2017年5月15日月曜日

149 三朝:投入堂、健在

 以前住んでいたことがある三朝に行きました。三徳山には、投入堂という国宝があります。投入堂は、安山岩の柱状節理の下に建てられているのですが、どうのようして作ったのか、見るたびに、その偉業に驚かされます。

 今年のゴールデンウィークの始まりに、私は鳥取から、兵庫にかけて調査をするために、一部岡山の方でも調査をする予定だったので、三朝(みささ)町を通ることにしました。
 東伯(とうはく)郡三朝町に、かつて5年間住んでいました。修士課程で2年間、ポスドクで3年間、三朝町にあった研究所にいました。以前、訪れたときは、研究所に顔をだして旧交を温めましたが、今回はお忍びで通り抜けるだけでした。
 今回の三朝での目的は、柱状節理をみることでした。もっとも見事に見えるのは、三徳山(三佛寺)の投入堂(なげいれどう)の直上の崖です。到着した日に、投入堂が見える「よう拝所」にいってみたのですが、遠すぎて、木の枝も邪魔で、少し霞んでもいましたので、十分観察することができませんでした。そこで意を決して、翌日、朝一番に投入堂まで柱状節理を見に行くことにしました。2時間もあれば、往復できるはずです。
 被害状況も少し見ていこうと思っていました。被害とは、鳥取県中部地震によるもので、その現状や復興状況は、北海道ではあまり報道されず、様子がよくわかりませんでした。それを少し見ておきたいと思っていました。
 本来の目的は、柱状節理なので、優先しました。宿では朝一番に朝食をとり、7時半ころには出ました。三徳山に向かいしました。土曜日でもあり、8時ころですが、すでに参拝者、観光客、そして山を登るような格好に方もいました。山を登る人に声をかけたところ、8時から入山ができ、投入堂に向かうには、一人ではだめでだということでした。そこには2名の登山者がおられ、声をかけて3名で行くことにしました。本堂にまでいってから、登山受付に向かいしました。3人で登る予定でしたが、一人の登山者がおられ、一緒に登るようにいわれました。私たちのにわかパーティなのですが、一緒に行くことにしました。登りだしてからは、各自のペースで行くことにしたのですが、結局は一緒に登る状態になりました。下りも別々に下りだしのですが、受付につく頃には一緒になっていました。不思議なものです。
 そのルートはなかなか険しく、もともとは修験道で、鎖場などの岩場もあります。途中には、崖の上に建てられた文殊堂、地蔵堂、鐘撞堂などがあります。投入堂は、柱状節理の崖の下に、大きくくぼんとところに建てられています。
 温泉街の周辺は花崗岩があるのですが、山にはっていくと違った石になります。この投入堂までの登山ルートで足下をよく見ていると、岩石の種類が変わっていくのがわかります。まず登山道に入るとすぐに溶結凝灰岩ができてきます。その後、凝灰岩、火山礫岩、凝灰角礫岩と、似た起源ですが見かけの違う石に変わっていきます。そして投入堂の直上では、安山岩の溶岩になります。
 一番最初にみられる溶結凝灰岩の地層は、「小鹿(おしか)凝灰角礫岩層」に区分されています。岩層変化が激しい火山砕屑岩類は、「投入堂凝灰角礫岩層」と呼ばれます。登山道の終わりの投入堂の上を覆う崖の安山岩は、「三徳山安山岩」と呼ばれています。三朝温泉周辺の花崗岩は、もっと古い(6000万年前)時代のものからできています。小鹿凝灰角礫岩層と投入堂凝灰角礫岩層は、新第三紀中新世後期(500万から1000万年前)の「鳥取層群」に属します。安山岩は、130万年前の「三朝層群」になります。
 安山岩が投入堂の上の崖を形成しており、柱状節理を持っています。溶岩の下にくぼみができています。そこに投入堂やその奥に愛染堂、手前に不動堂があります。投入堂の下は、安山岩と下の凝灰角礫岩との間に地層境界があり、地層境界の下側がくずれてくぼみとなっています。そこから水が染み出しているのでしょうか、いつもぬめぬめしている凝灰角礫岩の急斜面になっています。
 投入堂ですが、私は三朝に住んでいるときに、投入堂には何度も登っています。何度登っても、この堂は、昔の人は、どのようにして立てたのだろうかと考えてしみます。その労力、そして技術力には、毎度驚かされます。
 7~8世紀こと、修験道の開祖とされている役小角(えんのおづの)が三徳山を訪れ、山のふもとに堂をつくりました。そのとき法力で堂を小さくして断崖の岩窟に投入れたといわれています。まあ実査には宮大工が大勢の人手を用いて建築しただと思いますが、そのようだ伝説ができるのも納得できる作りとなっています。投入堂は、平安後期の材料が使用されていることがわかっています。ですから、古い建物が、修理、補修はされているのでしょうが、継続して維持されているのです。
 今回の鳥取県中部地震では、これらの古い建物は、大きな被害受けることなく残っています。今回一度だけではなく、近年だけでも、1943年に鳥取地震、1983年に鳥取県中部地震、2000年にも鳥取県西部地震など、多くの大きな被害を出した地震が起こっています。これまでもっと多くの大地震が起こったはずです。
 崖の上に支柱で支えられた幾つものお堂があるのですが、それらは何度も大きな揺れに耐えてきました。ただし、文殊堂の柱の下の岩盤に亀裂が入り、柱のうち2本が浮いた状態になっているそうです。しかし、建物自体は無事のようです。また、登山道の崖にも大きな亀裂が入って危険な状態であるとのことで、そのため登山ルートが変更されていました。新規の道もやはり厳しいルートなっていました。
 投入堂だけでなく、昔の人の知恵は、すごさですね。また、それを現在まで維持してきた努力にも驚かされます。

・精進料理・
三朝の研究所にいるとき、
海外からの賓客が来られたとき、
投入堂の登山と下のお寺での精進料理が
おもてなしのコースになっていました。
今回は早朝だったので、
登山だけでしたが、
次回チャンスがあれば、頂きたいのですが
いつになることでしょうかね。

・地震からの復興・
倉吉は車で通り抜けただけなので
被害状況はよくわかりませんでした。
しかし、三朝の温泉街を早朝散歩しました。
すると人が住めない状態の家や
ビニールシートで屋根を覆っている家などもありました。
また、各地で土砂崩れの補修もなされていました。
投入堂までの登山道も被害にあったため
4月18日に開山したばかりでした。
まだまだ地震からの復興は終わっていなようです。