や波を防いでくれるので、港としては地の利のあるところになります。
 潮岬は本州最南端とされていますが、地形図を見ると、灯台(潮岬灯台)があるところは御崎(みさき)という地名になっています。ですから灯台が最南端ではありません。灯台よりやや東に本州最南端の碑があり、その先の海岸にクレ崎と呼ばれるところがあります。地理的には、クレ崎が最南端にあたります。
 さて今回は、灯台付近の海岸に出ている露頭についてです。海岸の露頭は波に洗われて風化の少ない岩石になっています。露頭では、見事な枕状溶岩がみることができます。枕状溶岩だけなら、日本各地でよく見られるのですが、ここでは他の岩石との関係をみることができます。
 枕状溶岩に貫入している岩脈が見事です。この貫入岩は、枕状溶岩だけでなく、細粒の溶岩や水中破砕岩などの多様な産状の玄武岩に貫入しています。また、貫入岩も粗粒のドレライトや花崗斑岩、細粒のフェルサイト岩脈、また化学組成も塩基性から酸性までと、多様です。玄武岩は海嶺で活動するマグマに似た化学組成をもっていることが知られています。しかし、活動の場は、海底ではあるのですが、中央海嶺でないことはわかっています。
 多様なマグマの活動は、1500万年前~1400万年前に起こっており、潮岬火成複合岩類と呼ばれています。紀伊半島は四万十帯と呼ばれる付加体(四万十層群)と、その付加体を不整合に覆う熊野層群と呼ばれる地層が分布しています。
 潮岬火成複合岩類は、四万十層群や熊野層群を貫入しています。「潮岬島」の北部や紀伊大島では、熊野層群が堆積しているところにマグマが貫入していることとが見られます。堆積場でマグマの活動が起こったことになります。火成岩の中でも、化学組成が異なるマグマは玄武岩質と花崗岩質の少なくとも2種類ありました。玄武岩質マグマも花崗岩質マグマも互いに、貫入したり、貫入されたり、の関係がみられます。これは、同時期に2つのマグマだまりが存在し、活動していたことになります。そのため「火成複合岩類」と呼ばれることになっています。潮岬の露頭は、マグマの組成が多様で、複雑な堆積作用の場であったことを示しています。
 この時期、紀伊半島から四国、九州にかけて、似たような火成作用が広範囲で起こっています。海側(前弧海盆と呼ばれるところ)の付加体が形成されているところで起こっています。日本列島は複雑な地質状態になっていたことが知られています。日本海が形成され拡大している時期にあたり、拡大に伴って西南日本が回転していました。さらに、フィリピン海プレートが、新たに西南日本に沈み込みはじめます。このフィリピン海プレートは、活動中の海嶺が沈み込んだと考えられています。
 大陸の縁にあった日本の原型が、日本海ができることで大陸から切り離され、列島が形成されていく最後の時期にあたります。非常に活発な地質変動の時代で、特に西南日本は、通常の海洋プレートの沈み込み帯とは異なった状態に置かれていたことになります。
 かつて西南日本は、典型的な沈み込み帯、付加体と考えれられていたのですが、どうもそうではないことが明らかにされてきました。典型ではなく、特異な地質環境であったことも頭に入れておく必要あります。少なくとも始新世(3000万年前)以降、日本海が形成される頃から、通常の地質場とは異なった環境に置かれることになります。その上で、何が特異で何が普遍なのかを見極めていく必要があります。
 「潮岬島」の南側で海を眺められるところは、平坦な面になります。平坦面に車を置いて、海へは急な断崖を降りていくことになります。この平坦面は海岸段丘です。この付近では、2つの面があります。海岸段丘の形成は、第四紀の新しい時代の異変によるものです。帰りは、平坦面まで異変によってできた崖を登ることになりなかなか大変です。海岸には、もっと古い時代の、もっと激しい異変が記録されていますので、帰りは苦労しても、一見の価値があります。

・自然現象・
冬の前半は、雪が少ないなと思っていました。
しかし、後半には例年になく厳しい冬となっています。
1月から2月にかけては、
何度かの冷え込み、かなりの降雪・積雪もありました。
今では、排雪が間に合わず、
道の脇にうず高く雪の山ができて
すべての道が、狭く見通しが悪くなっています。
季節ごとの変化は受け入れていくしかありません。
自然現象は、黙々と対処していくしかありませんね。

・帰省・
2月下旬に、故郷に帰省します。
毎年この頃に、帰省するようになってきました。
大学が一番休みの取りやすい時期で
野外調査に適さない時期でもあります。
私は1週間ほど滞在して、母に関することを
いろいろ処理する予定です。
また今年は、我が家の家族が
母の実家に集合する予定をしています。
子どもが家を離れると
なかなか全員で集まる機会が
少なくなってきます。
今回は、貴重な機会になります。